第12話
「グッモ~ニ~ン」
今日の朝も、私の挨拶で始まる。
「グッモーニン」
彼は読んでいた本を閉じ、私の方を向いて軽く挨拶を返してきた。夏らしい白シャツの制服を着た彼は、いつもの愛想のない笑顔を私に向けて、バス停でバスを待っていた。
「今日、雨ヤバくない?」
「まさに滝のような雨だな」
もう梅雨入りしたとはいえ、こうやって一気に降るんじゃなくて、適度な量で長く降ってほしいよね。じゃないと涼しい日が少なくなっちゃう。洗濯をする上では晴れた日も欲しいけどね。
バス停には屋根があるから雨をしのげるけれど、ここまで歩いてきた私は傘を差していても、こんなに雨が激しいと傘でも防ぎきれない。
「見てよ、もうスカートまで濡れちゃったよ」
「濡れたスカートを搾る仕草って良いよな」
「搾ってみる?」
「俺はノータッチ主義だから」
「意気地なしー」
こういうのに興奮するって、男子の頭の中ってどうなってるんだろうね。濡れる側はこんなに大変だってのに。
「ねぇ、私透けてない?」
「絆創膏が見える」
「今日、オレンジなんだけど」
「俺は自分の視界に映るものしか信じない。お前は今、コンビニコーヒーと立派な自然薯を手に持っているな?」
「自然薯じゃなくて傘ね、これ」
彼の世界では学校に自然薯を持っていくことって普通のことなのかな。
「良い傘だな、それ」
「自然薯に見える傘が?」
「お前によく似合っている」
「自然薯に見える傘が?」
「蕎麦に合いそうだな」
「自然薯だよね、それ」
美味しいよね、自然薯。トロトロのネバネバで、エッチな感じがして。
朝から何言ってるんだろうね、私。
「俺もエロいと思う」
口に出しちゃってたね、私。
それはそれとして、私はいつもと変わらない彼を見て、ふと疑問に思う。
今日はこんなに雨が強く降っているのに、彼は傘を持っていない。
「ねぇ、傘どしたの?」
「あぁ、俺は合羽だったんだ」
「へぇ。その合羽はどこ?」
「お前が来る前に傘がぶっ壊れた小学生が側を通りがかったから、貸してやった」
考えてることは気持ち悪いのに、なんでお人好しなんだろうね、この人。
「帰りはどうするの?」
「帰る頃には止んでるだろ」
「明日の朝までざざ降りだよ?」
「じゃあ、明日の朝に帰る」
「学校はどうするの?」
「じゃあそのまま学校で夜を明かそう」
この人にちょっとだけ感心しちゃいそうになったけれど、そういう行き当たりばったりな人生は良くないと思うよ。
流石に学校に泊まるってのは冗談だと思うけれど、このままだと彼はずぶ濡れの状態で家に帰ることになってしまう。
もう、しょうがないね。
「ん」
私は持っていた傘を彼に差し出した。すると彼は驚いたような表情をしたけれど、すぐに傘を受け取ろうとはしなかった。
「な、なんだ?」
「ん!」
「傘を貸さんってか?」
「貸してあげるって言ってんの」
「お前の分がなくなるだろ」
「私、折りたたみ傘持ち歩いてるからだいじょーぶ」
そして私がグイグイと傘を彼の体に押し付けると、ようやく彼は私の傘を受け取った。
「わかった。ありがとな」
「礼には及ばないでござるのすけ」
「今日の昼飯は蕎麦で決まりだな」
「だから自然薯じゃないって」
堅物そうな彼が自然薯を持ってるのウケる。あ、自然薯じゃなかった、白い傘ね。なんでこれが自然薯に見えるんだろ。
そして、いつも通り定刻より少し遅れて彼が乗るバスがバス停へやって来た。私はいつものように、彼の背中をパンッと叩いて。
「んじゃ、ハブアグッドデイ!」
「ユートゥー」
彼は私にそう返事して、いつもの一人がけの席に座った。そしてバスの中からチラッと私の方を見てきた彼に向かって、私はとびっきりの変顔を作ってみせた。
今日は傘を貸してあげたんだから、笑ってくれたって良いだろうに。
そして数分後、私が通う学校に向かうバスがやって来た。いつもどおり友達の岩川ちゃんが先に乗っていたから、私は彼女の隣に座る。
「グッモ~ニ~ン、岩川ちゃん」
当然、岩川ちゃんは傘を持っている。水色の可愛いデザインの傘。
そして岩川ちゃんは、こんな雨なのに傘を持っていない私を見て不思議そうな表情で言う。
「グッドモーニング、都さん。あの、傘はどうしたの?」
「困ってる人に貸してきた」
「折りたたみ傘とか持ってるの?」
「ううん、ない」
私、悪い子だね。嘘ついちゃったもん。
ま、いつも冗談ばかり言ってるしいっか。たまにはこういうのも悪くないね。
「え? じゃあどうするの?」
「岩川ちゃんが相合い傘してくれると思ったから」
「残念だったね、都さん」
「え?」
「私の傘は貸さないよ」
「……そ」
「あぁっ!? 都さんっ、そんな冷たい表情しないで! 相合い傘してあげるから!」
岩川ちゃんなら相合い傘してくれるって信じてたよ。
でも、きっと彼には相合い傘してくれるような相手なんていないだろう。私ってば名推理だね。




