蜥蜴
私は “幸せ” な夢を見る。
最愛の彼が、愛する人を、宝物みたいにそっと抱きしめる。
見つめ合う二人。
言葉は、無い。必要ない、そんな物。
音よりも速く、気持ちは伝わる。
だから、要らない。二人は、一つ。
そんな、夢を見る。
そこにいる男性は、勇哉。私の愛する人。
そして横にいる女性は……。誰だろう? 私とは、似ても似つかぬ人。
そうでなくては、いけない。
彼の隣にいるのは、私のような人間ではいけない。
彼は、幸せになるべきだ。私以外の女性と。
そうでなければ……。私は、幸せになれない。
心の底から、そう思う。
それを、嘲笑うモノがいた。
『ははっ。殊勝な心掛けで。愛する者の為なら、己の幸せは二の次か』
ソレは、ガラス玉の目をしていた。暗闇の中、その無機質な目だけが浮んでいた。
『だがそれは、本心ではあるまい?』
耳にではない、心に響く声がする。
『欲しくはないのか? 祝福が、幸せが、勇哉との未来が』
赤い舌が覗く。
体は、陰影しか見えない。
細長い紐に四肢をくっつけた、蜥蜴のように見えた。
『喰らいたくはないのか? 亜夢美の持っている全てを。それはもしかして、お前に与えられた物かもしれない。……欲しくは、取り返したくは、ないのか?』
蜥蜴は、だんだんと大きくなる。何かを喰らい、ぶくぶくと肥え太ってゆく。
『偽るな、己の心を、欲望を。 認め、さらけ出し、……奪え』
蜥蜴の赤い舌が、私の心を舐めまわす。
全身に、痺れるような電流が走る。
「黙れ! 痴れ事を抜かすな! 私は、そんな物、望んではいない――」
私は全力で拒絶する。
『我を欺く事は出来ぬ、否定する事も叶わぬ。お前が認める認めないに関わらず。……我は、お前が切り捨てた “唾棄すべき自分“ ――お前自身なのだから』
私の反論を一顧だにせず、真理を語るみたいに述べる。
『お前は誓ったな、勇哉に初めて会った時、 “彼に嫌われない、いい子になる“ と。 “醜い気持ちを捨てる“ と』
なぜそれを知っている。誰にも言った事はない。
『お前は、 “いい子“ になった。人を憎まず、妬まず、 “聖母“ を目指した』
それを知っているのは、私自身しかいない。本当に、こいつは……。
『お笑い種だ。土台無理な話。人は “己の醜い気持ち“ を切り捨てる事は出来ても、消し去る事は叶わぬ。何故ならそれは、本能だから。遺伝子に刻まれた、 “業“ だから。清らかであろうとすればする程、穢れは濃く、深くなる。如何に牢に閉じ込めようと、いつの日かそれは、解き放たれる』
私が切り捨てた、忌むべき……。
『受け入れよ、我を。己の欲望を――』
“呪う心“ なのか――。
『お前は幼い頃、傷ついた小鳥や動物を拾ってきては介抱し、野に帰していた』
蜥蜴は、報告書を読むように淡々と話す。
『なぜだ?』
検察官の尋問みたいな、鋭い声が飛ぶ。
『街に住む、 “生きる“ と云う事に無頓着な子どもならば、まだ分かる。だが、お前は違う』
逃げ場を塞がられ、追い詰められて行く気がした。
『お前はあの山で、 “命の循環“ が顕著な世界で育った。命あるものは他の命を糧とし、己の生を繋ぐ。そこには、弱者への憐憫も罪悪感も無い。あるのは冷徹な生存本能と、種の保存への欲求のみ。そんな世界で育ったお前が、何故その命を糧とせず、救済する? “偽善“ ――と云うのも、違うな……』
的確な分析で、丸裸にさせられる。
『 “孤独“ ――を癒したかったのだろう、己の心を喰らい尽くす巨大な闇を……』
否定したかった。でも……出来なかった。
『どんな生き物にも、群れがある、家族がある。だがお前には、今にも息絶えそうな母しかない。恐ろしかったろう、怖かっただろう。この広い世界で、お前だけが一人ぼっちだ。里の人間は、お前の仲間ではない。憎しみで繋がっている殿倉の者でさえ、母親が亡くなればお前との繋がりを断つだろう。この山から、追い出されるかもしれない。そうなったら、お前は何処へ行く? この世界に、お前の居場所は……無い』
情け容赦のない現実が、突き付けられる。
『だからお前は、居場所を求めた。傷ついたものに、その命を対価として、己への依存を求めた。その縋るような目は、お前の孤独を癒した。……まったく、救済されているのはどちらやら』
これまで蓋をしていた物が、コポコポと溢れて来た。
『お前は、心の底で思っていたはずだ。 “治らなければいいのに。いつまでも此処に居ればいいのに“ と。だが願い虚しく、傷は癒える。野に帰る日が来る。そしてお前は、次の傷ついたものを求める』
私の醜い心が、赤裸々に語られる。
『そしてついに、お前の理想が現れた。 “勇哉“ だ。両親を亡くし、妹と二人っきりで生きる “勇哉“ 。妹が死の淵に在り、病気平癒のご利益があるお地蔵様の噂を聞き、藁にも縋る気持ちで冬の飛鳥山を訪れた “勇哉“ 。さぞや嬉しかったであろう、心躍らせたであろう!』
違う! そんなんじゃない! 私の勇哉への想いは、そんなんじゃ……ない……。
『亜夢美の、肉を食み、皮を被れ、…… “殿倉 亜夢美“ と、なるがよい』
甘い声で、蜥蜴は誘う。
『さすればお前は、全てをつかみ取れる。あの黒い瞳も髪も、皆からの祝福も称賛も、みんなみんな――お前の物だ!』
目も眩むような幸福。望めば辛くなり、封印した願望。
『お前も、心からは信じていなかったであろう? 勇哉が語る、蜂蜜色の未来を』
戦争は終る。お前を虐げる者はいなくなる。――そんな、夢のような予言。
『あ奴は識らぬ、憎しみの本質を、根深さを。だが、お前は識っている。骨身に染みて、理解している』
やめろ……。
『 “憎しみ“ は、 立場や状況が変わったからといって、消え失せるものではない。隠れるだけだ、心の底に。お前が我を切り捨てた様に。消えることは……ない』
やめろ、やめろ、やめろぉ――――ぉ!
希望の灯りを、消さないで。信じ……させて。
私は、暗闇に沈む。
「どうした? うなされていたけど、怖い夢でも見たのか?」
ゆっくりと、瞼を開ける。ぼんやりとした視界が、晴れて来る。
心配そうに見下ろす、勇哉の顔があった。
「……大丈夫、なんでも、ない」
かすれかすれ、私は答える。
実際、何が怖かったのか分からない。
夢は、覚めれば消える。だがあの怖ろしさは、記憶から消えうせても、冷めることはなかった。
「お母さんと紬ちゃんは?」
窓の外を見る。夜が明けたばかりだ。私のせいで起こしたら、申し訳ない。
「寝てる。心配するな。そんなに大きな声じゃなかった。……ただ俺が、過敏なだけだ」
ああ、そうだ。彼はいつも私たちを守ろうと、気を張っている。……ごめんなさい。
「俺が、ついている」
彼は私の顔を指で触れ、そっと涙を拭う。
「お前が泣いていたら、どこにいようと駆けつけて、守ってやる」
彼の顔が近づく。互いの頬が触れ、ぎゅっと抱きしめられる。
「だからお前は、苦しい時哀しい時、力いっぱい、叫べ。『勇哉、助けて! 此処に来て!』と。地の果てだろうと、魔物の腹の中だろうと、何処にだって駆けつける」
「腹の中?」
聞き捨てならない言葉に、思わず訊ねる。
「喰われても、諦めるなって事だ。『もう だめだ』と思っても、思う心がある内は、肉の一片が残っている内は、諦めるな。俺が、必ず何とかしてやる」
私は軽い眩暈を感じた。
「……無茶を言う。お姫様は、黙って王子様の助けを待つものじゃなかったっけ?」
夢見る私は、異議を申し立てる。
「それは、19世紀までのお伽話。現代のお姫様は、 “戦い” も必須科目。『魔物の腹を蹴破れ』とは言わんが、ドンドコと腹鼓を鳴らす位はしろ!」
「シュールだ……。そして人使いが荒い」
「『働かざる者 食うべからず』。いや、この場合は『喰われるべからず』かな。はははっ!」
「上手くないからね、それ……」
「美味いから、喰われるんだろ?」
私は思わず、眉をひそめる。
「……アンタは、いっつもそう。初めて会った日の夜、『吹雪の夜の寂しさを紛らわせる話をして』ってロマンティックなリクエストをしたら、『雪山の山荘 連続殺人ミステリー』を語り出すし、ホント馬鹿馬鹿しくって――」
私の眉間の皺が消え、顔がほころぶ。
「――救われる」
満面の、笑顔が咲いた。
勇哉も、笑う。
お願いします、勇哉の未来のお嫁さん。
その時が来たら、必ず彼をお返しします。だからどうか今だけは、一緒にいる事をお許しください。
多くは望みません。ただ刹那の瞬間を、私にください。
私はそれがなければ、生きる事は……もう出来ません。
それさえ頂ければ、貴女や勇哉の邪魔にならぬよう、世界の片隅でひっそりと生きて行きます。
彼との想い出を抱きしめて。
哀れと思し召し、お赦しください。
私の躰から、黒い雫が滴り落ちる。
昏い沼底で、赤い舌がそれをチロチロと舐めている。
舌の先の躰は、冥すぎ、巨きすぎ、ようとわからない。
それでもそこに、悍ましさを放つナニかが――――いた。
これまで描いてこなかった、メアの昏い部分を書いてみました。
これを含めての、 “メア“ です。
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