帰る方法とタイミング
魔法の威力はもっときちんと調整して! と、明日香がレスシュルタインを怒鳴りつけてから、少し後のお話。
「いやはや申し訳ないです、姫君……聖女さま……」
『んもー!』
「アスカさん、その辺で……」
すっかり仲良しの三人はどうしたものかと、上空にあいている結界の割れ目を眺める。
あれを閉じれば、全て終わる。
しかしそれは、明日香とヴィオレッタの別れの時でもある。
『はいはい、ちょっと質問』
「何でしょうか聖女さま」
『アレの修復が終わったらさ、私ってすぐに強制送還なんだよね?』
「あー…………」
「それ、私も気になってました。帰るタイミングって、いつになるのかな、って。前にも少しお伺いしたかとは思うんですが……」
はい、と手を挙げてレスシュルタインに質問をしている明日香と同じように、ヴィオレッタも質問したいです、と言わんばかりに手を挙げる。
ここに来るまでに長かったような、短かったような、不思議な感覚に思えてしまう。
『……あとね、元の世界で、どれくらい時間が経過してるのかな、って思ってさ』
「あ……」
そういえば、とヴィオレッタは思い出す。
明日香を召還してからある程度日数は経過しているのだが、明日香の元の世界ではどのくらいの時間が経過しているのかは不明なのだ。
「そうですね……明確に分かればいいのですが……」
『え』
「実は、『人による』という何とも曖昧な判定でございまして」
『ガバガバ!』
「人によっては……その、ほとんど時間経過していない人もおりますし……」
『うん』
「数年経過している人も……」
『嘘でしょ』
さっと明日香の顔色が悪くなる。
元の世界の自分は、きっとあの時大量に吐血をしてしまい、何かしら治療がなされているかもしれない。入院したままなのには変わりないと思うが、果たしてどうなってしまっているのだろうか。
『……っ』
「アスカ、さん?」
普段は決して見ることがないであろう明日香の思い悩んだ表情に、ヴィオレッタは少しだけ戸惑う。
そういえば、召還した時に何やら明日香が心配していたような……と思い出すが、あまりにも簡単に明日香がこちらに協力してくれることになったから、うっかり忘れてしまっていた。
明日香は、本来この世界の住人ではない。
他の世界から、ヴィオレッタが協力してほしいからと波長の合う人を召喚した。応じてくれたのが明日香だった、というだけのこと。
うっかり波長が合ってしまったから、明日香は知らず知らずの内に体を蝕まれ、その体の調子の悪さについては現代医学では『原因不明』とされてしまい、ずっと入院していたのだ。
召喚直前、明日香は大量に吐血をしている。
今、明日香の体がどうなっているのか。
それを知る術は無いし、明日香自身はとりあえずとても元気なので気にしていなかったけれど、『元の世界に戻れる』という選択肢がじわりと目に見えてきたものだから、途端に気になってしまったのだ。
同じくらいの時間が流れているのか。
あるいは、ほとんど時間が経っていないのか。
……数年経過していて、ドラマやアニメなどで見るような、色んな機械に繋がれてしまっているのか。
「(……私、どうなってるんだろう……考えたこと、なかった……。……ううん、考えようと、しなかった)」
寒気なんか感じることは無いのに、何故だかゾッとするような冷気を感じたような、得体の知れない感覚に襲われてしまい、明日香は無意識に自身の体をぎゅっと抱きしめた。
「アスカさん……」
『……大丈夫、ちょっと……色々考えちゃった』
あはは、と笑ってくれる明日香だが、顔色はあまり良く見えない。というか、悪い。
「……お二方、これは一つの仮説として聞いていただきたく」
「?」
『ん?』
はて、と首を傾げた二人を見て、レスシュルタインは真剣な表情で言葉を続けた。
「結界の修復が終われば、基本的には召喚された人……あるいはええと、動物だったり、まぁ、そこは色々なんですが」
『うん』
「はい」
レスシュルタインが思い出したのは先代が召喚したファイの存在だろう。何せ小動物。
獣、というにはなんと言うか物足りないし、どう言おうか、と考えた結果の『動物』だったのだが。
「……結界の修復には、大きな力が必要となります。亀裂の大小に関わらず、です」
「……はい」
「一つ一つ、修復していくにつれ、力は大きくなっていく、と予測されます。最後の修復の時には、恐らく皆様揃って最も大きな力を使える状態になっている」
『……ん?』
「最後の修復が終わる、つまり力が最大限発揮されている状態で、蓄積された力を最後に開放してから召還された聖女様は帰還される……」
『(そういうこと!?)』
今まで明日香の読んできた物語では、聖女は帰ることが出来ないのでこの世界にとどまって生活をしていく、ということがお約束の展開だったのだが、ここの世界ではそうじゃない。
役目が終われば帰れる。
それは分かっていたが、『帰り方』が分からなかったので、少しだけどうしたものかと明日香は色んな意味でこっそり悩んでいたのだ。
『それなら……分かる、かも』
「聖女様?」
『ああいや、その……ちょっとね、心配だったんだ』
あはは、と何でもないように明日香は笑っているが、どことなく気分は優れないのか少しだけ表情は暗かった。
「……っ!」
『……ヴィオ、ちゃん?』
「無理、ダメです」
『え、ええと……』
「アスカさんが不安なのは、伝わってきます!」
迷いなく言い切ったヴィオレッタの目には、明日香の代わりだとでも言わんばかりに涙が浮かんでいた。
「話してください、アスカさんが悩んでること。私だって、アスカさんのお役に立ちたいんです! その……あまり役に立てないかもしれないけど……」
『ヴィオちゃん……』
「お話を聞くことくらいしかできませんけど……でも!」
『……ありがとう』
ふへ、とようやく明日香はいつも通りに笑った。
ヴィオレッタがいてくれて良かった、という思いがとても大きい。お互い持ちつ持たれつ、で今まで過ごしてきて、こうして話を聞いてくれる大切な存在になったのだから。
『心配、だったんだよね。帰れる、っていうことが分かったのは嬉しかったけどさ、……元の世界に帰ってから……何年も経ってたら、どうしよう、って』
「アスカさんは……その、元の世界では……」
『あー……っとね、ちょっと入院してて……』
「ニュウイン?」
『…………そうだねぇ、簡単に言えば……そうだなぁ。病弱だ、って診断されて、どこにも行けなかった、っていうか…………』
ヴィオレッタは、もう一度思い出す。
明日香を召喚しようと必死に呼びかけていた時、明日香が波長が合うからと無意識に応えていたことで、自覚はなかったものの魔力を使用して少しずつ応えていた。
だから、常に明日香は体が弱かった、というわけだ。
召喚に応じたことで、魔力を常に使用することもなく、ヴィオレッタと色々とリンクしているようになっているため、『健康体ってこういうものなんだろうか』と思えるくらいには、明日香は今とても元気である。
何なら本人は『ラノベで見てたようなことが経験できてるー!すっごーい!』と喜んでいるので、いつもは元気に見えてしまうのだが、ふとした瞬間に考え込んでしまうことだってある。だって明日香も普通の子だから。
「……」
『ヴィオちゃんのせいとかじゃないよ、っていうのも改めて伝えておくね? ……でもさ、怖いじゃん。……戻れます、ってなって……いざ元の世界に帰って、何年も経ってる、ってさ』
「そう、ですよね……」
そうやって、返すことでヴィオレッタは精いっぱいだった。
ああ、もしも自分にもっと色々な経験値があれば、もっと人の痛みを分かってあげられる人だったら、明日香にもっともっと良い言葉をかけてあげられるのに、と思う。
「お二人の会話に割って入りますが……」
『およ、何?』
「……わたしの目には、きっと大丈夫なのでは……としか見えません」
『え?』
「だって」
ふ、とレスシュルタインが珍しく綺麗に、感情をきちんと乗せてにこやかに微笑んだ。
「お二人いれば、怖いものなんてない、でしょう?」
その言葉に、ヴィオレッタははっとなる。
そうだ、怖がらなくても良いんだ。
確かに時間経過を何年しているかなんて分からないけれど、でも、明日香と自分ならば、何故だかは分からないけれど大丈夫なんだと、胸を張れてしまう。
「……そうですよ、アスカさん!」
『ヴィオちゃん……?』
「何かあったら、私がアスカさんを支えます! アスカさんが、そうしてくれたように」
『ヴィオちゃん……強くなったねぇ……』
思わず、お前どこの母親だよ、というツッコミを入れそうになったレスシュルタインだったが、必死に堪えてまたいつもの読めない微笑みを浮かべる。
きっと彼女たちなら今までに起こさなかった『奇跡』と呼ばれるものまで起こしてしまうのではないか。そんな思いを抱くほどには、期待しているレスシュルタインだった。




