表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/47

30

 王太子が離縁を宣言して間もなく、シルヴィア王女は出立、そして国王の崩御。

 立て続けに起きた出来事は、社交界のみならず民衆にも大きな波紋を投じた。これら全て、半年の間に起きた事である。大変めまぐるしい半年間だった。

 混乱が続く最中、王太子であったフェルナンが新王として即位した。リファトは父の葬儀にも参列させてもらえなかったが、兄の即位式と戴冠式も同様だった。エイレーネの懐妊を理由に、古城から動くなとフェルナン直筆の命令文が届いたのだ。

 だが本音を言えば有り難くもあった。世間の混乱よりも、身籠ったエイレーネの事でリファトの頭はいっぱいだったからである。悪阻が治っても彼はエイレーネの傍から離れなかった。お腹を愛おしげに撫でるエイレーネの隣をずっと占領している。ひっつき虫と化したリファトを、彼女だけは笑って見つめていたが、使用人達はお邪魔虫とならないようやり過ごし、逆にギヨームは容赦無く引き剥がした。診察の邪魔だからだ。しかし、隣からは引き離せても周辺をうろうろするのは止められないので、ギヨームは分かりやすく嘆息する。


「…リファト殿下。気が散るので、今しばらく退室していただけませんかね」

「エイレーネが教えを乞うた時は満更でもない顔をしていたくせに、私には文句を言うのか?ギヨーム」

「口が達者になりましたな、殿下。ならばこちらも言わせてもらいますが、妃殿下は診察が終わってからお声をかけてくださいましたよ。間違っても脈を診ている最中に邪魔などしませんでした」

「ふふっ」


 にこにこ笑うエイレーネに毒気を抜かれたのか、二人は大人しくなった。エイレーネのお腹の子は順調に育っているようだ。リファトの心配の仕方は過剰だが、エイレーネも自分なりに色々気を付けて過ごしていた。医学の知識に偏りはあるものの、知っている事があるだけ異変に気付くのもそれに対処するのも早いのだ。


「失礼致します。ただいま戻りました」

「失礼致します!あれ、ギヨーム先生!こんにちは!帰るところですか?」

「おお、アリアとジェーンか。丁度、診察も終わったところだよ」

「お見送りします」

「いい、いい。妃殿下に用事なのだろう?」

「ギヨームは私が見送るよ。二人はエイレーネに成果を報告するといい」

「はい」

「恐れ入ります」


 ギヨームと入れ替わるようにしてエイレーネの側に来た侍女の二人は、両手に籠を抱えていた。籠の中身がエイレーネに見えるよう傾けると、そこには新鮮な野菜や果物がぎっしり詰まっていたのだった。全部、農夫達からの贈り物である。

 懐妊してからというもの、エイレーネは城の外へ出掛けなくなった。はっきり禁止を言い渡されている訳ではないのだが、リファトが大層渋るのだ。その渋面を見てしまうと、エイレーネも足を踏み出せなくなる。というのも一度だけ、エイレーネが貧血を起こして失神しかけたことがあり、その時の彼の取り乱し様が悲惨だったのだ。「レーネ」と連呼する声の、なんと痛ましかったことか。いま思い出してもエイレーネの胸が疼く。

 しかし彼に余計な心配はかけたく無いのは本心とはいえ、交流のあった民達の暮らしは気に掛かる。その為、エイレーネの代理として使用人達が交代で出向ていた。今日はアリアとジェーンの番だったが、誰が行っても大抵何かしらの手土産を持って帰って来るのである。


「これはまた山盛りくださったのですね。こんなに頂いて大丈夫なのでしょうか…」

「心配無用ですよ!去年の水害が嘘みたいに、今年は稀に見る豊作なんですって!」

「たくさん召し上がって元気な赤ちゃんを生んでください、と伝言も預かってきました」

「マルコさんに美味しく調理してもらいましょうね!」


 使用人の中でもとりわけアリアとジェーンは生まれてくる赤児を心待ちにしていた。お産の手伝いができるよう進んで勉強するだけでなく、妊産婦のお世話を経験しておきたいと言い、近隣の夫人の所へ修行に行く程だ。いつ休憩しているのか分からず、エイレーネは折に触れて休むよう言っているのだが、未だ一度も聞き入れてもらえない。


「そうそう!エイレーネ様。お腹の中にいても、声は聞こえてるんですって!だからあたしが歌いますね!」

「いや、何が『だから』なんだ?」

「ユカルうるさい!はいアリア!手拍子!」

「え!?わ、分かったわ」

「一番、うるさいのはジェーンだぞ…」


 エイレーネには今、大きな重圧がのしかかっている。社交界とは切り離された古城にいるから忘れがちなだけで、貴族達は今後の動向に神経を尖らせているだろう。

 しかしここにいると外界のことで煩わずにいられる。ひたすら純粋に赤児の誕生を願う者達に囲まれ、エイレーネは顔を綻ばせた。屈託のない、眩しい笑顔だった。


「少し離れていた間に、随分盛り上がっていますね」

「リファト殿下。先生のお見送り、ありがとうございます」

「帰り際まで延々と小言を吐かれました」


 リファトも愉しげに笑いながら、エイレーネの隣に腰を下ろす。


「ふふっ……あら!」

「レーネ?」

「ジェーンの歌に合わせて、動いているみたいです」

「本当ですか!触れても?」

「はい。どうぞ」


 リファトがそっと彼女のお腹に触れてみると、ぽこんという胎動を掌に感じた。彼は幸福を噛み締めるように、口元をむずむずさせるのだった。




 新王の戴冠も済み、ようやく世間に平穏が戻ろうとしていた、ある日。

 ユカルが血相を変えて外から戻って来た。エイレーネがその場に居合せなかったのは幸いだった。それだけ彼の顔色は事の深刻さを物語っていた。

 ギヨームからとうとう締め出しを食らったリファトであるが、ユカルを見つけるとすぐ寝室から遠ざかった。言われずとも、今はエイレーネの耳に入れるべきではない内容だと直感が告げていた。皆が出払っている使用人部屋へ行くと、ようやくユカルに何があったか問い正した。彼は苦渋の色を浮かべながら、低い声で告げるのだった。


「…第三王子の子が、昨夜亡くなりました」

「!?」


 リファトは咄嗟に己の口を手で覆った。そうしなければ驚愕の声が飛び出ていたに違いない。

 アンジェロの息子が死んだと聞かされて、即座にリファトの頭に浮かんだのは、言うまでもなくエイレーネの事であった。


「…兆候はあったのか?」

「夏に酷い感冒を患って以降、体調を崩したままだったそうです」


 待望の男児は生まれた時から病弱だと宣告されていた。故に王妃ニムラが腕利きの侍医をつけ、毎日診察させていたと聞く。あのニムラの目を欺き、世継ぎを殺害するのは難しいだろう。となれば病死の線が濃厚だ。


「ずっと微熱が続いており、昨夜はかなり高熱が出ていたと小耳に挟みました」


 子供が熱を出すのは珍しい事ではない。大人であっても、ただの風邪だと思っていたらそのまま帰らぬ人に、という事は起きる。とはいえ、突然の訃報にリファトも平静を装えなかった。

 この時代ではまだ解明されていなかったが、男児の死因は先天的な性病によるものであった。心臓に欠陥を持って生まれた為、こうも早く命を落とす事となった。性病という概念はあれど、それが親から腹の子へ感染するとは知られていない。よってアンジェロの息子は、原因不明の死として片付けられるだろう。


「…母上は、どうしておられる」

「今は狂ったように泣き叫んでいると…」

「正気に戻られたら、怪しい人間は片っ端から排除されるだろうな」


 リファトは苦々しげにそう絞り出した。世継ぎ問題が振り出しに戻ったとなれば、人々の関心は全てエイレーネに向くこととなる。ニムラなどはその筆頭だ。もしもエイレーネが王子を産もうものなら、なりふり構わず排除しにかかるだろう。王家の存続がかかった重い期待も、命を狙われる恐怖も、エイレーネが一手に引き受けなければいけない。


「…使用人全員に箝口令をしいてくれ。決してエイレーネに悟られないよう、細心の注意を払え」

「しかしいつまでも隠し通せるとは思えませんが…」

「もうすぐ産み月に入る…彼女にこれ以上の心労はかけたくない。折を見て、私から話そう」

「承知しました。万事そのように致します」


 ユカルはその日のうちに、全使用人へリファトの命令を伝えた。特にエイレーネと接する機会の多い侍女達は、動揺を隠すのが難しかろう。伝令は早い方が良いと思った。けれどアリアとジェーンは想像を遥かに凌ぐ優秀な侍女へ成長していた。青褪めた顔色を直ぐに戻し、つい先刻と何ら変わらぬ態度でエイレーネと談話していたのだ。

 他の使用人達も団結し、エイレーネを世間の騒乱から保護した。新王フェルナンからは親衛隊の増援が送られてきたが、リファトの判断によって城内には立ち入らせなかった。エイレーネの近くを守るのは、ユカルが厳選した数名の精鋭だけだ。彼女に勘繰られてしまうのを避けるためでもあった。


 ところが、考えうる最悪の形で秘密は露呈する羽目になる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ