74 毒蛙
いつもの顔琉ではなく、明らかに怒気を含んでいた。審判は襟首を掴まれ、そのまま外へと連れ出された。暫く歩き、顔琉は小川を見つけると審判をその中に放り込んだ。大きく水飛沫が上がり、小魚が逃げる。夏近しとはいえ、川の水はまだ冷たい。
「少しは頭が冷えたか? 小僧」
「酷いなあ。こんなことをして、一体何の意味があるのですか」
「惚けるな。たかだか相続争いで、女、子供を手にかける小人だったのか、袁尚は。しかも自分の身内だぞ。猿の子殺しでもあるまいに、まさに鬼畜の所業よ。オマケにその蛮行には貴様の父が加担しておっただと? 大変なことを今の今まで黙っていてくれたな」
「当然ですよ。言えば貴方が頭に来るであろうことは想像できますから。今のようにね。それに人は誰しも、身内の恥は隠しておきたいものでしょう」
「お説ご尤もだがな、父の所業を恥と知りつつ、従うお前は一体なんだ。父親以上の恥知らずではないか。蛙の子はとんだ毒蛙であった」
「それで? 私の根性でも叩き直しますか?」
「叩いて直るくらいならそうするが、儂はもうその気も失せた。今まで散々引っ張り回されてきたが、それももう今日限りだ。二度と生きて会うこともあるまい」
「有難うございました」
審判は小川の浅瀬に膝をつき、深々と頭を下げた。その神妙な態度に顔琉の調子は些か狂ってしまった。
「のう、これでもう分かったであろう。袁尚など忠誠を尽くす価値もない。高幹が攻められておるのを良いことに、自分は北へさっさと逃げ出すような男だ。しかも兄の身内を殺しておきながら、その兄まで道連れだ。お前も同じ目に遭うのが関の山だぞ」
「分かっています。もう袁尚は戦う気など毛頭なく、逃げて生き延びることに精一杯なのでしょう。まあ、その生への執着には見習うべき所もありますが、関われば間違いなく、捨石か盾として利用されるでしょうね」
「そこまで分かっていながらお前は袁尚の元に赴くというのか。娘っ子を差し出すというのか。一体どこまで豎子なのだ。いや、愚か者だ。阿呆だ。大馬鹿者だ」
「待って下さい。確かに私は甄梅を袁尚の元に連れて行きます。父との最後の約束ですから。ですが、甄梅を差し出すつもりはありません。そこは私の意志です」
顔琉は呆気にとられた。
「連れては行くが差し出しはせんというのか? では、何のために袁尚の元へ行くというのだ」
「袁尚の横っ面を張り倒してやるのです」
顔琉は暫く呆気にとられていたが、やがて笑い出し、大声で哄笑した。
「やれやれ。何処まで行っても豎子じゃのお。有無を言わさず水浴びさせて済まなんだ。だが、黙っておるお前も悪いぞ。ほれ、立て。そういうことなら、儂も力を貸すぞ」
顔琉は審判の体を引き起こし、二人は村長の邸へと戻った。
「一体どうしたのよ? 審判ったらずぶ濡れじゃない。あーあ、顔琉さんの足元も。二人で何やってたんですか」
甄梅が出てきて二人を窘めつつ、審判の顔や体を手拭いで拭う。自分でやるからという審判をよそに、文句を言いながらも甄梅はやめない。よく見ると甄梅の手は随分荒れていた。これまでの長旅で甄梅も随分逞しくなった。その甄梅に世話を焼かれていると何か気持ちがいい。審判が意味もなくニタニタしていると、
「何? もしかして私のこと、馬鹿にしてない?」
いきなり心を読まれたと思った審判は適当にごまかす。すると邸の外が騒がしくなった。騎馬の一団が村に押し入ってきたようだ。暫くすると村人達が審判達の元へ駆け込んできた。