76話 家族旅行
領都に戻り、年を越した。
俺は27才になる。
この年は大きな事件などもなく、俺は屋敷で子供たちの相手をし、のんびりと暮らしていた。
長男シモン9才、嫡男のロベール6才、三男レイモン4才、長女エマ7才。
シモンとロベールは既にエンゾから教育を受けており、エマも同様に淑女としての教育が始まっている。
それ以外にも聖職者から教えを受けたりしているようだ……子供たちの教育はリュシエンヌに一任しており、俺はあまり口出しはしないようにしている。
船頭多くして船山に登るという……あまり主導権争いをしても良いことなどは無い。
ちなみにアモロスでは同じような意味で『台所に女が増えるとスープの味がだめになる』と言う。
言い得て妙だ。
この日、俺は庭で子供たちを相手に剣術を教えていた。
何故かエマもキアラも混じっているが、まあ構わないだろう。
山を走り回り食べ物を採取していたキアラには、貴婦人としての生活が退屈で仕方がないらしい。
大人たちはキアラを「王女」として扱い、良くも悪しくも対等には接しないが、俺の子供たちは別だ。
今では退屈しのぎに子供たちと遊ぶことが多いらしい。
また、周囲も慣れたもので、キアラが何やら奇行を始めても屋敷の者たちは「キアラ様がまた何か始めたぞ」くらいの感覚なのだ。
外国人の王族だから仕方ない的なノリである。
そして男の子に混じって育ったエマもお転婆だ。
隅っこの方でレイモンとエマがキアラを相手に剣術ごっこをしている。
エマはキアラと仲が良く、姉妹のようにも見える。
ちなみにキアラはレイモンをベッタリと甘やかす。
これは自身の母乳を飲ませたことと深い関わりがあるのだろう(69話参照)。
そして俺はキアラたちには構わず、シモンとロベールに剣と盾を持たせて稽古をつけていた。
お遊びではない。
「ふんっ」
俺が勢い良く手を振るうと「ぐえ」と情けない悲鳴を上げながらシモンが吹っ飛んだ。
「父上、今の技はなんだ!?」
シモンが悔しげに尋ねるが、技でも何でもない。
ただ力任せに盾の上から掌で押しただけだ。
「何でも聞かずに先ずは自分で考えろ、次はロベールだ」
俺はロベールに向かうと、明らかにロベールは怯んでいる……怯えていると言っても良い。
「怖いか? ロベール」
俺が尋ねると、ロベールは消え入りそうな声で「怖いです」と呟いた。
こう言っちゃなんだが、ロベールはスミナやアンドレの普通遺伝子を色濃く継いでいる。
言動の派手なシモンと比べると実に地味だ。
だが、決して臆病では無い。
大人でも俺みたいな大男との剣の稽古を恐れるのは当たり前だ。
そこで泣き出したり逃げ出したりしないだけ見込みは十分にあると思う。
普通の人間は俺やシモンのように敵と見るや飛び掛かるような闘争心は持ち合わせていないのだ。
「怖ければ身を守れ。先ずは盾を構えてみろ」
「はい」
大人しいロベールは見た目こそ黒目黒髪であるが、気質や体格は俺に似ておらず、剣術などの武術は好まない様だ。
だが、俺の嫡男であれば好むと好まざると戦場に出て兵を率いねばならない。
下手に甘やかしても良い結果を生むとは思えない……俺も真剣にロベールと向き合う。
「そうだ、盾は斜めに、敵の剣を流すか、弾くんだ……行くぞ」
俺はゆっくりと剣を振るい「弾け! 流せ! 弾け! 流せ!」と基本の型を教えていく。
盾は正面から敵の攻撃を受けては壊れやすい。
流すか、弾くのが基本だ。
稀に敵の剣をわざと受け、盾に食い込ませた剣を奪う強者もいるが……そんなのは例外だ。
「よし、自然に出来るまで良く稽古しろ。ロベール、敵を怖がるのは悪いことじゃない……俺だって怖いと思ったことはある」
「父上が?」
不思議そうな顔を見せたロベールに俺は「そうだよ」と笑いながら初陣の話を聞かせた。
父や兄も不在の中、倍以上の敵と対決し苦戦を強いられた苦い記憶だ。
「お前も知ってるだろ? ジャンやロロ、アンドレにタンカレー……皆が助け合って勝ったのさ。叔父上やヤニック……ジローの親父さんもいたな」
いつの間にかシモンも神妙な顔で聞いている。
シモンは生意気で利かん坊だが、戦の話は大好きで良く俺にもねだる。
俺はなるべく戦を美化しないように伝えるように心がけながら、戦場の心得を伝えていく。
彼らが、少しでも生き延びることが出来るように。
「ロベール、シモン……だから学友や家来、仲間は大切にしなければいけない。怖くても仲間がいれば支え合えるんだ……分かるか?」
俺の言葉に頷く息子たち……何とも可愛らしい存在である。
「さあ、最後にもう一回だけやるか?」
「おう!」
俺の言葉にシモンは勇み立ち、歯を剥き出しにして俺に襲い掛かる。
……何とも、すごい迫力だ……
俺はシモンの相手をするときは既に油断などしてはいない。
エンゾの仕込みは素晴らしく、9才にしては体も大きいシモンは既に半人前の戦士くらいの実力はある。
「だが、まだまだ………っと!?」
俺がシモンの相手をしていると不意に横から盾が突き出された。
死角から俺を狙った盾の一撃を躱わしきれず、俺は腕を上げて何とか直撃を防いだ。
「ロベール、やるじゃないか!」
シモンが嬉しそうな声を上げた。
不意打ちを仕掛けてきたのは意外にもロベールだったのだ。
先程教えたばかりの盾で弾く動きで俺を殴り付けたのだ……中々センスがある。
「兄上の危機を見過ごせません。兄弟も助け合わねば」
「ははっ、助かったぜ!」
シモンとロベールがニタリと笑い合う。
ロベールは先程の話に感化され、シモンを助けに入ったらしい。
嗚呼、美しきかな兄弟愛。
その後、可愛い息子2人が怒れる俺にボコボコにされたのは言うまでもない。
……中途半端に自信をつけて欲しくないからな……決して仕返しをしたわけでは無いぞ。
………………
夕飯時
俺は家族で食卓を囲む。
とは言っても、ベルは別に屋敷があるので、ベルとシモンとレイモンは別だ。
この辺のルールはいつの間にか決まっており、俺は口出ししていない。
何故かキアラは一緒なのだが……この辺は謎だ。
「母上、来月にも交易路の確認も兼ねて1度ドレーヌ子爵領に行きたいと思うのですが、ご一緒しませんか?」
俺が声を掛けるとリュシエンヌは少女のようにキラキラと目を輝かせた。
「まあ! 嬉しいわ、凄く! ……でも、17才の時に嫁いで1度も帰ったことが無いわ。今さら行っても知り合いも居ないし……」
俺の母であるリュシエンヌは寂しげに微笑み、手元のスープを眺めた。
今日のスープは魚醤で味つけられている……リュシエンヌの故郷の味だ。
前回、ドレーヌ子爵から王都で貰った魚醤は俺が1人で使ってしまい、リュシエンヌには渡せなかった。
反省した俺は、今回はお土産としてリュシエンヌに魚醤をプレゼントしたのだ。
その時のリュシエンヌの喜びようは大変なものであり、涙を流して魚醤入りのスープを飲んでいた……俺も醤油と味噌が有れば似たような反応をするかも知れない。
ちなみに我が家で魚醤が好きなのは俺とリュシエンヌだけである。
ベルなどは魚が大嫌いで魚醤の匂いだけで露骨に顔をしかめるほどだ。
「母上、そう言わずに……ロベールとエマも連れていきたいのです。ベニュロ男爵領にも立ち寄り、エマの婚約者とも挨拶をしたいと思いますし……母上が来てくれれば心強い」
「もう、いつまでも母親に甘えて」
リュシエンヌは俺に小言を言いながらも少し嬉しそうにした。
彼女は俺を溺愛しており、わりとチョロい。
「スミナは……お腹に子供がいるし……ベルは……魚が苦手じゃ港町は辛かろうし、キアラは行くか?」
俺が尋ねるとキアラは「いく」と機嫌良く答えた。
最近ではキアラも片言で会話ができるようになった。
レイモンと一緒に言葉を習ったのが良かったらしい。
キアラは18才になったが、あまり背は伸びなかった。
シモンと比べて10センチくらい高い程度だ……150センチくらいだろうか。
俺と並ぶと正に大人と子供だ
彼女の体つきはそれなりに丸みを帯びたが、ボインのスミナや、スタイルの良いベルと比べれば背徳的な体つきだ。
とても出産の経験があるとは思えない。
……それぞれ違って皆が良い。互いが互いを高め合う……最高の布陣ではないか我が軍は……
俺はニヤケながら「うむうむ」と頷いた。
「バリアン、すけべ、いやだ」
「いけませんよキアラ様、はしたないですよ」
キアラが俺の視線に何かを感じ、苦情を言いかけたがスミナが軽く嗜める。
するとキアラは「はい」と素直に返事をした。
キアラは世話を焼いてくれるスミナの事を大変慕っており「ねえさん」と呼ぶ。
何故かベルのことは「ベル」と呼ぶのだが……この辺の関係は謎だ。
「そうね、行きたいわ。両親やお兄様のお墓も参りたいし……身重のスミナさんを残すのは気がかりだけど」
「もう3人目ですし大丈夫です。お留守は私とベルさんに任せて下さい……エマとロベールをお願いします」
リュシエンヌとスミナの間でも話はまとまったようだ。
「そうだ、エンゾとシモンにも声をかけよう。見聞を広めるのは良いことだ」
俺が提案するとエマとロベールも喜んだ。
リュシエンヌの薫陶を受けた彼らの兄弟仲は非常に良い。
「ふふ、エマの旦那様が見れなくて残念ね」
スミナが悪戯っぽく笑うとエマが「やめてよっ」と恥ずかしがった。
……家族旅行か……前回は何時だろ?
俺はぼんやりと田中の人生を思い出す。
たしか長男がサッカークラブに行き始めてから日曜は練習やら試合やらで日程が合わなくなり、毎年の家族旅行が無くなったはずだ。
……いや、それよりも父上や兄上と王都からこっちに来たときが……あれ?
俺は田中の記憶とバリアンの記憶の境目があやふやになっているのを感じた。
以前の記憶を「忘れた」と言うのでなく「混ざって」いるのだ。
田中だったころの記憶を思い出そうとすると顕太の顔がシモンになっていたり、妻だった由美子を思い出すとロナになっていたりする。
……そもそも、この脳はバリアンのものだ……田中の記憶はどこで覚えているんだ……?
俺は何だかゾッとしてきた。
驚いたことに、俺はすっかり「田中」だったことを忘れていたのだ。
俺はすっかり「バリアン」として生きていたが、久しぶりに自分が「田中正」だった事を思い出し、得も言われぬ不安が押し寄せてくるのを感じる。
『田中は突然バリアンになった。ならば突然消えるのでは無いか』
考えないようにしていた不安に取りつかれ、落ち着かなくなる。
ツ、と背中に嫌な汗が流れるのを感じた。
「……え! ……た……大丈夫? 顔色が悪いわ」
ふと、我に返るとスミナが気遣わしげに声をかけてきていた。
見れば皆が俺を心配そうに覗き込んでいた。
「いや、すまん……少し……いや、何でもない」
俺はその場を取り繕い、何事も無かったように食事を続けた。
……今の状態を考えても分からない。ならば無駄な心配をするのは止めよう……
俺は詰まらない思考を止めた。
結論の出ないことを悩むのは不毛だ。
「やっぱり顔色が悪いわ。どこか悪いんじゃ……」
「うん、少し風邪引いたみたいだ。皆に移さないようにしないとな」
心配げなスミナに「心配しないでくれ」と伝え、一気にスープを飲み干した。
何かの味に似ている気がするが、もう思い出せない。
俺がアモロスに来て20年も経ったのだ。
……別に構わんさ。田中はとっくに死に、俺はバリアンとして生きている。
俺は『無くて元々』と思い込むことで不安に蓋をした。
「そんなに見るなよスミナ……そんなに良い男かな?」
俺が冗談を言うと呆れた顔のエマがため息をつき、リュシエンヌが「子供がため息をついてはいけません」と小言を言った。
………………
雪が溶け、春が来た。
俺は家族を引き連れて花嫁街道を越え、北東部を回る。
家族旅行を兼ねるとは言え護衛も物々しく、同胞団を50人も引き連れた行軍に近いものだ。
護衛部隊の指揮官としてはロロとジョゼが同行する。
シモンとロベールは完全武装の同胞団を見て「すげえ! すげえ!」と喜んでいた。
この辺の無邪気さはやはり子供だ。
「シモン、ロベール、それぞれ別の馬車に乗るんだぞ」
俺は2人に声をかける。
シモンは「なんでだよ」と不満を口に出し、ロベールは何かを言いたげにしたが「はい」と素直に答えた。
……この辺が母上がロベールを溺愛する由縁だろうな……
俺は苦笑し、ロベールの頭を撫でた。
「奇襲を受けたときに1度に死なない用心だよ」
俺が伝えると2人の顔が強ばった。
事実、旧エーメ子爵領は安定しているとは言い難く、何が起こるかは予測できない。
見ればロベールが露骨に不安そうな顔をしている。
俺は少し脅かしすぎたかと反省し「万が一の用心だ」と笑った。
「エンゾ、子供らは任せたぞ」
俺は傅役のエンゾに声を掛け、同胞団の前に出る。
すでに一行の支度は整い、子供たちは馬車に乗り込んだ。
「出発だ」
俺が馬上でシンプルに指示を出すと、一行はゆっくりと動き出す。
スミナとベルに見送られ、俺は馬腹を蹴った。





