125話 悪い顔
バシュラール城、広間
ここに今、諸公やリオンクールの幹部などが集まり全体会議が開かれた。
「先ず、この地図を見て欲しい」
ダルモン伯爵は挨拶もそこそこに大きな地図を広げ、巻き戻らぬように地図の端にインクの小壺を置いた。
「これは伯爵領の地図だ、今から敵対勢力の拠点に印を置いて行く。赤と黄、これは敵だ」
伯爵は次々と色を塗った石を並べていく、一見して赤はかなり多いようだ。
地図の左側、伯爵領の西から中央にかけ多くの拠点に赤い石が置かれていく。領都のダルモン城も赤だ。
次に伯爵領に流れる肱川から東には黄色の石が置かれていく。
「2色と言うことは、敵は……」
「そうだ、兄シャルロは黄色、弟のクレマンは赤だ。どちらも盆暗だが、それ故に有力者の支持が厚い……まあ、軽い御輿にちょうど良い阿呆どもだ」
ピエールくんの疑問にダルモン伯爵が答えた。
この場には基本的に爵位のある者が集まり、それ以外の幹部や陪臣は少し離れた位置で囲むように並んでいる。
「成る程、この2者に協力関係は?」
ピエールくんは重ねて尋ねた。
誰もが疑問に思うことを質問し、会議を進めてくれているのだ。
「無い。椅子は1つ、馬鹿は2人だ。他にも兄弟はいるが、この2人は特別に阿呆だ」
ダルモン伯爵は散々に兄弟たちを貶す。
兄弟仲は極めて険悪らしい。
……まあ、その阿呆に追い出されたくせに、とか言ったら駄目だよな……
俺は余計なことは言わないように静かにしていた。
「そして、この何も色の塗っていない黒い石……これが味方の拠点となる」
伯爵はコトリと黒い石を南の拠点に1つ置いた。
「え、1つ?」
つい、声が出た。
地図の南端に石が1つだけ置かれている。
「そうだ。ダルモン伯爵家にはダルモン城以外にほとんど領地がない。自治都市は手近な強いものに靡くだろう」
つまり、ダルモン伯爵は完全に追い出されたらしい。
俺が『敵を誘き出せ』と指示した結果だが、ここまで領内が敵だらけとは恐れ入る。
ちょっと嫌われすぎだろと思わなくもない。
「この南の城はプッサン城。バカどもが挙兵したら鉄盾兵たちに確保するように命じたのだ。ここを橋頭堡として軍を進めるのが良いだろう」
「なるほど、拠点があるのと無いのでは話が違うな。で、何処までやるんだ? 敵をやっつけて、伯爵をダルモン城に帰して和平か?」
淡々と状況を説明する伯爵に、ジャンが『戦略目標』を訊ねた。
確かに『戦略目標』がハッキリ有るのと無いのでは軍の進め方も変わってくるだろう。
伯爵は目を瞑り、黙り込んだ。考えを纏めているらしい。
「……そうだな、めぼしい敵は皆殺しにしたいところだ。少なくとも弟を担ぐ騎士オージェと兄を支持する騎士ビゼーだけは逃がしたくない」
ダルモン伯爵の目が力を得て細く、鋭くなった。
戦略目標は敵の殲滅……凄い話だ。
「特にオージェ家は一門も含めると伯爵領の3分の1近い領地を持っているのだ。この機会に没収し、伯爵家の権力を強化せねばリオンクール王の下で十分な働きはできん」
この言い種を聞いて俺は苦笑してしまった。
……なるほど、モノは言いようだな……
要はダルモン伯爵はリオンクールの兵力で領内の有力者を一掃して集権化を図りたいのだろう。
強引に事を運んでも「俺のバックにはリオンクール王がついてるんだぞ」と睨みを利かせて黙らせる腹なのだ。
俺の庶妹を娶るのもその一環だろう。
母が卑しかろうが、リオンクールとの繋がりをアピールするのは必要なことなのだ。
ここはむしろ古女房と息子は救出せず、不幸な事故として始末した方が喜ばれるかもしれない。
「敵の兵力は?」
「我が領の兵力は最大で3300人……いや、もう少しいけるか……3500だ。恐らく兄のシャルロは多く見積もっても1000も集まらんだろう、800人ってとこか。弟のクレマンはオージェ家が付いてるからな……恐らくは1500人、多く見て2000弱だな」
戦好きのジャンはやる気満々で話を進めている。
どうやら彼にとってはコクトー男爵では役者不足だったのだろう。
「なるほど、残りは味方になるのか?」
ジャンが尋ねると伯爵は「まさか」と苦笑した。
「残りは様子見さ、状況次第で敵にも味方にもなるだろう。俺の兵力は鉄盾兵と僅かな子飼いだけだ。200だな」
ダルモン伯爵は飄々としているが、これは支持者の数でもある。
これで良く政権が運営できていたものだと感心してしまった。
普通なら完全に詰みの状況である。
……確か軍事の失敗から支持を失ったと聞いたが……なかなか厳しい状況ではあるな……
だが、俺はダルモン伯爵にはまだ運が残っていると見た。
彼は土壇場で『リオンクールとの密約』という逆転の手札を手にしたのだ。
この運と言うやつは侮れない。
ただ「その場にいただけ」で思わぬ出世をしたり、流れ矢で死んだりするのが騎士稼業だ。
戦士は特に武運と呼んでこれを尊ぶのである。
俺は地図をじっと眺めて戦略を練る。
……先ずは数が多いクレマン派を叩くか? いや、あまり派手にやればシャルロ派は戦わずに降参するかも知れない……それでは駄目だ……
ダルモン伯爵の狙いは敵の殲滅。実際に殲滅は無理でも両陣営を叩いてダメージは与えたい。
……ならば、同時だ。こちらの兵力なら二正面作戦も可能だ……
俺は考えを纏め、地図から顔を上げて諸将の顔を見渡した。
皆が戦意に満ちている……これならば数で劣る相手に後れは取るまい。
詰まるところ、戦で1番大事な要素は士気だと思う。
どれ程優れた装備を与えようが、訓練を重ねようが、士気が無ければ兵は戦わない。勝手に逃亡してお仕舞いだ。
そして兵の士気を高めるのは将の戦意である。将の戦意は兵に伝わり、士気となるのだ。
「良し、軍を分けよう。片方ずつ攻撃しては残った方が戦力を温存したまま降参してしまうかも知れない。同時に攻めて両方に打撃を与える」
「宜しいのですか? 軍を分けると危険は増しますが」
俺の言葉を聞き、今まで黙っていたポンセロが発言した。
ポンセロは準男爵、俺のすぐ側で会議に参加していた。
「ああ、あまり大軍だと補給の問題もあるしな。伯爵もよろしいですか?」
「ああ、助かるよ。できれば両方とも勢力を削りたいからな」
ダルモン伯爵は「恩に着る」と頭を下げ、手早く石を片付け地図を巻いた。
「この地図はリオンクール王に献上しよう」
伯爵が俺に地図を手渡すと、周囲が「おおっ」とどよめいた。
領主が地図を差し出すと言うのは土地を明け渡すのと同じ意味があり、臣従の申し出である。
「有り難く受け取ろう。私からはこれを」
俺は腰に佩いていた曲刀を剣帯から外し、伯爵に手渡した。
これは一種の主従関係の成立を意味している。
情勢が落ち着けば正式にコレーを行う必要があるが、今はこれで十分だ。
「頂戴する、変わった形の剣だ」
「ええ、我が領の鍛治にセプテントリオネス諸島の武器を真似て作らせてるのです」
伯爵は興味深げに曲刀を眺めている。
この曲刀は新作で、より刀に近づいた形状をしている……まあ、まだまだ刀と言うよりは鉈に近いが、それでもかなり刀身に反りがある。
「ダルモン伯爵は別動隊をお願いします。敵から何か言ってきたら、俺たちは『ダルモン伯爵に言え』と突っぱね、そちらは『バリアンに言え』とあしらって下さい。これで降参まで少なくない時間が稼げる筈です」
この俺の言葉に皆が「どっ」と笑う。
馬鹿馬鹿しい作戦ではあるが、たらい回しは時間稼ぎにはピッタリである。
「別動隊の編成はドレーヌ伯爵を大将とし、アルボー子爵とゲ男爵……それにダルモン伯爵。攻撃目標はシャルロ軍」
総勢3000人に近い軍勢である。俺は軍を真っ二つに割ったのだ。
「ドレーヌ伯爵、お願いします」
俺がドレーヌ伯爵に声を掛けると、彼は「お任せください」と落ち着いて応えた。
「ダルモン伯爵、プッサン城の守りはこちらで受け持ちましょうか?」
「ああ、助かる。あと村や都市では……できる限り補給以外での略奪を控えてくれ。城は散々に荒らしてもらって構わない。捕虜の扱いも任せよう」
ダルモン伯爵はすでに戦後の統治の事を考えているらしい。
騎士階級を弱らせて影響力を削ぎたいようだ。
「オージェ家の城を重点的に狙いますよ。あと、できるだけ怖そうに振る舞いますよ」
俺がニヤリと笑うと、ダルモン伯爵は「さすがだな。思いっきりやってくれ」と嬉しそうにニタリと笑った。
実に悪い顔である。
今回、俺はダルモン伯爵領で飴と鞭の鞭を担当すれば良い。
これから伯爵領で生意気な家来が出たら「バリアン呼ぶぞ」と脅しつけられるようにするのだ。
敵を散々に痛めつけ、リオンクールに逆らうことはできないと心の底まで恐怖を叩きこむのである。
「良し、支度が整い次第北上し、プッサン城から別行動だ!!」
俺が高らかに命じると、諸将は「はっ!」「お任せください」「おう!」と個性を出しながら威勢よく応じた。
こうして、ダルモン伯爵領の反乱を鎮めるためにリオンクール軍は動き出す。
敵はまだ、リオンクール軍の北上に気づいておらず、無警戒であった。
地図は現地の人が書いた概念図に近いものです。
ややこしいので村や中立の拠点は書かれていません。