114話 偉躯の王
「うぐ、おぷ……」
俺は胃から競り上がってくるような不快感で目を覚ました。
体を起こすと、まだ体がフワフワとしている気がする……酔いが残っているのだ。
……ぐ、まずいぞ……吐きそうだ……
ふらふらと井戸に向かい歩き出すと、まだ日は昇っておらず外は暗い。
所々にゴミや汚物が固められ、酔い潰れた酔漢が端に寄せられている……乱痴気騒ぎが終わり、ある程度は片付けも為されたようだ。
……あ、駄目だ……
俺は汚物の掃き溜めに近寄り、一気に胃の中のものをぶちまけた。
胃の収縮を感じ、何とも言えない不快感を感じる。
……あー、胃を痛めたかな……?
2度、3度と繰り返す内に吐き出すものが尽き果て、少しは気分もマシになった。
井戸まで歩き、服を脱ぎ捨て頭から水を被った。
冷たい水が意識を覚醒させてくれる。
2度ほど嗽をし、水を飲むが、胃が受け付けず全て吐き出してしまった。
酷い二日酔いだ。
「やあ、酷い様だな……今日の式典に出れるのか? 井戸に落ちるなよ」
俺がゲロゲロと嘔吐いていると、不意に後ろから声を掛けられた。
振り返ると、そこにいたのはユーグであった。
「式典? ……今日はもう7日目か……丸1日寝てたのかな?」
「おいおい、大丈夫か? 諸公会談は2日とも大騒ぎになって、翌日は翌日で町中で騒いでたのさ。今日は7日目、即位式だろ?」
俺は「うーむ」と唸るが、諸公会談の初日までしか記憶がない。
「ユーグ、こんなに時間に来て何か話でもあるのか?」
「まあな、どこかのタイミングでお前を捕まえて話がしたかった……一昨日から交代で待ってたんだぞ」
ユーグはニヤリと笑い「もう1人来るから着替えてこいよ」と告げた。
改めて見ると、俺が脱ぎ捨てた服は相当ばっちい感じになっていた。
「ああ、ちょっと待っててくれ」
俺は酒でガラガラに荒れた声でユーグに告げると、私室に戻り着替えをした。
私室ではスミナが幼子のリナと共に寝ており、物音で起こさないように気をつけて歩く。
我が正妻様は「ふんごご」と豪快な音を発していた。
彼女は太ってからイビキが酷い。無呼吸症候群が心配だ。
イビキを止めるために彼女の鼻を軽く摘まむと、寝返りをうちながら手を払い除けられ、ついでに「ぶりり」と屁までこかれた……上から下まで賑やかなことである。
妻も32才だ……立派なオバサンになった。
それでも愛している。
人は見た目も性格も大きく変わる生き物だ。
いちいち好きになったり嫌いになったりしていては結婚生活など維持できる筈がないじゃないか。
俺は「2人とも愛しているよ」と小さく囁く。すると愛しの妻は「ぶり」と尻で返事をした。
………………
その後
ユーグが言っていた「もう1人」と合流し、俺たちは屋敷の一室で密談をしていた。
その相手とは意外なことにルイ・ド・ベシーである。
リオンクール、フーリエ、ヴァーブルの者が夜も明けぬ内に集まり語り合う……まさに「密談」と言ったムードだ。
彼らの持ち込んだ話は興味深いモノであった。
先ず、ベネトー公爵がマティアス王と和平を結んだ。
ベネトー公爵はディルス子爵と手を組みマティアス王に抵抗していたが、数年に渡る抗争に音を上げたらしい。
彼らはマティアス王を認め、その傘下に加わったのだ。
これに困ったのが両家と連携をとっていたフーリエ侯爵だ。
今はまだ然程ではないが、時を置けば王都からの圧力が増すのは間違いないだろう。
「そこで、新たな同盟者を探しているのさ。候補はリオンクール王国かヴァーブル侯爵ってわけだ」
ユーグは聞き捨てならない情報を口にする。
リオンクールは理解できるが、ヴァーブル侯爵はマティアス王を支える支持基盤と言っても良い与党だ。
……それがフーリエ侯爵と結ぶだと……?
マティアス王が落ち目ならば見捨てるのも理解できる。だが、ベネトー公爵を下した今、王都は勢いに乗っているはずだ。
俺が疑惑の目でベシーの様子を窺うと、彼は「簡単な話なのです」と苦笑いした。
「侯爵は王太子と上手く行っていない……マティアス陛下も来年には60才になります」
「成る程、当代を支えた功臣が次代で疎まれるのは良くある話だ」
俺は納得し、深く頷く。
こんな話は会社組織でも珍しくない。
要は社長交代時の新社長と古参社員の対立である。
先代社長を支え続けた古参社員には先代を支えてきたという自負があり「会社のためならば、新社長に言うべきことを言ってもいい」という意識を持ちがちなのだ……古参社員は先代社長の『戦友』でもあり、新社長の『先達』のつもりで様々なことに口を出す。
当然、新社長は面白くない。
新社長は「老害」だと毛嫌いし、古参社員は「若造」だと互いにバカにする。
こうした軋轢はありがちだが意外と根深いものだ。
今回の対立もマティアス王が健在の今は表面化していないが、代替わりが終われば些細な確執が積み重なり、大きな亀裂を生むだろう。
……その前に逃げ道を作ろうってのか……賢い立ち回りだが……
ヴァーブル侯爵はマティアス王を擁立して先王アンリ2世を廃した男である。
それが、折り合いが悪いからとマティアス王の息子への謀叛を企んでいるのだ……正直、関わり合いになりたくないタイプではある。
「どうだろうな? 正直に言えばヴァーブル侯爵を同盟者にするには不安なとこもある。弱り目に逃げ出す仲間など必要ないからな」
俺はベシーに同盟はお断りだとハッキリ告げた。
ヴァーブル侯爵には以前の和平交渉で嵌められた(60話参照)と言う意識もあり良い印象がない。
ユーグには悪いが三者同盟ならお断りである。
「おいおい、ちょっとは……」
「いえ、ブラール卿、良いのです。当家は前科が有りますし、当主は陰謀好きですから」
慌てたユーグをベシーは宥め、何事も無かったかのように平然としている。
どうやら同盟を望んでいたわけでは無いようだ。
「我が主、ヴァーブル侯爵は威張りたいのです。誰かに命令されるのは嫌で嫌で堪らない、自分の上に誰かがいるのが許せない……私から言わせれば50才の子供ですよ」
俺はこの言い種に「ぷ」と失笑し、慌てて「失礼」と謝った。
だが、ベシーは気にした様子もなく話を続ける。
「マティアス陛下を擁立したのも威張りたかったからです……始めは上手くいきました。陛下は侯爵に大いに気を使い、侯爵の自尊心は満たされた。ですが……」
「そこで王太子か」
俺の相槌にベシーが「そうです」と頷いた。
「王太子は侯爵が威張るのが許せない、侯爵は王太子が威張るのが許せない」
俺はベシーの言葉を聞いて馬鹿馬鹿しくなった。
散々世の中を引っ掻き回して、やってることは幼稚園の砂場の取り合いと同レベルだ。
中世的と言えば中世的ではある。
「そこで、飛び込んできたのがリオンクール卿が王に即位する話です。侯爵は衝撃を受けた……『王になることができるのか』と」
「成る程ね、読めたぞ。ヴァーブル侯爵も独立する腹か。そこで俺の承認が欲しいんだな?」
俺の言葉にベシーは「その通りです」と真面目な顔で頷いた。
「悪くないかもな……ユーグ、フーリエ侯爵も独立して王になれよ。数は多い方が王都の注意が逸れて良い」
ユーグは「うーん」と難しい顔をした。
さすがに彼の裁量できる範囲を超えているのだろう。
しかし、彼の困惑はよそにして、俺は言葉を続ける。
「フーリエ侯爵との同盟はこちらも望むところだ。ただし、ヴァーブル侯爵の扱いが難しいから対アモロスに限定した軍事同盟はどうだろうか? アモロス王軍がフーリエ領を攻めれば俺たちが王都の背後を狙う。逆ならフーリエ侯爵が王都を狙うわけだ」
生真面目な兄はどうしたものかと考え込んでいるが、ここに至ればフーリエ侯も独立するだろう。
俺が先鞭をつけ、ヴァーブル侯爵が続くなら心理的なハードルは随分と引き下げられるはずだ。
自分一人では萎縮してしまう場面でも『失敗しても責められるのは自分だけじゃない』と分かれば途端に人は大胆になる。
「リオンクールからヴァーブル侯爵の即位に人を派遣しよう。不戦協定も継続だ……ただし」
俺はニヤリと笑い、2人を交互に眺める。
少しイタズラを思い付いたのだ。
………………
いよいよ即位式の時が来た。
会場は領都の広場だ。
本来なら教会でやりたかったのだが、収容人数の関係で無理だった。
リオンクールには大聖堂的な施設はない……近い内に東方聖天教会のために立派な施設を建てねばならないだろう。
人は権威に弱い。
立派な聖堂は国の威信にも繋がるだろう。
俺がぼんやりと大聖堂をイメージしていると、ラッパがけたたましく鳴り響いた。
「おっ、入場みたいですよ」
「なんだか私まで緊張してきました」
俺の側でアンドレとロロが落ち着かない様子を見せている。
即位にも騎士叙任と同じく介添えを付けることになり、俺は共に同じ師に学んだ2人を指名したのだ。
ちなみにジャンは諸公の1人として舞台に並んでいる。
俺が「良し、行くぞ」と声を掛けると、2人は力強く頷いた。
「「うわああああぁ!!」」
「「おおわああぁぁ!!」」
俺たちが会場に足を踏み入れるや凄まじい大歓声が沸き起こる。
……こりゃあ、凄いぞ……
広場には俺の家来たちが列をなし、俺たちの進路を必死で確保している。外側には見物の領民たちがギュウギュウ詰めだ。
俺が見つめる先には特設の2段になった舞台がある。
1段目にはリオンクールの同盟諸公、2段目には聖職者が並んでいる。
これは貴族の上に神の権威があるのを表現しているのだ。
僧侶たちは俺たちの入場前に王冠、王笏、宝珠の聖別の儀式を行っており、壇上ではリンネル師が主教(高僧)を従えて俺を待っていた。
「「おわあああぁぁ!!」」
「「バリアン!! バリアン!!」」
俺たちは大歓声の中、歩を進め、舞台の下まで辿り着くと通路の前にさっと人影が現れた。
ユーグとベシーだ。
2人は無言で俺たちと対峙する形となる。
これは完全に予定に無い動きであり、皆が戸惑い、徐々にざわめきだした。
他の家臣も2人を取り押さえるべきか躊躇している様子だ……無理もない。ユーグとベシーは諸公の代理人、要人である。
俺は「鎮まれっ!!」と声を掛けて2人の前に出る。
そして少し間を置き、群衆が聞く姿勢になるのを暫し待つ。
「この度の即位は僣称ではないか!」
ユーグが大声を張り上げた。
彼の緊張した様子が見てとれる……無理もない、静まり返った群衆はこの一言で殺気だち、目をギラつかせているのだ。
「然り! これは王国への謀叛である!!」
ベシーも汗をかきながら大声を張り上げた。
途端に群衆がざわめきだした。
「鎮まれっ!!」
俺は再度大声を張り上げ、周囲を見渡す。
アンドレやロロまでが殺気を放っており「やりすぎたかな」と反省したが今さらどうしようもない。
そう、これは俺の仕込みだ。
フーリエ侯との同盟、ヴァーブル侯の王位の承認への条件として「いたずら」に付き合ってもらったのである。
俺は大きく息を吸い、両手を広げて大声を張り上げた。
「俺はアモロスに仕えたことなどは1度たりともない!! 無位無爵のバリアンだ!! 神と民に選ばれし王であるっ!! 道を開けろ!!」
これは嘘ではない。
俺はアモロス王国からついに爵位を受けなかった。これは事実だ。
そしてアモロス王国に仕えたことも無い……俺はアモロス王国に仕える父ルドルフに仕えていたのだ。主君の主君は基本的には主君では無い。
俺が戦場往来の割れ鐘声で大喝すると2人は畏れ入った風情で左右に別れ、道を開けた。
途端に群衆から大歓声が巻き起こる。
「「うわああああぁぁ!!」」
「「バリアン!! バリアン!!」」
「「おおおおぉぉぉ!!」」
その大歓声は凄まじく、音の圧力で頬が震えるようだ。これは鳴り止みそうにはない。
リオンクール王になる俺がアモロスの諸侯2人を退けた……群衆はそう感じたはずである。
……やったぞ、大成功だな……
俺がユーグにニヤリと笑いかけると、彼は恨めしそうに下唇を突き出した。
正に今、周囲から強い敵意を向けられユーグとベシーは針の筵の上である。
……ふふ、これで同盟が成るなら安いもんだろ?
そのまま俺たちは舞台の下まで進んだ。
アンドレとロロはここまで、俺は1人で段を上がる。
1段目には俺の同盟者、つまりリオンクール王国の構成員となる諸公が立ち並ぶ。
即ち、ドレーヌ子爵、ベニュロ男爵(代理アルベールくん)、アルボー男爵、ジャン(バシュロ騎士領)、騎士ゲである。
俺は諸侯の前を悠然と歩む。
そして、2段目に上がり、聖職者の前まで進んだ。
俺はリンネル師に跪き、祝福を受ける。
「バリアン様、リオンクール王として民を導き、神の威光を知らしめてください。あなたの行く末に光のあらんことを」
リンネル師の手から跪く俺に王冠が被せられ「お立ちください」と促された。
師の後ろで控えていた主教たちが俺に王笏と宝珠を手渡す。
ずっと特大の鉄王笏を掲げ持っていた主教は汗をびっしりとかいて、ふうふうと喘いでいる。
それを俺は軽々と受け取り、主教を驚かせた。
俺は振り返り、舞台の上で群衆と向き合う。
広場は俺の言葉を待ち、水を打ったのように静まり返っている。
「俺はリオンクール王としてここに宣言する!! 今より俺はリオンクール王国の第1の僕となり、リオンクール人、アモロス人、エルワーニェ、その他の人々が共に栄える共和の地を築くことを誓う!! リオンクール王国万歳!! 神に栄光あれ!!」
俺が王笏を高く掲げると、ドレーヌ子爵とジャンが応じて「リオンクール王国万歳!!」「神に栄光あれ!!」と声を張り上げた。
すると大歓声が巻き起こる。
「「うおおおああああああ!!」」
「「万歳!!栄光あれ!!」」
「「国王陛下に栄光を!!」」
「「王国万歳!!わあああ!!」」
もはや何を叫んでいるのか聞き取れないほどに群衆は声を張り上げた。
ここに建国宣言は成され、リオンクール王国が成立した。
これ以後、バリアンはリオンクール王国初代バリアン1世としてアモロス東部に君臨する。
世に『無爵王』『偉躯王』と呼ばれる王がここに誕生したのだ。





