108話 宴の始末 上
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一応、15KB以上は分割するようにしています。
「あだっ! いだたたたた!」
俺は顔面に鈍い痛みを感じ、飛び起きた。
体を動かすと、顔だけではなく全身に火がついたような痛みを感じる。
顔を手で押さえると右半分に布が巻いてあるようだ。
……む、包帯……そうか、俺は……
俺はハッと気付き、周囲を確認する。
「お気づきになりましたか?」
不意に声を掛けられ、振り向くと……見覚えのある爺さんがいた。
「ん? ラノか」
俺の口から驚くほどしゃがれた声が出た。
喉がカラカラだ。
口を動かすと右目が痛む。
「はい、お久しぶりでございます」
この立派な白髭の爺さんはラノ。リオンクール伯爵家のお抱え医師だ。
前回治療を受けてから10年以上経つのに全く外見に変化がない。
……ラノはいつ見ても爺さんだな、不思議だ……
俺がぼんやりと眺めていると、ラノがヌッと顔を突き出し、覗き込んできた。
「左目は見えているようですな……霞んだり、痛んだりしますかな?」
「いや、痛いのは右だけだよ」
俺が答えると、ラノは「ふんふん」と頷いた。
「右目は潰れたのか?」
「はい、残念ながら……バリアン様の矢傷は5つ、右目、右肩、腹に2つ、左腿。後は左手首と肋骨が折れております」
ラノは俺の体を指で示しながら患部を教えてくれる。
しかし、他の矢傷は大したことは無さそうだ。
左手と肋骨は台から落ちたときに折れたのだろう。
左手首は副え木でしっかりと固定してある。
……アンセルムの鎧のお陰かな。顔も面頬が無きゃヤバかっただろうな……
俺は右目を撫でながらアンセルムに感謝した。
触ると、顔の傷はずきずきと痛んだ。
「顔の骨が砕けて眼球が飛び出したのです……そちらは既に切り取らさせて頂きました」
ラノは少し申し訳なさそうに言葉を重ねた。
失明したのはショックではあるが、俺とて戦場往来のベテラン戦士だ。
既に何人も殺しているのに自分だけが怪我をしないなんて都合の良いことは考えていない……このくらいの覚悟は常にある。
「そうか……勿体なかったな。気を失わなきゃ目玉を食ったところだよ『親から貰ったこの体、棄てる事など出来ようか』ってな」
俺が「はは」と笑うとラノは明らかにドン引きした顔をしていた。
……いい年こいて三国志も知らんのかコイツは……ん? そうか、三国志は知らないのか……
俺は混乱する頭を少し振って、状況を整理する。
……えーと、西の要塞で……ボードワンが降参してきて……
「そうだ」
俺は顔を上げた。
動かすと右目が疼くが、痛みにも慣れてきようだ。
「ここは西の要塞か?」
「いえ、バシュラール城ですよ。傷ついたバリアン様はこちらに担ぎ込まれたのです……私がこちらに居たことは軍中で知られていたのですな」
ラノがドヤ顔をしながら水が入った山羊の角杯を差し出してくれた。
ゴクゴクと飲み干すと、水の冷たさが顔の火照りを冷ましてくれる気がした。
怪我の影響か体に熱があるようだ。
「なんでラノがここにいるんだ? 俺が怪我してどれだけ経った?」
考えてみればリオンクール領都にいるはずのラノがここに居るのは不自然だ。
……早馬を飛ばしても一月以上は……まさか何ヵ月も意識不明だったとは思えないが……
「1週間ほどでしょうか? 何度かうなされて目を覚まされたのは覚えておりませんかな?」
俺はラノの言葉に「いや、全く記憶に無い」と応えた。
本当に覚えがない。
「一月ほど前より、領内の金創医(外科医)は奥様から指示を受けて何人もバシュラール城に派遣されたのです。そして交代で負傷者の手当てにあたっておりました。まさかバリアン様がこのような傷を負われるとは……奥様には虫の知らせでもあったのでしょうかな? 夫婦とは不思議の絆がございますので」
ラノがゴシゴシと髭をしごくと、数本が抜け落ちベッドの上に舞い降りた……いちいち俺をイラつかせる男である。
「そうか、スミナか……」
最近は母リュシエンヌが年を重ね少し元気が無くなったためか、スミナがわりと家中で幅を利かせてくるようになった。
少し前ならスミナの指示でラノが動くことなど考えられなかったろう。
大したことの無い話ではあるが、この小さな事実は俺に『リオンクール伯爵家』と言う群れの序列が変わりつつあるのことを強く感じさせた。
スミナとて、いつまでも平民出の娘っ子ではないのだ。
「たぶん、戦況を聞き付けてこちらに医者を廻してくれたんだな……立派な女房殿だよ」
俺はスミナの気働きに感謝した。
戦場に医者はどれだけいても足りないのは事実である。
「さあ、少しお休みください。薬を作りましょう」
「ああ、頼むよ」
ラノは少し離れて薬の調合を始めたようだ……ちなみにアモロスでも薬剤師と言う職業はちゃんとある。
医者より1段下の職業と見られているが、インテリ層の職業とされており、社会的な地位もまずまずだ。
ラノのように薬学に長じた医者も珍しくはなく兼業も多いが、少し後の時代に完全に分離をしたようである。
はっきり言ってアモロスの薬品は「狼の骨」とか「馬の蹄」とかを煮出したり練り合わせたような怪しさ満点の代物ではあるが、俺は偽薬効果くらいあるだろと割り切って飲むことにした。
この偽薬効果とは、患者が「薬を飲んだ」と信じ込むことによって症状の改善が見られることを言う。
実を言えば、俺はアモロスの薬品とは大半がコレじゃないかと疑っているのだが……
……まあ、聖人の護符を飲まされるよりはマシさ……
俺はラノの差し出したネバネバとした緑色の嫌な液体をグイッと飲み干した。
硫黄のような刺激臭がツンと脳を刺激する。
苦いような……酸っぱいような……もう舌が味を判別することを放棄するような味だ。
はっきり言って人間の飲む味ではない。
「ぐへえー、マズイ! もう1杯ーっ!」
俺が顔をしかめて杯をラノに突き返すと、彼は無言で同じ杯に薬を満たして俺に差し出した。
「ぐっ、この……」
……本当に出すヤツがいるかっ! このバカ!
俺はこのヤブ医者を殴りたくなる衝動に駆られながらもなんとか2杯目も飲み干した。
薬は高級品なのだ……残してはもったいないオバケが出てきてしまう……が、やはり死ぬほどマズイ。
「うへえ、やっぱりマズイな! 薬はもういらんぞ、水をくれ。後は……アンドレかデコスか、軍の幹部を呼ぶように」
俺はヤブ医者に杯を突き返し、水を受け取ると一気に飲み干した。
ラノは「承知しました、ですがご安静に」と言い残し退出した。
「……ふう、やれやれ……どうにもラノとは噛み合わんな……」
俺は呟きながらゴロリとベッドに横になった。
先程の薬の効果であろうか……何だか猛烈な眠気を感じる。
……俺が片目になってたら、スミナや子供たちは驚くかな……母上は悲しむだろうか……
俺はうとうと微睡みながら、家族の事を思い出していた。
「バリアン様?」
「む、ご無事なのか」
夢現の状態で誰かの声が聞こえる。
……そう言えば、俺が誰かを呼び出したんだ……すまん、全然起きれそうもない……
「いや、お休みのようだ。出直そう」
「そうか……肝が冷えたぞ」
足音が離れていく。
俺は心の中で謝罪した。
夢を見た。
スミナや妹のカティアと過ごした要塞都市ポルトゥでの日々。
何故か、裸のネリーが同居しており……俺はこの年になって下着を汚した。
絶対にあの変な薬のせいだ。
私の知人男性(30代)が事故で頭蓋骨を骨折し、脳挫傷の処置した時になぜか夢精したという話を参考にしました。