17 不可抗力と適正
鶏頭ことハジュマの執務室は凄惨という言葉がふさわしい代物だった。造りは先ほどの部屋と同じで、備え付けの家具もほぼ一緒だが、使用者の使い方の荒さがわかるものとなっている。
赤い絨毯はところどころ黒いしみが飛び散り、壁にはトマトのようなものをすりおろした後がそこかしこについている。備え付けの家具はガラスの破片が突き刺さり、執務机は長方形から丸みを帯びた形に削られていた。
パックは首根っこを持たれたまま運ばれていた。ここまで運んでくれたのは親切なことだが、スプリングの飛び出たソファに投げつけるのはやめてもらいたい。
ハジュマは鶏冠部分をがりがりとひっかきながら、丸くなった執務机に座る。足を上げ、苛立たしげに貧乏ゆすりをする。安全靴が時折、苛立たしげに机の角を蹴る。これが原因で机が丸くなるのだろうと、パックはソファの上で思った。
「おい」
ハジュマが頬杖をついたまま、パックを見た。
「なんでしょうか」
パックはソファから飛び出したスプリングを引き抜き、埃をぱたぱた叩き落として横になってポケットのチョコバーをかじっていた。
「なにくつろいでやがる」
「お仕事がないからです」
小姓といえばお茶くみだろうが、ここにはそれらしき食器はない。すべて割られてしまったのだろう。
ハジュマがわかりやすく青筋を立てたが、わざわざ殴りに行くのが面倒らしく貧乏ゆすりを強くする。
「おい、餓鬼。こっち来い!」
面倒くさいなあ、とパックは起き上がる。どうせ殴るために呼ぶのだろう、行く方が馬鹿だと思うけどそれが上官命令なら仕方ない。パックは腰につけたバッグをあさる。
「早く来い!」
「はいはい」
パックはお腹を押さえたまま、ハジュマの前に立った。
「なんだその腹は?」
「お腹はやめて、お願い」
パックは倒れ込み、お腹をかばう真似をすると、よしわかったとハジュマは安全靴をはいた足を思い切り上げた。
ぐしゃっと何かがつぶれる音とともに腹に衝撃が伝わる。
しかし、その腹の衝撃よりも強いなにかがハジュマを襲う。鶏頭を顔を歪めて鼻をつまむと、窓際に立ち、窓を全開した。
「てんめ、何しやがった!」
げほげほとむせるハジュマは、息を切らしながら言った。
「ひどい、私のお腹の可愛いドリアンちゃんが死んじゃった。ひどい、ひどいわ! あなたのドリアンよ!」
市場で面白そうだと思って買っていたドリアンちゃんである。今日あたり食堂でさばくつもりだったが、今、この場で使ってしまった。なにげにハジュマよりパックのほうが、よりダメージが仕方あるまい。肉を切らせて何とやらである。
パックは鼻に消臭剤を含めた脱脂綿をつめると、上着をごそごそ脱ぐ。べちゃべちゃな果物の王様に、「ごめんなさい、あとで食べます。たぶん、スタッフたちが」といって、執務机の上に置く。そして、先ほど支給されたばかりの制服に着替えた。まだ、寸法は測っていない仮のもので、だいぶパックには大きいがないよりマシである。
「おい、糞餓鬼! これ、どうにかしろ」
ハジュマは窓枠にもたれかかったまま、パックを蹴った足を突き出している。べったりとドリアンちゃんの果汁がしみている。靴ひもがしっかり結ばれた安全靴は脱ぎにくいし、なにより顔を近づけたくないのだろう。
(もうわがままな人だな)
「わかりました、上官!」
パックはいい子なので、ピシッと敬礼をすると、上司の言うことをきいた。ただ、困ったことにパックはちょっぴりどじっこである。間違えて、差し出されたほうとは違う足を持ち上げてしまった。
結果。
窓枠から落ちてしまうおにいさんがいたところで仕方ないことである。
これは不幸な事故だった。
パックは世界樹教で一般的な祈りのポーズを決めると、悪臭漂う果物の王様を持って食堂に向かった。
〇●〇
世の中、他人の心配より自分の心配のほうが大切なのは当たり前だ。だが、不思議と周りの心配をしてしまうのは、自分の悪い癖だとロクは感じていた。
何もない殺風景な執務室。備え付けの家具以外はこれといって付け加えたものはなく、ただぼんやりとまだら模様の皮膚を持った男がひなたぼっこをしている。
今日は、ご機嫌らしい。天気が物語っている。
正直、この配置を与えられてどうなるかと思ったロクだったが、意外と気楽だったと思った。上司こと、トヨフツ中隊長は、その真名の威力から周りから敬遠されることも多い人物であるが、基本は温厚であり機嫌さえよければ、頭に小鳥が巣をつくるような平和の体現であるといっていい。
なにより、ロクが東方出身者であることも大きいようだ。なまりがあるが東方語なら共用語より堪能なのでコミュニケーションはより取りやすくなる。
ただ、共用語の読み書きはできないので、ロクは副官が持ってきた資料を代わりにトヨフツに読み聞かせることが多かったが大したことはない。
少なくとも、どんな面倒事を持ってくるかわからない輩が近辺にいるよりは平和だと実感した一週間だった。
むしろここ一週間で一番修羅場だったのは、生ごみのような悪臭を放つ謎の玉子が食堂で発見されたことである。とげとげした謎の物体に誰もが近づけず、食堂は昼時だというのに使用禁止の札をはられた。腹が空いた肉体派の軍人たちがそれで暴れだし、事態は一時騒然となったが、見識のあるものがあの謎の玉子が異国の果物だと発言したことで、事はようやくおさまった。問題は、その後三日間食堂から生ごみの匂いが消えず苦労したことだろうが。
誰がそれを置いたのかは、皆、薄々気づいているが口に出せなかった。
その日、頭に木の枝を突き刺し、生ごみの匂いをまき散らしながら神殿内部を走り回っていたというハジュマ中隊長がいたという。
触らぬハジュマに祟りなし、トヨフツと同じように彼もまた軍の内部で怖がられている人物なので特に事件の真相を追及するものはいなかった。
ロクは思う。きっとハジュマが犠牲にならなかったら、犠牲者は自分らになっていただろうと。
「助かった」
それが正直な答えである。
滅茶苦茶な配置だと思ったが、メルク旅団長の采配は間違っていなかったとロクは思った。
あのハジュマという男は、ここ一週間で聞く噂の限り、どうしようもない乱暴者らしい。小姓となった人間は、三日と持たないという。ゆえに食堂では、新しい小姓がくるたびに賭けが行われるという。
ロクはなんとなく周りからのせられて買ったチケットをみる。
「初めてあいつに感謝するな」
倍率を考えると一人勝ち、一か月分の給金が手もとに入る予定である。兄弟たちにこっそりケーキを買ってやろうとロクは思う。
「おい! 糞餓鬼待ちやがれ!」
ロクは外で怒鳴る声と、激しい物音がするのを確認すると、窓を閉めた。
大きな音に反応して、この執務室の主がぼんやり眼をこする。今日は天気がいいので外に洗濯物を干してきた、いきなり大雨が来ては困る。
ロクは戸棚から、カステラを取り出す。故郷でもたまに食べさせてもらった焼き菓子だがこちらではあまり見かけない。たまたま物珍しいものが好きな菓子屋で見つけたのだ。
それを見て、トヨフツの目が釘付けになる。お茶は紅茶でなく梅昆布茶、トヨフツの机の上に置く。
菓子や茶は本来経費では落ちないが、副官が特別にロクに渡してくれるお金がある。時に、今日は雨がいいという指示がある場合は、甘い物の代わりにわさびせんべいを出すようにしている。どうやら、彼の菓子代は気象調節費という必要経費にあたるようだ。
もぐもぐと幸せそうにカステラを頬張る青年の背後では、はた迷惑すぎる追いかけっこを続ける悪餓鬼とモヒカン頭がいる。一昨日から、銃火器を持ちだしたハジュマ中隊長だが、これは軍の規約に反しないものだろうかとロクは思う。
とりあえずロクの周りは平和だった。
平和すぎて怖いくらいだった。




