第三十五話:眠れない夜のお話
星がよく輝いて見える夜だ。一つ一つの星がはっきり光っていて、手を伸ばせば届いてしまいそうである。空はほとんど快晴で、高い所にある月を三分の一ほど隠しているだけだ。
深い森の中に、一際大きな丘があった。草原に覆われていて、頂上に木が二本そびえ立っている。そよ風が吹いていて、葉が擦れる音がしていた。
その木のすぐ近くに、、レッカーは停まっていた。エンジンが切られ、フロントガラスとウインドーには黒いカーテンが引かれている。半分ほど開いているウインドーから入る風が、カーテンを穏やかに波立たせていた。
運転席にはユキが座っていて、胸の前で腕を組んで眠っている。彼女の右ほおに、ウインドーから入った小さな虫がいるが、彼女は何の反応もしていない。意識はなかった。
一方、助手席にはいつものようにマオがいて目を閉じているものの、眠ってはいなかった。
正確には、眠れていなかった。額から一筋の汗が流れてほおを伝って落ちる。まぶたには力が入っていて、わずかに震えていた。
マオは、ユキが車内の電気を消してから一時間以上経った今も眠れる気配がなかった。電気が消えて暗いはずなのに、まぶたの中だけ明るいような気がするのだ。
眠ったふりをするのに疲れ、マオはとうとう目を開けた。
カーテンのすき間から星の光がもれているが、車内はほとんど暗い。外から葉の揺れる音がするが、それが止むとシンと静まりかえる。
隣を見ると、お姉ちゃんはぐっすりと寝ているようだった。マオが眠れずにいることも知らずに。
マオは、まるでたった一人で強大な存在に立ち向かっているような気持ちになった。戦っても戦っても、雲をつかむように空しい。つまり、寂しかった。
たまらず、マオはユキの肩を揺らした。
次の瞬間、ユキはスリープモードから解除され、ゆっくりと目を開けた。
「……どうしたの」
ユキは、自分の肩にしがみついているマオを不思議そうに見る。
「寝れない」
マオはボソボソと小さい声で答えた。
「そう……」
ユキは相づちを打つと、黙って自分の膝にマオを仰向けに寝かせた。そしてゆっくりと頭をなでる。マオのおでこに汗がにじんでいるのが分かった。
「暑い?」
ユキが尋ねると、
「うん……」
消え入りそうな声で言った。
すると、両方のウインドーが勝手に全開になった。レッカーも目を覚ましたようだ。
「空気中の湿度がかなり高いわ。蒸し暑くなるのも仕方ないわね」
ユキは、鼻で感じ取った空気を分析する。
〈窓閉めてクーラーつけるか?〉
レッカーがユキに訊く。
「いえ、この湿っぽい空気を逃がすのが先だから、今のままでいいわ」
ユキは冷静に答える。
窓を開けて十分後、目を閉じて大人しくなったマオを見て、ユキは彼女の体を起こして助手席に戻そうとした。しかし、
「……まだ」
マオが泣きそうな声でうめいた。
「眠れてなかったのね」
マオを再び自分の膝で寝かせた。
「もう寝れないかも」
マオは、深いため息をつく。
ユキは少しの間考えを巡らせ、そして、
「じゃあ、起きてる?」
お姉ちゃんの提案に、マオはカーテンのすき間から外を見る。
「でも、暗いよ?」
マオはおそるおそる言う。
「眠れないのに横になっても仕方ないわ」
フフッとユキは微笑んだ。
〈無理に寝ようとしても疲れるだけだ〉
レッカーも優しい声で言った。
「星でも見ましょうか」
そう言って、ユキは運転席のウインドーにひいてあるカーテンを開けた。明るい星の光が車内に差す。
〈今日はとても綺麗だぞ〉
レッカーは両側のドアを開ける。
「うん!」
マオは、目からにじんでいた涙を拭って笑顔になった。
三十六話をお楽しみに。




