第三十六話:お宝とケーキ①
とある高級住宅街に、一台の荷台付きクレーン車が停まっていた。クレーンは赤色、車体は白色に塗られている。
積乱雲が所々に広がる青空で、夏の太陽が湿った空気を熱している。風はほとんどなく、重苦しい空気が停滞し続けていた。
クレーン車は、運転席側のドアを全開にしていた。これは車内の温度を下げるためだ。助手席側のドアは壁との距離が短いため開けていないが、その代わりウインドーをめいいっぱい下げている。
クレーン車の連れである二人は、姿がない。ある仕事を手伝ったお礼で、家に招待されているのだ。
そんなわけでヒマしているクレーン車だが、彼は別のこの時間をぼーっと過ごすつもりはなかった。しっかり昼寝を決めこんでいたのである。「ブルルル……」と一定のリズムでエンジンをふかせていた。人間でいう“いびき”にあたる。寝ることが一番の時間つぶしだ。
連れの二人がいなくなって一時間ほど経っていた。その間、二~三人がクレーン車の横を通ったが、特に気にとめない様子だった。
この地区には、自宅を増築・改築する家庭が多いことで有名だ。財力にまかせて少しでも心地のいい家に住もうと努力している。だから、路肩にクレーン車などの工事車両が停まっていても不思議ではなかった。
彼は完全に意識を失っていた。だから、虫が迷いこんでいることなど知らず、人間の子どもが侵入したことさえ気づいていない。
十歳くらいの男の子だ。白い半そでに青い短パンを穿いている。簡素な格好だが、右腕には高級時計がしてあり、髪の毛はきれいに整えられている。首からは、携帯電話をひもでぶらさげていた。
男の子は開いている方のドアから入り、運転席に座った。椅子の感触を手で確認するようになでていて、動かないギアを無理やり倒そうとしている。
ギアが動かないと分かると、今度はハンドルを握った。彼の頭より数倍も大きなハンドルを見て目を輝かせている。こんなに大きなハンドルを動かしてみたい。ついでに、このクレーン車を運転したい。
だが力を入れても、ハンドルは回らない。そして、カギがないからエンジンもかけられない。
「あー、つまんない」
声変わりの始まっていない少年声でそう言うと、イラついた気持ちをぶつけるように、ハンドルの真ん中を力強く押した。
その瞬間、閑静な住宅街に大型トラック並みの大きなクラクションが鳴り響いた。
あまりの音の大きさにびっくりした少年は、あわてて耳をふさいで体を縮こまらせた。顔は、天敵ににらまれた獲物のように強張っている。
その音で驚いたのは、少年だけではなかった。クレーン車自身もクラクションにびっくりして目を覚ました。突然の事態に、反射的にエンジンをかけ、あわてて発進しようとする。だが、ハンドルブレーキがかかったままなため、エンジンが空回りしただけだった。
やっとそこで、運転席に誰かがいることに気がついた。
〈誰だ……?〉
彼は少年へ問いかける。しかし、クレーン車の言葉は人間には分からない。
ようやく心臓の動きが正常に戻った少年は、運転席を見回す。クレーン車はエンジンがかかっている。カギはないのにどうして……。それに、なんだか車からの視線を感じる。
もしや……。少年は自分の首にかかっている折りたたみ式のケータイを開き、アプリを起動させた。それは、人工知能を持った車やロボットの言葉を解析するものだ。
〈いいものを持っているな〉
クレーン車は感心するようにつぶやく。
少年は、画面に車の発した言葉が表示されるのを見た。
「ありがとうございます」
少年は丁寧にそう答える。
〈マオにぜひ持たせたい〉
「マオ? お知り合いですか?」
〈妹……いや、娘みたいな子だ〉
クレーン車は苦笑する。
一方、アプリには文末に(笑)と表示された。それを見て、少年の強張った顔が緩んだ。
「へえ、車に娘がいるって珍しいですね」
〈色々あってな、訳あって一緒に旅をしている〉
「旅人なんですか。てっきり工事に来たのかと思ってました」
それなら、もしかしたら……。少年はつぶやく。
あの、と少年は尋ねた。「今お忙しいですか?」
〈いや、ものすごくヒマだよ〉
クレーン車は少しダルそうに言う。
少年は息を飲む。
「もしよければ、お願いがあるんですけど……」
すると、クレーン車はにらむように彼を見た。
〈その前に、君は名を名乗っていないし、俺の中へ勝手に入ったことを謝っていない〉
「あっ、ごめんなさい。ぼくの名前はタオといいます。クレーン車がかっこよくて、ドアが開いていたので、その、入りました」
少年は、申し訳なさそうにうなだれる。
そうか、とクレーン車は言った。どうせ子どものいたずらだし、特になくなっている物も壊れている物もないから、あまり気にしないことにした。
〈俺の名はレッカーだ〉
レッカーは、親に叱られている時のような顔をしているタオに自己紹介した。
「レッカー……さん、いい名前ですね」
タオは顔を上げて、たちまち顔を明るくした。
レッカーは心の中でニヤけたが、さっそく本題に入ることにした。
〈お願いというのは、何だ?〉
2へ続きます。




