エピローグ 袁紹~白き道にて
ようやく救われた袁紹は、冥界への道を辿ります。
しかし、袁紹は自分を助けてくれた人や、救いたかった人のために感謝の気持ちを残していました。
生前できなかったことを後悔したことを思い出し、今度は後悔しないように、死後の時間と得たつながりを最後まで幸せのために使って……。
白い道を辿って、袁紹は歩く。
会いたいと願い続けていた人、会えなかった愛しい人の下へ。
目の前に白く続く道は、霧の道ではない。
白く清浄な光でできた、優しい癒しに満ちた道。
目をくらまし、遮るのではなく。
浮かび上がり、導く白。
鼻腔から肺を満たすのは、体中を洗われるような爽やかな空気。
ついこの間まで自分の体を満たしていた、腐臭と瘴気に満ちた濁った空気ではない。
袁紹は、嬉しそうにはにかんで道の先を見つめた。
(もうすぐ、大切な人に会える)
この先は、死者があるべき場所、冥界へとつながっている。
長い長い旅路を経て、袁紹はようやくこの道へと踏み出すことができた。
諦めかけたこともあった。
くじけそうになったこともあった。
それでも、数多の助けを得て、ようやくここに辿り着く日が来た。
袁紹はふと足を止め、名残惜しそうに後ろを振り返った。
自分が生前を過ごした、死んでからもかなり長いこと彷徨っていた生者の世界を。
自分は今、そこに別れを告げる。
死んですぐの袁紹は、後悔で一杯だった。
なぜああしなかったのか、どうしてできなかったのか、そんな未練にまみれていた。
だが、幸いにも袁紹は、それらの心の整理をつける時間を与えられた。
魂が割れて、彷徨っている時間は辛かった。
しかしそれ以上に、自分にとってかけがえのない支えを与えてくれた大切な時間であったと思う。
生前は出会うはずのなかった、いろいろな人に会った。
彼らに助けられ、悪夢を払う鍵をもらった。
袁紹は、そんな優しい人たちに心から感謝していた。
そして、安らかに凪いだ心で願った。
「皆、幸せにあれ」
悪夢の旅路の中で、自分を助けてくれた人。
そして、自分と悪夢を絡め合って地獄に落ちていった肉親たちも。
今なら、その全てを許すことができる。
以前の自分なら、なぜあの時許せなかったのかと悲嘆に暮れていただろう。
しかし、袁紹はもうそんな風に嘆いたりしない。
彼らのためにできる事があるならば、行動あるのみだ。
袁紹は、悪夢が幸せな安らぎに変わった時、それを分け与えたいと思った。
そして、実際に幸せを分けられるよう、地獄の小鬼にことづけていた。
どこかの荒野で、幽霊の男は地獄の使者から手紙を受け取った。
それを開いてみると、男の顔がみるみる明るくなった。
「おお、袁紹殿は無事昇天できたか!」
まずは、自分が助けた人の安らぎを喜ぶ。
そして、彼が自分に恩を返してくれたことに感謝。
<孫策よ、その節は世話になった。
おまえのおかげで本来あるべき冥界に行けるようになったと、これもおまえの功として手紙を残していこう。
裁判の時には、私を参考人として呼んでくれても構わぬぞ>
手紙を受け取ったのは、孫策だった。
孫策は袁紹と別れてからも、仙人殺しの罪を償うために悪霊退治にいそしんでいる。
袁紹にもらった謙虚な心で、孫策の仕事は上々の成果を上げていた。
あの人に出会えなかったら、きっと自分は今でも傲慢で、己の罪と向き合う事もできなかったと思う。
袁紹にとって、孫策は恩人。
そして孫策にとっても、袁紹は恩人だった。
「俺も冥界に行ったら、またゆっくり語り合いたいものだ。
その時は、周瑜と太史慈も一緒だな!」
孫策の親友の命が尽きるのはまだまだ先の事。
できれば、ずっと長い先であってほしい。
だが、いつ来るか分からないその時のために、自分はもっと徳を積まなければ。
自分の罪を親友とともに裁かれるその日まで、孫策は気を抜かないと誓った。
「必ずまた冥界で会おう、袁紹よ!」
そのためには、自分が冥界に入れるように努力しなければ。
孫策には、また新しい目標ができた。
地獄の河原で、二人の若者が寝そべっていた。
「はぁ、はぁ、やったな弟よ!」
「うん、クソ兄……兄様のおかげだよ!」
二人の体には、ひどく殴られた跡があった。
肋骨は歪み、手足は折れ、破れた肌から血がにじんでいる。
だが、二人の顔は晴れやかだった。
若く美しい弟が、にっこりと笑って兄に話しかける。
「良かったね、初めて助けられたよ。
あの子、すごく嬉しそうな顔してた!」
素直に顔をほころばせる弟に、つい兄の顔も緩む。
「ああ、そうだな。
あいつもようやく冥界に行って、親に会えるのだから……人を助けるのは、気持ちがいいな!」
二人の周りには、まだたくさんの子供たちがいた。
河原の石を拾い上げ、塔のように積み上げていく。
ここは、賽の河原だ。
親より先に死んでしまった子供たちが、石の塔を積む場所。
塔が完成すれば、その子供は晴れて冥界に行ける。
問題なのは、鬼がその石の塔を壊してしまうことだ。
薄い霧が立ち込める河原に、また重たい足音が響く。
「お、次はあいつのが危なそうだな」
「行こうか、譚兄様?」
どうやら、また鬼が来たらしい。
二人の兄弟……袁譚と袁尚は、まだ痛む体を引きずって立ち上がった。
父が自分たちを救うために与えてくれた、役目を果たさなければ。
賽の河原で石を積む子供たちを守り、昇天を助けよ。
殺された私の妾と子供たちと同じ人数助けられたら、おまえたちも許される。
父袁紹が、地獄に落ちた自分たちのために考えてくれた新しい刑罰だ。
囚人に囚人を救わせることで徳を積ませる、新しい発想だ。
それにこうして囚人同士で救い合って数が減れば、地獄も罪のない人間を獄卒として連れてくる必要がなくなる。
「父上もいい事考えたよな」
「きっと曹操のおかげだよ!」
二人は、顔を合わせて笑い合った。
昔の父上なら、頭の中で考えていても実行力に欠けていた。
曹操が行動の大切さを教えてくれたことで、父は仁君としての性格を遺憾なく発揮できるようになったようだ。
自分が救われるだけではなく、世の中全体に救いの連鎖を起こせるように。
袁譚と袁尚は、二人で己の罰と対峙する。
どちらかが折れそうになっても励まし合って、鬼の金棒から身を挺して子供たちの石の塔を守る。
いつか自分たちが不幸にしてしまった、兄弟たちのことを思い出しながら。
きっとこれが済んで冥界に行ったら、彼らにも素直に謝れる気がする。
少しでも早くその日を迎えるために、二人は鬼の金棒をその身に受けた。
門の向こうには、花園が広がっていた。
袁紹は、はやる気持ちを抑えながら奥へと進む。
ここに、大切な人がいる。
「こちらです、父上」
一足先にここに来ていた二番目の息子が、嬉しそうに手を引いてくれる。
袁煕は自分なりに父の苦しみを知ろうとし、冥界に来てから本当の祖母を探しておいてくれたのだ。
父上は必ず、ここに来る。
悪夢なんかに負けないと信じて。
その強い心に感謝しながら、袁紹は足を進めた。
その先に、一人の女が腰かけている。
はっと気配を感じて、その女は振り向いた。
「本初……!?」
袁紹は、脇目も振らずに彼女の胸に飛び込んだ。
ここは死者の安らぐところ。
死んでようやく得られたものだけど、袁紹の幸せはここにある。
どんな悪夢に阻まれても、諦めずに歩き続けて、絶望は救いに変わった。
そしてあふれ出る幸福とともに、袁紹は願う。
全ての人に、幸せの連鎖が広がりますように。
袁紹は、ついに救われて最愛の人に会う事ができました。
袁紹の旅路も、私の創作も長い道のりでした。
皆様、長い事お付き合いしてくださってありがとうございます。
今作はハッピーエンドでしたが、次はどうなるか……バッドエンドが書きたい!!
次も相変わらずホラーになるかと思いますが、楽しんでいただければ幸いです。