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正法眼蔵  作者: Eliphas1810
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正法眼蔵 身心学道

仏道は、不道を擬するに不得なり、不学を擬するに転遠なり。


南嶽、大慧禅師の、いわく、

修、証は、なきにあらず。染汚すること、えじ。


仏道を学せざれば、すなわち、外道、闡提、等の道に堕在す。

このゆえに、前仏、後仏、かならず、仏道を修行するなり。

仏道を学習するに、しばらく、ふたつあり。

いわゆる、心をもって学し、身をもって学するなり。


心をもって学する、とは、あらゆる諸心をもって学するなり。

その諸心というは、質多心、汗栗駄心、矣栗駄心、等なり。

また、感応道交して菩提心をおこしてのち、仏祖の大道に帰依し、発菩提心の行李を習学するなり。

たとえ、いまだ真実の菩提心おこらずというとも、さきに菩提心をおこせりし仏祖の法をならうべし。

これ、

発菩提心なり。

赤心片片なり。

古仏心なり。

平常心なり。

三界一心なり。

これらの心を放下して学道するあり、拈挙して学道するあり。

このとき、思量して学道す、不思量して学道す。

あるいは、金襴衣を正伝し、金襴衣を稟受す。

あるいは、汝、得、吾髄あり、三拝、依位而立あり。

碓、米、伝衣する、以、心、学、心あり。

剃髪、染衣、すなわち、回心なり、明、心なり。

踰城し入山する、出、一心。入、一心。なり。

山の所入なる思量、箇不思量底なり。

世の所捨なる非思量なり。

これを眼睛に団じきたること、二、三斛、これを業識に弄しきたること、千、万端なり。

かくのごとく学道するに、有功に賞、おのずから、きたり。

有賞に功いまだ、いたらざれども、ひそかに仏祖の鼻孔をかりて出気せしめ、驢馬の脚蹄を拈じて印証せしむる。

すなわち、万古の榜様なり。

しばらく、山河大地、日月星辰、これ、心なり。

この正当恁麼時、いかなる保任か現前する?

山河大地というは、山河は、たとえば、山水なり。

大地は、このところのみにあらず。

山も、おおかるべし。

大須弥、小須弥あり。

横に処せるあり、竪に処せるあり。

三千界あり。

無量国あり。

色にかかるあり、空にかかるあり。

河も、さらに、おおかるべし。

天河あり。

地河あり。

四大河あり。

無熱池あり。

北倶廬州には、四阿耨達池あり。

海あり。

池あり。

地は、かならずしも土にあらず。

土、かならずしも地にあらず。

土地もあるべし。

心地もあるべし。

宝地もあるべし。

万般なりというとも、地なかるべからず。

空を地とせる世界もあるべきなり。

日月星辰は、人、天の所見、不同あるべし、諸類の所見、おなじからず。

恁麼なるがゆえに、一心の所見、これ、一斉なるなり。

これら、すでに心なり。

内なりとやせん?

外なりとやせん?

来なりとやせん?

去なりとやせん?

生時は一点を増するか? 増せざるか?

死には一塵をさるか? さらざるか?

この生死、および、生死の見、いずれのところにか、おかんとする?

向来は、ただ、これ、心の一念、二念なり。

一念、二念は、一山河大地なり、二山河大地なり。

山河大地、等、これ、有無にあらざれば、

大小にあらず。

得、不得にあらず。

識、不識にあらず。

通、不通にあらず。

悟、不悟に変ぜず。

かくのごとくの心、みずから学道することを慣習するを心学道というと決定、信受すべし。

この信受、それ、大小、有無にあらず。

いまの、知、家、非、家。捨、家、出家の学道、それ、

大小の量にあらず。

遠近の量にあらず。

鼻祖鼻末にあまる。

向上、向下にあまる。

展事あり、七尺、八尺なり。

投機あり、為、自、為、他なり。

恁麼なる、すなわち、学道なり。

学道は、恁麼なるがゆえに、牆壁、瓦礫、これ、心なり。

さらに、三界唯心にあらず。

法界唯心にあらず。

牆壁、瓦礫なり。

咸通年前につくり、咸通年後にやぶる。

拕泥帯水なり。

無縄自縛なり。

玉をひくちからあり、水にいる能あり。

とくる日あり、くだくる時あり、極微に、きわまるときあり。

露柱と同参せず。

灯籠と交肩せず。

かくのごとくなるゆえに、赤脚走して学道するなり。

だれが著眼看せん?

翻筋斗して学道するなり。

おのおの随、他、去あり。

このとき、

壁落、これ、十方を学せしむ。

無門、これ、四面を学せしむ。

発菩提心は、

あるいは、生死にして、これをうることあり。

あるいは、涅槃にして、これをうることあり。

あるいは、生死、涅槃のほかにして、これをうることあり。

ところをまつにあらざれども、発心のところに、さえられざるあり。

境発にあらず、智発にあらず、菩提心発なり、発菩提心なり。

発菩提心は、

有にあらず。無にあらず。

善にあらず。悪にあらず。無記にあらず。

報地によりて縁起するにあらず。

天有情は、さだめて、うべからざるにあらず。

ただ、まさに、時節とともに、発菩提心するなり。

依にかかわれざるがゆえに。

発菩提心の正当恁麼時には、法界、ことごとく、発菩提心なり。

依を転ずるに相似なりといえども、依にしらるるにあらず。

共、出、一隻手なり。

自、出、一隻手なり。

異類中行なり。

地獄、餓鬼、畜生、修羅、等のなかにしても、発菩提心するなり。

赤心片片というは、片片なるは、みな、赤心なり。

一片、両片にあらず、片片なるなり。

荷葉、団団、団、似、鏡。

菱角、尖尖、尖、似、錐。

かがみに、にたりというとも、片片なり。

錐に、にたりというとも、片片なり。

古仏心というは、むかし、僧ありて、大証国師に、とう、

いかにあらんか、これ、古仏心?

ときに、国師、いわく、

牆壁、瓦礫。


しかあれば、しるべし。

古仏心は、牆壁、瓦礫にあらず。

牆壁、瓦礫を古仏心というにあらず。

古仏心、それ、かくのごとく学するなり。


平常心というは、此界、他界といわず、平常心なり。

昔日は、このところより、さり、今日は、このところより、きたる。

さるときは、漫天、さり。

きたるときは、尽地、きたる。

これ、平常心なり。

平常心、この屋裏に開閉す、千門万戸、一時、開閉なるゆえに、平常なり。

いま、この蓋天蓋地は、おぼえざる、ことばのごとし。

噴地の一声のごとし。

語、等なり。

心、等なり。

法、等なり。

寿行生滅の刹那に生滅するあれども、最後身よりさきは、かつて、しらず。

しらざれども、発心すれば、かならず、菩提の道にすすむなり。

すでに、このところあり。

さらに、あやしむべきにあらず。

すでに、あやしむことあり。

すなわち、平常なり。


身学道というは、身にて学道するなり。

赤肉団の学道なり。

身は学道より、きたり。

学道より、きたれるは、ともに、身なり。

尽十方界、是、箇真実人体なり。

生死去来、真実人体なり。

この身体をめぐらして、十悪をはなれ、八戒をたもち、三宝に帰依して、捨、家、出家する、真実の学道なり。

このゆえに、真実人体という。

後学、かならず、自然見の外道に同ずることなかれ。

百丈、大智禅師の、いわく、

若、執、本清浄、本解脱、自、是、仏、自、是、禅道解者、即、属、自然外道。


これら、閑家の破具にあらず。

学道の積功累徳なり。

足孛跳して玲瓏八面なり。(「足孛」は一文字の漢字と見なしてください。)

脱落して如、藤、倚、樹なり。

或、現、此身、得度、而、為、説法なり。

或、現、他身、得度、而、為、説法なり。

或、不現、此身、得度、而、為、説法なり。

或、不現、他身、得度、而、為、説法なり。

乃至、不、為、説法なり。

しかあるに、

棄、身するところに、揚声止響することあり。

捨、命するところに、断腸得髄( or 断臂得髄)することあり。

たとえ威音王よりさきに発足、学道すれども、なお、これ、みずからが児孫として増長するなり。

尽十方世界というは、十方面、ともに、尽界なり。

東西南北、四維、上下を十方という。

かの表裏、縦横の究尽なる時節を思量すべし。

思量するというは、人体は、たとえ自他に罣礙せらるというとも、尽十方なりと諦観し決定するなり。

これ、未曾聞をきくなり。

方、等なるゆえに。

界、等なるゆえに。

人体は四大、五蘊なり、大塵( or 六塵)、ともに、凡夫の究尽するところにあらず、聖者の参究するところなり。

また、

一塵に十方を諦観すべし。

十方は一塵に嚢括するにあらず。

あるいは、一塵に僧堂、仏殿を建立し、

あるいは、僧堂、仏殿に尽界を建立せり。

これより建立せり。

建立、これより、なれり。

恁麼の道理、すなわち、尽十方界、真実人体なり。

自然、天然の邪見をならうべからず。

界量にあらざれば、広、狭にあらず。

尽十方界は、

八万四千の説法蘊なり。

八万四千の三昧なり。

八万四千の陀羅尼なり。

八万四千の説法蘊、これ、転法輪なるがゆえに。

法輪の転所は、亙界なり、亙時なり。

方域なきにあらず。

真実人体なり。

いまの、なんじ、いまの、われ、尽十方界、真実人体なる人なり。

これらを蹉過することなく学道するなり。

たとえ三大阿僧祇劫、十三大阿僧祇劫、無量阿僧祇劫までも、捨、身、受、身しもってゆく、かならず、学道の時節なる進歩、退歩、学道なり。

礼拝、問訊する、すなわち、動止、威儀なり。

枯木を画図し、死灰を磨、瓦す。

しばらくの間断あらず。

暦日は、短促なりといえども、学道は、幽遠なり。

捨、家、出家せる風流、たとえ蕭然なりとも、樵夫に混同することなかれ。

活計、たとえ競頭すとも、佃戸に一斉なるにあらず。

迷、悟、善悪の論に比することなかれ。

邪正、真偽の際に、とどむることなかれ。

生死去来、真実人体というは、いわゆる、生死は凡夫の流転なりといえども、大聖の所脱なり。

超凡越聖せん、これを真実体とするのみにあらず。

これに、二種、七種のしな、あれども、究尽するに、面面、みな、生死なるゆえに、恐怖すべきにあらず。

ゆえ、いかん? となれば、

いまだ生をすてざれども、いま、すでに死をみる。

いまだ死をすてざれども、いま、すでに生をみる。

生は、死を罣礙するにあらず。

死は、生を罣礙するにあらず。

生、死、ともに、凡夫のしるところにあらず。

生は、栢樹(子)のごとし。

死は、鉄漢のごとし。

栢樹は、たとえ栢樹に礙せらるとも、生は、いまだ死に礙せられざるがゆえに、学道なり。

生は、一枚にあらず。

死は、両匹にあらず。

死の、生に相対する、なし。

生の、死に相待する、なし。


圜悟禅師、曰、

生、也、全機、現。

死、也、全機、現。

逼塞、太虚空。

赤心、常、片片。


この道著、しずかに功夫、点扌㑒すべし。(「扌㑒」は一文字の漢字と見なしてください。)

圜悟禅師、かつて、恁麼いうといえども、なお、いまだ、生、死の、全機にあまれることをしらず。

去来を参学するに、

去に生死あり。

来に生死あり。

生に去来あり。

死に去来あり。

去来は、

尽十方界を両翼、三翼として飛去、飛来し、

尽十方界を三足、五足として進歩、退歩するなり。

生死を頭、尾として尽十方界、真実人体は、よく、翻身回脳するなり。

翻身回脳するに、

如、一銭大なり。

似、微塵裏なり。

平坦坦地、それ、壁立千仭なり。

壁立千仭所、それ、平坦坦地なり。

このゆえに、南洲、北洲の面目あり。

これを扌㑒して学道す。(「扌㑒」は一文字の漢字と見なしてください。)

非想非非想の骨髄あり。

これを抗して学道するのみなり。


正法眼蔵 身心学道

爾時、仁治三年壬寅、重陽日、在、于、宝林寺、示、衆。

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