第20話『裏側まで愛してくれる人たちへ』
十月二十四日の催事で《星雨の掛布》に興味を持ったお客様からの、問い合わせの手紙を選別している十一月九日の朝。
白枝工房の作業台には、何通もの上品な封筒が置かれていた。私はそれらを、自分の工房の生産能力と照らし合わせながら一つ一つ開封し、受けられるものと、丁重にお断りするものとに分けていく。
十月一日にロランへ送達した『販売取次契約の解約通知』の三十日間の予告期間は、十月三十一日の終業時をもって静かに、そして完全に満了していた。彼との旧取次契約は正式に終了し、彼の資格停止処分とは別に、私に対する販売権限はこの世から消滅した。
私の名前は、完全に私の元へと戻ってきた。新しい恋と、自分の足で立つ仕事が、今の私にとっての新しい日常になりつつあった。
だが、安易に気を緩めるわけにはいかない。
本日の夕方に予定されている、セリアが企画した小さな共同展示会。準備の分担と費用は先に二人で書面にし、案内は私が文面を確認して署名してから送ってもらった。申し込まれたのは入場の予約だけで、注文の約束はまだしていない。入場の申し込みは多く、届いた手紙の中には工房の供給能力をはるかに超えるような大量注文を望む声もあった。また、恋人となったノアに対しても、『彼を信じていれば、いちいち厳密な染色契約や書面でのやり取りを省けるのではないか』という、かつて私がロランに対して抱いていたのと同じような『依存の誘惑』が、心の隅にわずかに残っているのを感じていた。
だからこそ、私は線引きを明確にしなければならない。
「おはようございます、先生! 夕方の展示の準備、いつでも行けますよ!」
朝、元気に工房を訪れたセリアを、私は作業台の前に座らせた。
「その前に、セリアさん。展示の取り決めとは別に、今日からのお客様の紹介について、草案どおりの契約書を作りました」
私は二通の契約書をテーブルに並べた。
「セリアさんが新規にお客様を紹介し、実際に当工房が納品・精算まで完了した注文に対してのみ、八%の手数料をお支払いします。ただし、顧客名や契約の公開にはお客様と私、双方の書面同意を必須とし、屋号や図案の帰属はすべて白枝工房にあります。そしてこの契約は、十四日前の通知でいつでも終了可能です」
ロランとの契約にも、権限の限界は書いてあった。今度は書くだけで安心せず、紹介のたびに注文の内容を自分で確かめる。
「……いかがですか。この条件で、私の作品を紹介してくれますか」
私が尋ねると、セリアは真剣な目で契約書を端から端まで読み込み、やがて顔を上げて力強く頷いた。
「はい。これで、先生の作品を、先生の許可を得た名前で堂々と語れます。……私、頑張りますね!」
彼女はためらうことなく署名欄にペンを走らせた。ファンとしての情熱が、正当な『自分の仕事』へと変わった喜びに、彼女の顔は晴れやかに輝いていた。
ノアとも、各自の工房を別々に維持したまま、染色の発注はこれまで通り通常価格の書面で精算を続けている。生活も仕事も、もう誰か一人が他人を囲い込んで支配するような真似はしない。
夕方。街の小さな貸し画廊に、小品展を終えてギャラリーから返された《山影》と、刺繍小物を並べた。私とセリアは、入場と受注枠を厳格に制限した共同展示を開いた。
熱心な客たちが《山影の額布》や小さな刺繍小物の前で感嘆の声を上げる。私は自分の工房の生産能力以上の無理な注文は決して受けず、一人一人のお客様とじっくり言葉を交わし、現実的な販路を着実に築いていった。
ロランが今どこで何をしているのか、私は知らない。彼にこれ以上の罰を与えるつもりもなかった。彼の不利益は、既に確定した一年間の取次資格停止と保証金弁済、そして自ら招いた信用低下として、私の視界から完全にフェードアウトしていた。
展示が終わり、客が引いた閉場後の画廊。
セリアが入り口の看板を片付けていると、裏口から見慣れた大柄な人影が顔を出した。
「……お疲れ様です。盛況だったようですね」
ノアだった。彼の手には、私が次の仕事のために正式に発注していた、新しい藍糸が一束握られている。
「ノアさん。わざわざ届けてくださったんですか」
私が駆け寄ると、彼は「ついでですから」と短く言い、糸の束と、きっちり額面が記された請求書を私に手渡した。
「次は何を縫いますか」
ノアが、少しだけ目を細めて尋ねる。
私は手元の余り布を示しながら、ふと微笑んだ。
「……あなたと私が使うための、小さな針刺しを作ろうかと思って」
ノアは一瞬目を丸くし、それから微かに吹き出した。
「それは……光栄ですね。色落ちしないか、厳しく検品させてもらいますよ」
「ええ、望むところです」
彼がそっと私の頬に手を添え、そこで一度止まった。私はその手に自分の手を重ね、少し背伸びをした。私たちは短いキスを交わした。甘さの中に、お互いの仕事を尊重する静かな幸福が満ちていた。
「先生」
背後から声がして振り返ると、看板の片付けを終えたセリアが、壁に飾られた《山影の額布》の前に立ち止まっていた。
「……この作品の裏面も、見せていただいていいですか?」
かつて、組合立会いの返還の場で、セリアが触れようとして手を止められた作品の裏側。彼女のオタク気質がうずいているのもあるだろうが、その目には、職人の仕事への純粋な敬意が宿っていた。
私はノアと顔を見合わせて微笑み、静かにセリアの元へ歩み寄った。
「ええ。私の名前で作ったものだから」
私は額を台へ下ろし、裏板を外して布を取り出した。セリアとノアの目の前で、ゆっくりと裏返す。
そこには、三又の白い枝の銘と、私の職人としての苦闘と誠実さが詰まった、丁寧に始末された糸の結び目が、静かに光っていた。




