第二十八話 帰るべき居場所
馬車が、ゆっくりと進む。
揺れは一定で、眠れそうなほど穏やかだった。
窓の外を見る。
スラムは、もう見えない。
代わりに広がるのは、整えられた道と、手入れされた建物。
――綺麗だ。
それだけのはずなのに――。
言葉にはならない違和感が、胸の奥に残る。
「フィーマ様?」
リリアの声で、視線を戻す。
「どうかなさいましたか?」
「いえ、別に」
淡白に返す。
それ以上は続かない。
―――
出発からしばらく経った。
遠くに、それが見えた。
王宮。
白く、整いすぎた建物。
崩れることなんてあり得ないはずの場所。
「………」
一瞬だけ、あの光景がよぎる。
炎。
崩れる壁。
倒れる“私”。
「……そんなことあるはずがないだろ」
俺は小さく吐き捨てる。
夢だ。
ただの夢だ。
だが、なぜか頭の中にそれが浮かぶ。
「フィーマ様、もうすぐです」
リリアの声は、少しだけ嬉しそうだった。
俺はええと言いながら頷く。それだけだ。
―――
門が開く。
重厚な音。規則正しい動き。
中に入った瞬間、空気が――変わる。
静かすぎる。整いすぎている。
足を踏み出す。
石畳は綺麗で、汚れ一つない。
誰も倒れていない。
誰も座り込んでいない。
当たり前の光景。
――のはずだった。
ほんの一瞬だけ。
足が、止まりかける。
「フィーマ様?」
リリアが振り返る。
「……何でもありません」
すぐに動く。
問題ない。何もおかしくない。
ここが“普通”だ。
そう、分かっている。
分かっているのに。
どこかで、さっきまでの景色と比べている自分がいた。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
整った声。
整った礼。
全てが、正しい。
だが、何か――違う。
「……ただいま帰りました」
口から出た言葉は、
ほんの少しだけ――遅れた。
理由は分からない。
けれど。
その一瞬の“遅れ”だけが、やけに引っかかる。
「お嬢様、奥様と若様がお待ちです」
淡々とした声が、すぐ近くで落ちる。
「承知しました」
自然に返す。
いつも通りのはずの言葉。
いつも通りのはずの振る舞い。
――なのに。
どこか、自分のものじゃないみたいに感じた。
足を進める。
整えられた廊下。
狂いのない音。
何もかもが、正しい。
だからこそ、考えてしまう。
周りが、どう見ているのか。
だが、考えたとて変わらない。
生まれてすぐに太陽魔法を暴発とは言えども発動させ、気づけば自動防御魔法まで形にしていた。
恐らく周囲はこう思っているのだろう。
『天才』
そんな言葉で、片付けられているのだろう。
まぁ。
こんな芸当ができるのも人生二周目の中身がおっさんだから、だがな。
気づけば、扉の前まで来ていた。
テーブルと椅子だけが規則正しく置いてあるだけの部屋。
何を言われるのだろうか。何を俺は考えるのであろうか。
―――
「ただいま戻りました」
扉を開ける。
ガチャリ、と乾いた音が部屋に響いた。
中にいたのは、母と――兄、ユリウスだけだった。
一瞬だけ、視線を巡らせる。
それだけで、十分だった。
椅子に座る。
向かいに座るユリウスが、口を開いた。
「無事で何よりだ」
穏やかな声だった。
「外を見るのも、悪くはなかっただろう」
どこか軽い。
だが――踏み込んではこない。
「ええ、……見てきましたよ」
短く返す。
それ以上、続ける気にはならなかった。
「おかえりなさい、フィーマ」
母が言う。
それだけだった。
柔らかい声。
だが、その先が――続かない。
「……ただいま戻りました」
もう一度、同じ言葉を返す。
なぜか、一度では足りない気がした。
「……随分と、静かだな」
気づけば、そんな言葉が口から漏れていた。
言ったあとで、少しだけ後悔する。
わざわざ言うことでもない。
「そうか?」
ユリウスは肩をすくめる。
「父上は公務だ。戻りは少し遅れるらしい」
「……そうですか」
納得はする。
だが、どこか引っかかる。
「フィーマ」
母が、ゆっくりと口を開く。
「外は、どうだったの?」
問いは穏やかだった。
「……汚れていました」
短く答える。
「ですが――」
少しだけ、言葉を探す。
「思っていたより、近い場所でした」
「……そう」
母は小さく頷く。
それ以上は、何も言わない。
沈黙が落ちる。
「それでも、戻ってきた」
ユリウスがぽつりと挟む。
「ここが、お前の居場所だからな」
その言葉に、わずかに違和感が混ざる。
「……そう、でしょうか」
自然に返したつもりだった。
だが、ほんの少しだけ、間があった。
そのとき――
扉の向こうで、足音が止まる。
重い。
迷いのない足音。
「――来たか」
ユリウスが、小さく呟く。
次の瞬間。
扉が、開いた。




