第十話 太陽のない街
デズモンドがリリアに言う。
「せっかく王女様が来たんだ。見せてやるよ。本物の王都をな」
男は薄く笑った。
気づけば、俺は完全に置いてけぼりになっていた。
「デズモンド。この方の名前は王女ではなく、セラフィマ様です」
リリアが静かに注意する。
デズモンドは肩をすくめる。
「セラフィマ様、ねぇ」
「名前があったところで、ここじゃ意味ねぇよ」
そう言って男は背を向けた。
「着いてこい。紹介してやるよ。俺たちの王都をな」
俺たちは細い路地へ入る。
―――
石畳は途中で途切れ、地面は泥になっていた。
水たまりには、黒い水が溜まっている。
家と呼ぶにはあまりに粗末な木の建物が並んでいた。
屋根は歪み、壁には隙間がある。
その隙間から、こちらを見ている目があった。
子供だ。
痩せている。
目だけがやけに大きい。
「……」
言葉が出なかった。
王宮では見たことのない光景だった。
デズモンドは歩きながら言う。
「驚いたか?」
俺は答えられない。
男は振り返りもせず続けた。
「これが王都だ」
「お前らが見てる綺麗な街の――裏側だ」
その時だった。
遠くから怒鳴り声が聞こえた。
「やめてください!」
女の声だ。
路地の向こうで憲兵が男を突き飛ばしていた。
「税を払えねぇなら、家は没収だ」
憲兵は冷たく言う。
「待ってくれ……もう少しだけ……」
男の声は震えていた。
その横で、小さな女の子が泣いている。
「お父さん……」
俺は思わず足を止めた。
酷い。
だが、俺はこうとも思う。
あの憲兵にも家族がいる。
食い扶持も必要だ。
そして上からの圧もある。
結局は――この国のせいだ。
デズモンドも立ち止まる。
そして、ゆっくり振り返った。
「……見たか?」
男の目はさっきと違っていた。
「これが本物の王都だ」
これが俺の国。
もし、転生先が王家ではなくここだったら。
もし、俺が弱かったら。
もし、俺が何も持っていなかったら。
―――俺には無理だ。
この街で生きるなんて。
その時だった。
「おい」
低い声が響いた。
デズモンドだった。
憲兵が顔を上げる。
「……なんだ、お前」
デズモンドはゆっくり歩いていく。
「その家族を離せ」
憲兵は鼻で笑う。
「なんだよ、お前。英雄気取りか?」
「税を払えないなら、没収だ。王都の決まりだ」
デズモンドは立ち止まる。
そして小さく笑った。
「決まり、ね」
デズモンドがポケットから銀貨を数枚取り出した。
チャリン、と音を立てて地面に落ちる。
「これで足りるか?」
憲兵は銀貨を見て眉をひそめた。
「……お前が払うのか?」
「別にいいだろ」
デズモンドは肩をすくめる。
「どうせ酒代に消える金だ」
しばらく沈黙が続いた。
やがて憲兵は舌打ちをする。
「……チッ」
銀貨を拾うと、男を突き放した。
「今回は見逃してやる」
憲兵はそう言い残し、路地の奥へ消えていった。
男はその場に崩れ落ちる。
「すまない……」
デズモンドは手を振る。
「礼はいらねぇ」
そして小さく付け加えた。
「次は払えよ」
その声は乱暴だった。
だが。
さっき黒パンを渡した時と同じ顔をしていた。
王宮では、貧しい者は保護されると教えられてきた。
太陽神はすべての民を照らす存在だと。
だが。
俺が今見ているのは――
その光が届かない。
いや――
太陽が死んだ街だった。
この街は国ではなく
――デズモンドが守っている。
それどころか、我が国は搾取しているだけだ。
「……リリア」
俺は小さな声で呼ぶ。
「はい。フィーマ様」
「この街はずっとこうなんでしょうか?」
リリアは少しだけ黙った。
そして静かに答える。
「はい」
短い言葉だった。だが、その意味は重かった――。
―――
王宮内では貧民街などなく、国家は皆幸せだと聞いていたのに……
現実は痩せこけ、
死にかけ、
諦めと腐った物の臭いだけのする。そんな街があった。
「リリア、私たち王族はなんなんでしょうか?わからなくなってきました」
「フィーマ様、この世界を少しでも良い方へ貴方となら変えられる。そう信じています」
リリアは寂しげに続ける。
「……ですが」
「王族がすべてを知っているわけではありません」
俺は顔を上げた。
「知らされていないことも、この国には多いのです」
風が吹いた。
どこかで扉がきしむ音がする。
路地の奥では、さっきの家族が静かに抱き合っていた。
デズモンドはそれを一度だけ見て、また歩き出す。
「おい、まだ見て回るぞ」
振り返りもせず言った。
「王都の裏側は、こんなもんじゃねぇ」
その背中は乱暴で、投げやりで。
それでも――
どこか、この街を見捨てていないように見えた。
俺は小さく息を吐く。
王宮で聞いていた王都。
目の前にある王都。
その二つは、まるで別の国だった。
だが。
目を背けるわけにはいかない。
ここもまた――
俺の国なのだから。
「行きましょう」
俺は言った。
リリアが小さくうなずく。
「はい、フィーマ様」
そして俺たちは、デズモンドの後を追って歩き出した。
太陽の光がほとんど届かない路地の奥へ。
まるで――
この国の闇の中へ進むように。




