プロローグ
俺は平凡に生きてきた。
学生時代は毎日学校に行き、少ない友と他愛もない会話をする。そして家に帰り、毎日同じゲームをする。
大人になってからは、毎日同じホームに出向き、満員電車に揺られ、そして会社に着く。
善人を偽りたかったからか、はたまた善人だったからか。進んで他人の仕事を引き受け、そのあと遅くまで、自分の分をカタカタカタカタと打ち続ける。
だが、俺より後に入ってきた後輩がどんどん昇進していき、俺だけベルトコンベアに取り残されたようだと思った。
仕事終わりの深夜、街灯の下で食べるシュークリーム。びっくりするほどの美味さはなかったが一日分、泥のように自らの体に染み付いた疲れが取れていく感覚があのひと時だけはあった。
俺は時々、一人で旅行に出かける。そこで美味いものを食べる。
いつだか覚えてないが潮風に当たりながら食べたあの冷えた弁当。行こうとした店が閉店してて急にその辺のスーパーのを買ってきたんだったか。適当に買ったが、あれは生きていると自覚させてくれた。
今思うとまぁ、人生は普通だったがなんだかんだ楽しかった。
だが、運命は無情だ。
俺はもうそろそろ死ぬだろう。
約半年前、これまで生き甲斐とも言えた旅行が嫌いになった。
いや、違う。
旅行の醍醐味。
俺に生きていると自覚させてくれた食べ物はスポンジやゴムのような味になり、歩くだけでもすぐに息切れしてしまうようになってしまった。
悪性新生物。
――言わばガンだった。
希望も、生きる理由も、全てどうでも良くなった。
病室にピッ、ピッ、ピッと俺の心拍音だけが響く。
この、病室には誰もいない。
あの時あの子に話しかけていれば俺を看取ってくれたかもしれない。
あの時両親ときちんと話していれば俺の看病をしてくれたかもしれない。
あの時兄弟と仲良くすれば思い残すこともなかったかもしれない。
この思いも全て偶像に過ぎず、俺の人生ではない。
しかし、思い返すと意外と良い人生だったのかもしれない。
生きたかった。何かをするとか何者かになりたいとかはなく、
ただ死にたくなかった。
だが、誰にでも終わりがあるように俺にも終わりがあった。
まだ死にたくない――。
言葉にしたかったが、重い口は開かない。
「いや、生きたい…」
誰もいない病室で一人の男が言葉を紡ぐ。
視界から色が失われ、音が遠のく。
最後に残ったのは、心拍計の長いアラーム音。
それはまるで、出来損ないの俺の人生に引かれた一本の打ち消し線のようだった。
享年 38歳
死因 悪性新生物
なんだか一つの本が終わったような自分の人生なのにそうではないような感覚に徐々に陥る。
痛かった体とももうお別れか。
――あぁ、これが無に還ると言うことなのか。
死んだ先は何があるのだろうか?はたまた何もないのか。
ああ、考えることさえも面倒だ。
俺は心の目を瞑った。




