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【―――ヴァリス・教育スペース校舎】
サラにそう言った後は、予想外の展開だが、にっこりと微笑んできたのが印象深い。まるで僕の調査が終わったという表情にも見えた。進路誘導―――蝕圧反応装置。それは短い間に非常に多くのことを僕に暗示した。
―――単純で表裏のない人物とでも思ったのだろうか?
>情報は基本だよワトスン君。
>と言ってくれたら僕も違う話が出来たかも知れない。
アメリカのデンヴァー近郊に住むジャラルド・フースはモーテル自体を買い、屋根裏に細工し通風孔と見せかけた穴から、毎夜宿泊客の夜の生活を覗き、克明な記録を付けていた。
もっと卑近にすれば、スーパーマーケットの買い物かごの中身や捨てたゴミの種類の興味だろうか。
その後は、「行こう」と率先して地上へと一段ずつのぼっていった。本当に、拍子抜けするほど、あっさりと、僕をロボットのところまで送り届けてくれた。あるいは、指揮にしたがって命令を受ける立場として保護すべき僕を地上まで警護しながら連れてきた、というのが正しいのだろう。マルディグラ祭の終わりを告知してまわるニューオーリンズ警察の騎馬警官隊みたいだ。マニュアルは実践的なステップ・バイ・ステップのガイドである。
しかしつくづく考えてみると、映画や小説のなかのような出来事も、地下から一旦出てしまえば、何か壮大な妄想のような気さえしてきた。どこかにそんなシナリオがあるように思えるほどだ。僕は眼がちかちかして、蝙蝠になったような気がしていたし。
―――そういえば、メガネザルは人に捕らわれると過度のストレスで自分の頭をかたいものにぶつけたり、水の中に頭を突っ込んで自殺するという話を思い出した。その気持ちはよくわかった。
(緊張感が完全に切れてしまったみたいに―――)
(僕はアスファルトに腰を下ろした)
生命を維持する様々な電子機器みたいに、施設の照度にはまるで下ろしたての太陽のような眩しさを感じる。その時になって、疲労を感じている自分がいることに気付いた。なお、ロボットは二足歩行ではなく、四輪駆動型に戻っていた。そういえば超能力でやられていたはずだが、それも無事修復されていた。もしかしたら自己修復機能でもあるのかもしれない、とその時に思った。
その時になってだが、もしかしたら、サラに救助に行かせたのは、ロボットだったのかも知れないとも思い当った。
口内の唾の充実、肋骨の引き締め、腸の筋肉の連動―――。
何処にでもあるような校舎だと思っていたけど、可視化された途端、個性が出てくるのは不思議なものだ。距離・時刻・方位からの空間発生プロセス・・。
白昼夢のような僕の視界はバターの塊だったのかも知れない。
学校は昔―――世界の名前だった・・・。
「オ怪我ガナクテナニヨリデス」
「心配かけたね」
という、やりとりをしていると、サラが手をひらひらさせながら、細い咽喉を鳴らす鮮やかなタイミングで「じゃあ、またね」と僕等から離れて行った。耳に届いた言葉は一字一句理解できた。でも、一抹の淋しさに駆られた。いまになってだが、お礼も言っていなかったことに気付いた。度肝を抜かれていたせいかも知れない。案外リラックスさせようと、わざと言っていたんじゃないか、というところにまで気が回せた。
でも足早なサラに声をかける暇はなかった。さっき、あれほどの会話をしただけに、名残惜しいような気もするから変だ。喩えがおかしいけど、愛人に棄てられるってこんな気分なのかな、と思う。
「トコロデ、コレカラドウサレマスカ?」
「施設を案内してくれると嬉しいな」
「了解シマシタ」
ロボットは軽快に動きながら、観光案内をする。頓着なく、ずんずん僕を促してくる。そういえば、ヘリコプターが地上に墜落したというのに、いまはもう何処にもその残骸はなくなっていた。消失である。
また、沛然たる驟雨という勢いで降り注いだスプリンクラーのことは、ありありと覚えているが、それだったら、地上がびしょびしょになっているはずなのに、地上は砂漠のように、すべてを吸い取ってしまっていた。乾燥機のようなものでもあるのだろうか・・・?
そんなことを思った。
しかしどうでもいいことなのでロボットには改めて聞かなかった。ロボットは説明する。基本的に第一校舎、第二校舎と名前があり、そこに多目的ホールや体育館、プール設備、グラウンドがあると考えるのがいいらしい。校舎の影を歩きながら、ヨーロッパの建造物みたいだよなあという気がした。
渡り廊下で二つの細長い校舎を行き来できる。
校舎の側面には、黒く塗りつぶされた非常階段も見えた。でもそれが赤錆びていないことを、僕は不思議に思った。頭で知っている色感と現実の感覚的反応との間にこんな分裂が生じるのだ。
避難階段における侵入防止対策―――地震や火事の避難経路・・・・・・。
その昔は、秘密の脱出路にも見えたが、それは中二病だろう。なお、パソコン教育が主になっていて、既に世界中の何処にも学校へやって来るという意味はなくなっていたらしい。でもそれは、非常階段の存在だって同じことだ。
(何だかパンフレットを覗き込んでいるような気持ちになった―――)
(僕は寝癖であちこち跳ねた男子高校生なのだ・・・・・・)
その時ふっと思い出した。
「そういえば、サラは人間じゃないの?」
「サラハ、異星人、デス、ユウトサン」
「―――異星人?」
話を聞くと、サラは『高次元の魂だけの存在』で、いわば複雑微妙な語感をもち、模糊として捉えがたい、『精神体』のようなもので、肉体らしい肉体は持たず、空の器があれば何処にでも這入りこめる幽霊のような存在らしい。それはイメージとして抽象的に推知しながらも、具体的にどうこう言うことは出来なかった。
僕に言えたことはと言えば、その精神体は見えるのか見えないのか、である。
ロボットは見えないと言ったが、おそらく見るためには、心霊科学の実験でサーモグラフィでカメラを撮るような手法が必要なのだろう。ともあれ、聞くべきことはそれではない。じゃあいまのあれは何なのだ、である。それはと言うと、異星人が持ってきた、地球上では生成できない培養液でつくられた肉体らしい。具体的には、急速な成長ならびに不老の効果を挙げた。また、肉体についてはサラがDNA操作でてこ入れをして作った肉体らしかった。考えようによっては、自分らしい完璧な肉体の創造といえるのかも知れない。最低、フランケンシュタインの怪物とは大きく違う。