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大家族会議



 使用人全員を巻き込んだ大家族会議が開かれたのは、それからすぐのことだった。

 早々に済ませられた食事の席。縦に長い食堂のテーブルに座るのは、主人とその家族であるハイデルバッハ家。使用人たちも椅子を勧められたものの、立場をわきまえ壁に佇んでいる。表向きは平静を保とうと努める彼らは、しかし完全に色を失っていた。

 彼らの注目の(まと)は、ひとえに。


「あら賢そうな犬だこと。番犬にするのもいいわね」

「筋肉もしっかりしている。毛並みも整っているし、飼い犬がうちに迷い込んだのかね」


 (しゃ)に構えた表情がやけに人間臭い灰色の獣だった。


「犬じゃないですから! 人に害を及ぼす狼でしかもタチの悪いことに()ぞ――――」


 瞬間、灰青の強い眼光がロザリオの言葉を制す。続く言葉を殺され、ビクッと身体をすくめたロザリオだったが、負けじとその目を睨み返す。


 火花を散らす1人と1匹をよそに、ハイデルバッハ家の奥方は灰色の柔らかな毛皮を撫で回していた。犬にしては体格が大きい獣。顎もがっしりとしており、噛み千切られる恐れがある。

 危険を認識しているのかいないのか、奥方は迷惑そうにばたつく狼の前足を掴み、万歳させた。完全におもちゃにしている。


 人間にとっては『災い』の代名詞である異族(いぞく)を、知らないとはいえ無理やり手なずけた彼女は大物なのかもしれない。


 娘と同じ(みどり)の明るい瞳を細め、奥方はいきり立つ息子を(さと)した。


「いくら害のある動物とは言え、クロシェットはそれを助けたのでしょう? ならば責任をもって世話をしなければ。放り出して他人様に迷惑をかけたら、わたくしたちが罪に問われます」

「それはそうですけど………」

「お母様はあなたに、そんな殿方になるよう教えた覚えはありません」


 こっちは家族のことを思って警告したのに。悲しげな表情の母親に見つめられるとなぜか罪悪感が込み上げる。


 彼女には逆らえない。しかしなぜだか釈然としない。


 ロザリオは母親の腕で居心地悪そうにしている狼を奪い取り、前足の両脇をがっちりと掴む。大型犬みたいな大きさなので持ち上げるには少々骨が折れた。

 腕の痺れを我慢し、ロザリオは狼の耳に悪態の限りを思いつくまま注ぎ込んだ。


「おいあんた。さっき人化してたろ。人語も喋ったろ。この()に及んで知らないふりとは何様のつもりだ」


 狼は素知らぬふりで、あらぬ方向に鼻先を向けてくぅん……と鳴いた。その獰猛(どうもう)さの欠片もない穏やかな様子は、もはや飼い馴らされた愛玩犬である。狼としての誇り高さなど微塵もない。


 なんでこんな奴を必死こいて追い駆け回していたのか。


 考えて切なくなった。


「この際、狼でも犬でもいいじゃないか。人慣れしているし噛みつかない。それでも危害を加えるようなら、焼いて食べればいいんだ。筋肉と骨格がしっかりしているから、きっと食べ応えがあるぞ」


 どこかずれた奥方に負けず劣らず、なかなか残酷なことを平然と口にするハイデルバッハ家の当主。ジョークらしかったのか腰に手を当てて「はっはっは」と笑うが、当の狼は身を凍りつかせている。


 食べられる身からすれば冗談じゃない提案だろう。ロザリオだって食べたくない。


「ロザリオもなんだかんだ言って気に入っているじゃない。どう? いっそ狩りの番犬にでも」

「いりません。というか母上、こいつ犬じゃありませんから……」


 何度言っても聞き入れてくれない母親に疲れきり、ロザリオは力なくうなだれた。


「クロシェットはどうなのかしら。あなたはこの子をどうしたいの?」

「ああ。お前の意見を忘れていたな」


 ハイデルバッハ夫婦の関心がクロシェットに向く。それまで目立たずにいたクロシェットは驚いて眉を上げた。

 隣に座る弟の膝には、例の狼。狼は首をもたげ、クロシェットを見上げている。灰青の目は昨晩までなかった強い生命力でみなぎっており、その中にはっきりと彼女の影が浮かんでいた。


 どうして助けたかったのだろう。死んでほしくなかったのだろう。初め、あのギラつく牙に射抜かれた時はとても恐ろしかったのに。


 ――――いや。死んでほしくなかった、というのは単なる建前だ。本当はもっと独りよがりの。


 クロシェットの脳裏に、ぐったりした灰色の身体が閃く。


 ボロボロにされた。誰にも手を差し伸べられず見捨てられて、傷ついたまま。それが嫌だった。辛かった。


 自分の立場を外から突きつけられているみたいで、認めたくなかったのだ。それだけの意地。自分のことしか考えていない、ワガママな理由だ。


「私、は………」


 どうしたかったのだろう。助けて、それから? 昨日までは、この狼を死なせない一心でいっぱいだったけど。


 悩むクロシェットの手を、狼が気遣わしげに舐める。突然、狼に今朝抱き締められた余韻がよみがえった。熱くなる顔、首。ロザリオが必死に止めようとするも、狼は行為をやめない。


「捨ててください姉上! こんなはしたない狼を置くなんて言ったら許しませ、痛っ!」


 あくまでも反対するロザリオに向かって狼の尻尾が振り上げられた。パンッ、とおよそ柔らかそうな毛皮からはあり得ない打音が響く。


「なんだ。クロシェットよりもお前の方が狼と仲良しなのか」

「そんなわけありますか!」


 ロザリオが父親と口論する隙をついて、狼がクロシェットの膝に移る。ずっしりと重たい感触が細い脚に被さったが、不思議と苦ではない。


 ウルフィアスと名乗った彼はひどく麗しい姿をしていて、彼女の想像していた異族のイメージとかけ離れていた。ありがとう、と囁いた瞳も声も、彼女を支える腕もとても優しくて。悪意が入り込む余地すらないほど穏やかだった。異族だと押しとどめられても、彼のぬくもりにすがりついてしまいたくなる。


 ここでお別れなのは、きっと、すごく寂しい。


 婚約者のいた身ながらこう感じてしまうのは、淑女としてあるまじきことだと分かっているのに。


「貴方はどうしたい?」


 狼の耳に触れ、そっと小声を落とす。灰色がかったガラス玉の目は細められるのみで何も語らない。

 娘と一匹のそんな様子を眺めていた奥方は、息子をあしらう夫の腕を摘まんだ。


「…………まあクロシェットも、あんなことになってしまったあとですわ。少しは新しい風を入れて、気分転換するのも大事だと思いますの」

「おお。そうだな」


 妻の言わんとしていることを汲み取り、頷く当主。そしてロザリオの肩にポンと手を置いた。


「良かったな、ロザリオ。あの狼に遊んでもらえるぞ」

「だからなんで僕に振るんですかあぁぁ!!」

「猟犬に使いたいときはちゃんとクロシェットに言うのよ」

「…………母上。狼だってさっきから何度………。………もういいです」


 とうとうロザリオは折れた。


「あとで食事を運ばせますから、クロシェットはちゃんと世話をなさいね。ロザリオも、食事が終わったらすぐクロシェットの部屋を直すのですよ。いくら犬がクロシェットにべったりだからって、魔術で追い払おうとするのは許しません」

「いやです! だってあいつは、」

「ロザリオ」

「……………分かりましたよ」


 母親に深々と釘を刺され、ぷくっと頬を膨らせたロザリオ。狼を連れて自室に戻る姉を()ねた目つきで見送り、ため息をつく。


「ロザリオ様。あの狼はまさか……」

「姉上のわがままを聞いちゃってね」


 バツの悪い、苦々しい顔つきで、怪訝そうな侍従に耳打ちする。


「魔力はこっちのモノだから下手な手を打つことはないと思うけど………見張っておかなきゃね」


 冴え冴えと澄んだ蒼い眼差しが狼の後ろ姿をねめつける。

 見かけに騙されて、誰も相手にしないというなら。自分が姉を護るしかない。

 ロザリオは使命感に燃えた。



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