情報屋『十六夜の鴉』
カランカラン
「いらっしゃいませ『十六夜の鳥』へ。
ーー何名様でいらっしゃいますか?」
此処は、大通りから外れた場所にある、喫茶店『十六夜の鳥』。
落ち着いた雰囲気のこの場所は密かに、知る人ぞ知る名店と言われている。
店のドアにある鈴が来客を知らせると、従業員用の通路からウエイトレスの女性が現れて接客を行う。
彼女の名は、凉架。
ここ『十六夜の鳥』で働く、二十代に見える女性だ。
(実年齢は不明)
「…一人で。」
訪れたのは、きっちりとスーツを纏った男。
恐らく三十代後半だろう男は、店内を軽く見回した。
「かしこまりました。お席の方は、どうされますか?」
「……南向きの、静かな席はあるかい?」
「ーー了解しました。こちらへどうぞ、お客様。
一名様、『指定席』にご案内です」
男を席に案内した凉架は、一礼してフロアに戻っていった。
「ーーご注文は、如何なさいますか?」
「!」
凉架が去って、他の客とも離れた席に一息ついていた男は、突然かけられた声に肩を揺らした。
男が声の聞こえた方向を向くと、そこに居たのは、「店長」と書かれたネームプレートを付けた、凉架よりも若く見える女性。
ネームプレートに書かれた名前は、朔良。
「……あぁ、これと、これを頼む」
「かしこまりました。『十六夜特製ビーフシチュー』と『コーヒーセット』ですね?」
「あぁ。……そうだ、ガーリックは抜いてくれ」
「ーーかしこまりました。少々お待ち下さい」
朔良が下がると、男は一息ついた。
「……ここが、噂の情報屋か」
小さく呟いた男の名は、貴島 透。
現役の政治家であり、やり手の外交官だ。
職務中に周りで噂になっていた、凄腕の情報屋がいるという喫茶店。
やっと見つけ出したこの店は、確かに情報屋だった。
ーーこの国で、情報屋の居場所を知る方法は限られている。
……現在、多くの情報屋は、情報屋専用のネットワークに加入している。
その方が情報をやり取りしやすいなど、メリットが多いからだ。
そして、それはこの店も例外ではない。
情報屋ギルド(名目上、こう呼ばれている)のメンバーは、情報屋ギルドのメンバーであると示す為、入り口に黒い鴉をモチーフとした何かを置く決まりがある。
この店の入り口にも、翼を広げた黒い鴉の看板があった。
「……合言葉は、合っていたようだな」
ほっと胸を撫で下ろした貴島は、合言葉を教えてくれた、自らの友人の姿を思い浮かべた。
ーー『獅子馬 巳鳥』
やたらと動物の名前が詰め込まれた、強いんだか弱いんだかよくわからない名前の男だ。
……勿論、性格の方も、だが。
飄々としてつかみどころがなく、常人の一歩先どころか、二歩三歩先を普通に見ている奴だ。
やたらと情報通で、何かあると思えば案の定。
ひっそりとここーー情報屋『十六夜の鴉』の事を教えてくれたのだ。
「ーーお待たせ致しました。『十六夜特製ビーフシチュー』ガーリック抜きと、『コーヒーセット』になります」
「あぁ、ありがとう」
「いえ…。ごゆっくりどうぞ」
朔良によって運ばれてきたものは、ほかほかと湯気を発していた。
思わずお腹が鳴りそうになる程食欲を刺激する匂いを発する、一口サイズにカットされた牛肉がたっぷり入ったビーフシチューと、いい香りのするコーヒーと柔らかいパンのセット。
「……いただきます」
手を合わせた貴島は、スプーンを手に取りビーフシチューを一口。
「…………旨い」
若干ヘブン状態に陥った貴島。
はっ、と正気に戻った後、猛烈な勢いで(しかし上品に)食べ始めた。
それから貴島は、食べ終えるまで一言も発しなかった。