外伝:或る町の銃声
古びた港町セルリアは、潮風と魚の匂い、そして活気の代わりに淀んだ空気が漂っていた。メインストリートには行き交う人も少なく、軒を連ねる商店の多くは固く戸を閉ざしている。太陽はまだ高いが、町の雰囲気はすでに暗い。
紺青色の長い髪を持つ一人の女性が、その町に足を踏み入れた。年の頃は十七ほどだろうか。眉目秀麗な顔立ちは整っているが、表情に乏しく、黒い瞳は周囲を静かに観察している。旅装をまとい、腰には細身の剣、そして背中には、この地方ではあまり見慣れない金属製の長物――銃を背負っている。彼女の名は、カノン。
カノンは町の様子を一瞥し、小さく息を吐いた。探している情報はこの町にはなさそうだ。次にどこへ向かうか、少し考え事をしながらメインストリートを進む。
すると、開いている数少ない商店の一つ、八百屋の前で、数人の男が騒いでいるのが見えた。いかにも柄の悪い男たちだ。八百屋の店主らしき老人が、怯えながら男たちに何かを渡している。恐喝だろう。
カノンは足を止め、その様子を静かに見つめた。正義感からではない。彼女の旅の目的のためには、この町で余計なトラブルに巻き込まれたくない。ただ、目に留まっただけだ。
男たちは老人の震える手から金を受け取ると、嘲るように笑った。一人が満足げに鼻歌を歌いながら、店の前にあるリンゴを一つ掴み、地面に叩きつけ、踏み潰した。リンゴが潰れる嫌な音が響く。老人が悲鳴のような声を上げる。
その瞬間、カノンの黒い瞳の奥に、微かな光が宿った。
男たちは次の店へ向かおうとする。カノンはその場から動かない。男たちが彼女の横を通り過ぎようとした時、先ほどリンゴを踏み潰した男が、カノンを一瞥した。
「おい、そこのネーちゃん。面通せよ。」
男が下卑た笑みを浮かべ、カノンに手を伸ばそうとする。
カノンは、その手から視線を外さず、静かに息を吸い込んだ。
ドンッ、と短い、乾いた音。
男の伸ばした手が、空中で止まる。手首を、小さな金属の塊が正確に撃ち抜いていた。骨まで砕けてはいないが、激痛で動かせないだろう。
「ぐああああっ!?」
男が絶叫する。他の男たちが驚いて振り向く。カノンは既に背中の銃を構え、彼らに銃口を向けていた。
「てめぇ…何しやがる!」
男たちが武器(粗末なナイフや棍棒)を抜く。カノンは表情を変えず、銃口を彼らに向けたまま、わずかに唇を開いた。
「…邪魔。」
それだけだ。
彼女は言葉少なに、しかし容赦なく引き金を引く。パン!パン!パン!短い銃声がセルリアの町に響き渡る。
放たれる弾丸は正確だった。男たちの武器を持つ手や、膝をピンポイントで狙い撃つ。骨を砕かないよう、あるいは致命傷にならないよう、威力と角度を計算した、熟練の技だ。
男たちは悲鳴を上げながら倒れ伏す。武器を落とし、手足を押さえて転がり回る。
一瞬の出来事だった。町に響いた銃声と悲鳴はすぐに止み、再び静寂が戻る。ただし、先ほどとは違う、緊張を孕んだ静寂だ。
八百屋の老人が、恐る恐る店の奥から顔を出す。カノンは男たちを一瞥した後、老人に視線を向けた。言葉はなく、ただ静かに見ている。
老人は、何が起こったのか理解したようで、震える声で言った。
「あ、ああ…ありがとう…ございます…」
カノンは、その感謝の言葉に小さく頷き返すと、銃を下ろした。倒れている男たちには目もくれず、彼女は再び来た道を戻り始めた。町に用はなくなった。
八百屋の老人が「お、お待ちを…」と声をかけるが、カノンは振り返らない。ただ、来た時と同じように静かに、町のメインストリートを逆方向へ歩いていく。
彼女の去った後、老人は倒れた男たちを見ながら、町の外れへと消えていく紺青色の髪の女性の背中に向かって、もう一度呟いた。
「…一体…何者じゃ…」
カノンは町の門を出た。セルリアに滞在する理由は見つからなかった。次の町へ向かおう。あるいは、街道を外れて、情報がありそうな場所を探すか。黒い瞳は、新たな目的地を見つめていた。彼女の旅は続く。何のために旅をするのか。彼女の銃は何のために火を吹くのか。それは、まだ誰も知らない




