1 新人事務官
「俺を飼ってください!」
いやいやいや、何を言ってるんですかこの人。私に人を飼う趣味などない。
しかもこの人……騎士団長だし。人生で初めて、男性から跪かれて言われたセリフがコレ。もっと違うことを言われたかったわぁ。私は現実逃避すべく、手を握られたまま遠くを見つめた――
◇◇◇◇
「産休に入ったマーニーさんの後任として、新しく採用されたシェリル・ホープさんだ。まだ事務官として入団したばかりだから、皆さん色々と教えてあげてください」
「シェリル・ホープです。よろしくお願いいたします」
私が頭を下げるとパチパチと拍手が起こる。よかった、皆さん優しそう。
ここは王立騎士団の総務部。この春、私は新人事務官として採用されたばかりだ。王立騎士団の事務方は、将来有望な騎士と知り合えるとあって若い女性の憧れの職場だけれど、なかなか新規の募集がかからない。その理由がここに来てわかった気がする……きっとみんな辞めないのだ。それほど仕事がしやすくていい職場ってことかな。
先ほど紹介をしてくださった部長を筆頭に、課長、係長、女性事務官達もすべて私の両親と同じくらいか年上みたい。
数年ぶりに王都の学園に出された事務官募集の人数も、たったのひとり。申し込み多数の狭き門をくぐり抜け、新卒採用されたのが私というわけだ。
学園在学中、遊びにも行かず図書館と先生方の研究室に入り浸っていた甲斐があったというものだ。遊ぶお金がなかったから、先生方の研究室で雑用のアルバイトをしていたんだけれどね。おかげで先生に質問し放題、学園の成績もトップクラスをキープすることができたのだ。
学生時代にアルバイトをしてはいたが、こう見えて私はホープ伯爵家の三女だ。まあ、あまり裕福な家ではないのは確かだけれど。
亡くなったお祖父様がやたらと投資話に弱く、あれこれ手を出しては借金を繰り返していた。お父様はその尻拭いに奔走し、なんとか借金は返済し終えたのだが……年頃の娘三人分の結婚持参金など、どこにも残っていなかった。
一番上のお姉様は伯爵家の跡継ぎとして、領地が近い子爵家からお婿さんに来てもらったので、持参金は必要なかった。問題は、二番目のお姉様と三女の私。二番目のお姉様は学生時代の同級生である伯爵家の子息と思い合っていたので、是非とも結婚してほしいと思っていた。そこで私は、
「学園を卒業したら就職して自立します。結婚もするつもりはありませんから、持参金はいりません」
と、宣言をしてお姉様の結婚を後押しした。お姉様も両親もとても申し訳無さそうにしていたけれど、私はこれが最善の方法だと思っていた。だって、学園でも陰で『地味メガネ』なんて呼ばれていたくらいだもの。容姿も地味で政略結婚としてもうま味のない伯爵家の三女に、よい縁談が来るとは思えない。はっきり言って持参金の無駄だ。
それに王宮には貴族の女性もたくさん働いている。嫁入りの前の箔付けのために侍女をする人が多いけれど、事務官としてバリバリ働いて出世する人もいなくはない。ならば私もそれを目指そうと、ちょうど募集があった王立騎士団の事務官の試験を受けることにしたのだ。
◇◇◇◇
「はぁ〜挨拶もほとんど終わったわ〜」
午前中は人事や経理など事務方の各部署に、部長と一緒に挨拶回りをした。ついでに施設内を案内してもらい騎士棟の方はまた後日ということで、やっと昼休み。私は裏庭のベンチに座るとハンカチで包んだ物を取り出した。騎士団には食堂もあるけれど、今日はお弁当持参なので外で食べることにしたのだ。人前で食べないのは、そのお弁当がショボいってのもあるけど……
騎士団の官舎には、それぞれの部屋にオーブン内蔵の小さなキッチンと冷蔵庫がついている。これが非常にありがたい。外に食べに行くより自炊の方が圧倒的に安上がりだから。騎士団のお給料は平均より高いけれど、老後のために貯金もしたいから節約しないとね。学園の寮で食堂のおばちゃんを手伝いながら簡単な料理を習っておいてよかった!
今日は一個だけ余っていた卵をスクランブルエッグにして、ふたつのロールパンに挟んできた。人様に見せられるお弁当ではないが、これはこれで美味しいのだ。
水筒に入れてきたお茶と一緒にパンを食べ終わると、ガサリという音が背後から聞こえてきた。
「えっ、誰かいます?」
さっきまで裏庭には誰もいないと思っていたのに! びっくりして振り返ると、そこには灰色の大型犬の姿があった。こちらを探るような目でジッと見ている。
「まあ、こんなところに犬?」
犬にしては精悍な顔付きをしている。ピンと立った耳、艶のある毛並みに大きな尻尾。なかなかの美形だ。こんなにきれいなワンちゃんだもの、きっとどこかの飼い犬だわ。もしかして騎士団の捜索に携わる子かしら?
あのきれいな毛並みに触れてみたい……私はモフモフの魅力に抗えなかった。
「おいで! 私は騎士団の事務官よ。怪しい者ではないわ」
人の言葉が通じるとは思えないけれど、私は両手を広げてワンちゃんを誘ってみた。すると意外なことに、ソロリソロリと近付いてくるじゃないの!
ワンちゃんは私の手のひらの匂いを嗅ぐと、その場に座りすりっと頬を擦り付けた。わあ! モフモフ!
「ふふっ、か〜わい〜」
人に慣れているのか、私が顔の周りをモフっても嫌がる素振りはない。むしろ気持ちがよさそうに目をつぶり、されるがままになっている。
「あなたどこの子? 騎士団で飼われているの?」
私がそう聞くと、フンスと鼻を動かし『がう』と答えた。あら、私の言葉がわかったのかしら。
「あとで他の人に聞いてみようかしら。迷子だったら心配だもの。騎士さんも心配してるかもしれないし。首輪は……ないわね」
そうひとり呟いていると、ワンちゃんは耳をピクリと動かし立ち上がった。
「どうしたの? また迷子になっちゃうわよ」
「フン」
ワンちゃんは鼻を一つ鳴らすと、また茂みの中に走り去ってしまった。あ〜、もうちょっと遊びたかったのになぁ。
「団長ー! どこに行っちゃったんですかー! 午後の会議が始まりますよー」
遠くで騎士さんの声が聞こえてきたのを潮に、私も仕事に戻ることにした。
◇◇◇◇
「騎士団では、捜査や討伐用に犬を飼ったりしていますか?」
「騎士団で捜査犬を? そんなの必要ないわよー」
そう答えたのは、総務部の先輩女性事務官のカーラさんだ。
「必要ない、ですか?」
「そりゃあそうだよ。だって、騎士団にも獣人の騎士がいるもの。いざとなりゃ、獣化すればいいんだから」
「ああ、なるほど!」
この国には私のような人間と、獣人と呼ばれる人達がいる。普段は人型で生活しているのであまり意識していないけれど、たまに耳や尻尾を出している人もいて、モフりたい気持ちを抑えるのに苦労する。だって、いきなり人の耳や尻尾に触れたらただのヘンタイだもの。『地味メガネ』が『ヘンタイ地味メガネ』にランクアップしちゃうわ。
いけない、話が逸れちゃった。獣人は種族によって身体能力も高いので、騎士になる人も多いと聞く。
「騎士団にも犬獣人の騎士はいるよ」
「本当ですか! じゃああれはもしかして……灰色の犬の獣人っていらっしゃいますか?」
「灰色の犬ねぇ……第二隊の子の髪色は茶色だったよね」
「ああ、そうだわね。あとは第四隊にもいるけど、あの子も黒髪だわ」
そう答えたのは、もうひとりのベテラン女性事務官ヒルダさんだ。おふたりとも長いこと事務官を続けているだけあって、団員のことはすべて把握しているらしい。
「う〜ん、じゃあさっきの子は迷い犬ですかね。毛並みはきれいに手入れしてあったんですけど」
「この辺りは貴族のお邸も近いし、逃げ出したのかもしれないね」
そうか〜。騎士団の飼い犬ならまた会えると思ったのに、貴族の飼い犬ならそう簡単には会えないわね。せっかく仲良くなれそうだったのに、残念だわ。




