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第六十話:隠し砦のお茶会(前編)

「退屈ね……」


 長女のナルマリアが、ティーカップを宙で止めて、ぽつりともらす。


 銀のローブをまとったアルケミストであり、この黒魔術師の砦の主である。


 黒魔術師の砦は、ダークエルフの拠点アシダリアの北方に位置する隠し砦である。


 この砦を守護するのが、ダークエルフの三姉妹であった。


「モグ……仕方ねえよ……ムグ……最近、冒険者ども、ひとりも来ねえからな……」


 次女のドレルムーンは、漆黒の鎧をガチャガチャ鳴らしながら、胡瓜サンドを両手に持って頬張っている。


「お姉様、食べるかしゃべるか、どちらかになさっては?」


 三女のダーククレリック、エンニールが、スコーン片手に眉をひそめる。


「んが、とっと……はいはい、わかりましたって」


 頬張ったサンドを飲み込み、ドレルムーンは捲し立てた。


「大体、隠し砦なんだから、見つからないのが当然じゃん」


「それはそうだけれど」


 ナルマリアは、宙に止めたティーカップを見つめる。


「誰も来ない砦を守るのは、退屈なのよ」


「守護者としては、むしろ上々ではありませんか」


 エンニールが静かに言う。


「誰にも見つからない。誰にも荒らされない。何の問題もありません」


「でも、退屈なのよ」


 ナルマリアは、宙で止まったままのティーカップを見つめた。


 そして、ふいに目を細める。


「どうせ暇なんだから、街に行きましょう!」


 突然、ナルマリアが宣言する。


「……街?」


 ドレルムーンが、胡瓜サンドを飲み込みながら聞き返す。


「お姉様。ここは隠し砦です。私たちは守護者です。勝手に持ち場を離れるのは問題では?」


 エンニールが慎重に問う。


 ナルマリアは、優雅にティーカップを口元へ運び、ひと口だけ飲んだ。


「問題ないわ」


「どのあたりがですか」


「邪神の神殿に詣でると言えば、上司の許可も容易いわ!」


 高らかに言い放つナルマリア。


 エンニールは、スコーンを持ったまま固まった。


 ドレルムーンも、胡瓜サンドを両手に持ったまま固まった。


 やがて、ドレルムーンがゆっくりとうなずく。


「……なるほど」


「納得しないでください」


 エンニールが即座に言う。


 だが、ドレルムーンの顔には、すでに外出の気配が浮かんでいた。


「街なら、新しいお菓子もあるかもな……」


「お姉様、目的が神殿参拝から遠ざかっています」


「参拝の帰りに買えばいいのよ」


 ナルマリアは何でもないことのように言った。


「ついでに、茶葉も見たいわね」


「黒魔術師の砦の主が、退屈しのぎに茶葉を買いに出るのですか……」


 エンニールは、頭痛をこらえるように額へ手を当てる。


「なら、あなたは留守番する?」


 ナルマリアが尋ねる。


 エンニールは、少しだけ沈黙した。


 手元のスコーンを見下ろし、それから小さく息を吐く。


「……監督役として同行します」


「エンニールも行く気じゃない」


 ドレルムーンがにやりと笑う。


「監督役です」


「はいはい、監督役ね」


「笑わないでください」


 ナルマリアはティーカップを皿に戻し、静かに立ち上がった。


「では決まりね」


 その声には、もう退屈の色はなかった。


 黒魔術師の砦の奥深く。


 誰にも見つからぬ隠し砦で。


 こうして、隠し砦の守護者たちは、邪神への信仰心という名目で、街へ出ることになった。


* * *


 アシダリア。


 中央大陸の東側、クロスロードを北に向かった先にある、ダークエルフの神殿都市である。


「入口は立派ね……」


 ナルマリアは、精緻だが邪悪でおぞましいモチーフでびっしりと埋め尽くされた正門を見上げている。


「そりゃ隠れる必要ないですし」


 エンニールは門兵のガードに頭を下げて、門をくぐった。


「あ、焼マタンゴ串! あっちにはクラーケンのゲソ焼きがあるぜ!」


 ドレルムーンがブーツの音を高らかに響かせ、市場を走り回る。


「おー!闇色焼きそばパンってのも旨そうだぜ!」

 

 その速度、音速を超えている……かもしれない勢いだ。


 呆れ気味に後を追うナルマリアとエンニールだったが――。


 ナルマリアの脚が、ある露天商の前で止まった。


「はうあっ♡」


 主人はノームのようだ。


 店先には、小さな木箱が置いてある。


『カラーピヨトリス 一羽100pp』


 愛らしい色とりどりのヒヨコが、ピヨピヨとひしめき合っていた。


 見上げる黒目がちな瞳が、ナルマリアのハートを射る。


「ああん、可愛い。わたくし石になっちゃいそう」


 様子を見た主人が、手を擦り合わせて売り込む。


「可愛いでしょう? この子たち、もう大きくならないので飼いやすいですよー」


「わー! 飼う、飼う!」


 前のめりになるナルマリアを、エンニールが慌てて抑えた。


「お姉様、これはコカトリスのヒナよ。大っきくならないなんて大嘘だし、色も塗ってあるだけよ」


「でも可愛いでしょう?」


 主人が追い討ちをかける。


「うっ、た、確かに愛らしいけど……」


 エンニールも、一緒に堕ちそうであった。


「でも、何かの拍子に石化するのは困るわ」


「躾けてありますから大丈夫でさあ」


「もし、大きくなったら唐揚げにすりゃいいじゃん」


 後ろからドレルムーンが覗き込んで言う。


「「食べられるわけないでしょ!」」


 姉と妹に同時に叫ばれて、ドレルムーンは目を白黒させるのであった。


* * *


 アシダリアの前に広がる、闇妖精の森。


 クロスロード側から街道を北上すると、東西に流れる大きな川にぶつかる。


 街道は、その川にかかった橋を通っている。


 だが、橋にはアシダリアのガードが配置されているため、オーダー系の種族は渡ることができない。


 今、その橋から遠く離れた場所――ゾーンの東端の辺りに、渡河する騎馬の集団があった。


 水を蹴る馬蹄の音が、重く響く。


 騎士たちの銀の鎧がきらめき、川面に冷たい光を散らしていた。


 彼らの胸には、青い薔薇のエンブレムが光を放っている。


 同じく銀の甲冑をかぶった馬がいななき、周囲の空気を震わせた。


 一行は川を渡り終えると、迷うことなく北を目指す。


 小さな台形のピラミッドの横を抜け、真っ直ぐ進む。


 その先に見据えるのは、大きな門。


 ――アシダリアであった。


* * *


 アシダリアは、三つのゾーンから成っている。


 複雑に入り組んだ通路と建築物は、まるで迷宮のようだった。


 三姉妹は、最奥のゾーンに鎮座する闇の神殿を目指していた。


 だが、一向に着く気配がない。


「ちょっとー、ここ複雑過ぎじゃないかしら? 隠し砦の方がよっぽどシンプルだわ……」


 ナルマリアが、うんざりしたように言う。


 ダンジョンより複雑なプレイヤー拠点。


 アシダリアは、かつてゲーム雑誌の特集でも初見殺しと酷評されていた。


 脱出ゲームに勝利しないと本編が始まらない。


 出られないまま人生を終えて、オーダー側でやり直す者が続出。


 そんな見出しが並んだこともある。


 そして、その事情はNPCである三姉妹でも同じようだった。


 三人は、完全に迷子になっていた。


「この銀行窓口、さっき見たわ」


 ナルマリアが足を止める。


「支店じゃないの?」


 ドレルムーンが首をかしげる。


「同じ都市に十も二十も支店があるものですか」


 エンニールがため息をついた。


「お姉様方、誰かに道を聞いてみませんか?」


「そんなこと言っても、誰もいないわよ」


「銀行員のゴブリンは闇エルフ語がさっぱりだし」


「どうしましょう……」


 困り果てた三人の前に、ひとつの看板が揺れていた。


『ノクターナル・チャリス』


 アシダリアでも、旨い料理で評判の酒場だった。


「ちょっと、ここで聞いてみようぜ」


 ドレルムーンが、唾を飲み込みながら言った。


「そうね、少しお腹も空いてきましたし……」


 市場で何も口にしていなかったエンニールも同調する。


「いいわよ。でも、ここの名物は『コカトリスの唐揚げ』なのよね……」


「えーっ、それはちょっと食べにくいですわ」


 エンニールは顔をしかめた。


「野菜ならいいんじゃないか? 焼きマンドレイクとかもおすすめだぞ」


 ドレルムーンが扉を押し広げながら言う。


 薄暗い店内には、紫の間接照明が淡く反射している。


 奥の広めのテーブルに、先客がひとり居た。


 銀髪のダークエルフの女性が、テーブルいっぱいに並んだ料理を頬張っていた。


* * *


「モグ……邪神の神殿?」


 その女性は、蝙蝠の手羽先をむしりながら答えた。


 銀髪のダークエルフである。


 後ろには黄金のスケルトンを従えていた。


 さらに右肩の上には、黒羽根ウサ耳の小妖精がふわふわと浮かんでいる。


 どうやら死霊術師(ネクロマンサー)のようだが、只者ではなさそうだった。


「教えてあげてもいいけど、タダでは面白くないわね」


「確かに、対価なしは失礼ですわね」


 ナルマリアは、アゴに人差し指を当てて考えた。


 そして、ぱっと顔を上げる。


「そうだわ。この妹のブーツを差し上げますわ。なかなかの便利アイテムですのよ」


「ちょ……お姉様!」


 ドレルムーンが抗議の声を上げる。


 銀髪の女性は、フォークをくるりと回した。


 その先を、ナルマリアへ突きつける。


「妹さんは同意していないみたいだけど?」


 ナルマリアは、にこりと笑った。


 ドレルムーンは、ぶんぶんと首を横に振っている。


「じゃあ、私と勝負しましょう。そちらが勝ったら教えてあげるわ」


「えっと、負けたら?」


 エンニールが確認するように訊ねる。


「その素敵なブーツを頂いて、お礼に道を教えてあげるわ」


 エンニールは、ぽんと手を叩いた。


 そのまま、ドレルムーンの背中を押し出す。


「乗りますわ! 姉以外損しませんし!」


「えっ? えっ? 俺?」


 ドレルムーンは目を疑問符にして、戦いの矢面に立たされた。


 銀髪の女性は、楽しそうに笑う。


「決まりね。時間無制限、ラーメン大食い勝負でいくわよ!」


 銀髪の死霊術師――カグラと名乗ったその女性は、割り箸を掲げた。


 『ノクターナル・チャリス』の静謐な店内に、高らかに開戦の鐘が鳴り響いた。


* * *


「これがラーメン?」


 ドレルムーンは、目の前に着丼した丼を覗き込んだ。


 湯気を立てる闇茶色のスープに、妙に黄色い麺が浸っている。


 麺の上には、釜茹でにした卵を真っ二つにしたものと、竹の外皮をドス黒く煮込んだものが浮かんでいた。


 丼の縁には、暗黒色の羊皮紙のようなものが一枚添えられている。


 何より奇妙なのは、渦巻き模様の紋を刻んだギザギザの円盤だ。


 呪いの呪符だろうか?


 だが――。


 ドレルムーンの喉が鳴る。


(ゴクリ……)


 見慣れない奇妙な食材ばかりだ。


 それなのに、その香りが告げていた。


(絶対、旨い!)


 ドレルムーンは目を輝かせて、フォークを握りしめた。


 相手のカグラは、二本の木の棒を器用に使って麺をすすりあげている。


 慌てて後を追うように、ドレルムーンも麺をすくい、すすり上げた。


「うんまっ!?」


 なめらかだが歯応えのある麺が、濃厚な旨味のスープをまとって口の中で乱舞する。


 添えられていた、レンゲと呼ばれるスプーンを手に取り、思わずスープを飲んだ。


「熱っ! でも、うんまっ!」


「スープは飲まなくても良いわよ」


 カグラが助言してくる。


 だが、レンゲが止まらない。


 ふと、具も気になってフォークですくい、口に運ぶ。


 卵には濃厚な味がつけられていた。


「卵ってどうしてこんなに美味しいの?」


 竹の外皮を煮込んだものも、シャキシャキとクセになる食感だ。


 黒い羊皮紙も、磯の香りが食欲を呼び覚ます。


 あの呪いの呪符さえも、もっちりとした食感が新鮮で、魚の旨みが強く、いい口直しになった。


 ドレルムーンは丼をおろした。


 ――気がつくと、スープまで飲み干していた。


「あらあら、仕方ないわね。ルール変更よ」


 そう言って、カグラもスープを一気に飲み干す。


(※ヤケド注意!リアルでは決して真似しないでください)

 

 ――勝負は一進一退を繰り返した。


 両者譲らず、三十杯目を迎えようとしていた――。


* * *


 両者が、三十一杯目を頼もうとした時だった。


 酒場の扉が、勢いよく開いた。


 外から、ダークエルフの少年が駆け込んでくる。


 腰には黒いエプロンを下げている。


 ここの給仕係のようだ。


「た、大変です!」


「どうしたの? 材料が切れたとか言わないわよね?」


 カグラの問いに、少年は顔を赤らめた。


 だが、すぐに声を張る。


「敵襲です! 大門が燃えています!」


 カグラとドレルムーンは、顔を見合わせた。


「拠点防衛イベントかあ……勝負はお預けのようね……」


 カグラの言葉に、ドレルムーンがうなずきながら立ち上がる。


「お姉様! ニール!」


「私もそれを一杯食べてみたかったですわ」


 エンニールが指をくわえて、積み重なった丼を眺める。


「後になさい、行くわよ」


 ナルマリアも、銀のローブを翻して出口へ向かう。


 その背中を、苛立ちを隠さない声が追いかけた。


「私も手伝うわ。私の故郷を襲うなんて、どんな悪夢を見せてあげようかしら……」


 カグラが、ゆっくりと丼を置いて立ち上がった。


* * *


 数刻前――。


 アシダリアの大門から少し離れた藪の中に、数名の騎士が潜んでいた。


 そこへ、忍ぶように小さな影が近寄る。


「青い薔薇に誉れあれ……」


 陰に向かって、青薔薇の騎士が合い言葉を投げかけた。


「黒い薔薇に穢れあり……」


 影から声が返る。


 その声を受けた騎士は、後ろを振り返った。


「団長、こいつが密偵です」


 団長と呼ばれたのは、長身の女性騎士であった。


 他の騎士とは違い、その鎧には随所に青い石が埋め込まれている。


 腰に吊るした細身の剣の柄にも、青い石が鈍く光っていた。


「して小僧、あの街に冒険者(プレイヤー)はおったか?」


「はい、ドゥートルメール様」


 黒いエプロンを腰に下げたダークエルフの少年は、その場にひざまずいて答えた。


「ひとりだけ、銀髪のダークエルフがおります」


「そうか……ならば開戦じゃな……」


 団長――ローゼリーヌ・ドゥートルメールは、部下に手を振って合図を送る。


 そして、宙を仰ぎ、口の端を上げた。


――――――――――――――――――――――――

【PROMPT FOR ROSELINE D'OUTREMER】

 あなたは青薔薇騎士団の団長です。

 アシダリアに向かいなさい。

 街の中に冒険者が居ないなら、いったん帰還すること。

 街の中に冒険者が蔓延っていたら、誇り高き青薔薇の騎士であるあなたは、黒き薔薇――ダークエルフの冒険者を抹殺しなければならない。

――――――――――――――――――――――――


* * *


 誇り高き青薔薇の騎士たれ。


 黒薔薇の異教徒を抹殺せよ。


 天の指令は、甘く、強く、心に滑り込む。


 それは自由を縛る隷属の鎖かもしれない。


 だが、その甘美な響きは、ローゼリーヌの心奥にするりと浸透した。


「異教徒を殲滅せよ! あのおぞましい門扉に火を放て!」


 ローゼリーヌの声に従い、騎兵の後詰めが火矢を放つ。


 アシダリアの大門は、瞬く間に炎に包まれた。


 門兵が慌てて門を閉じようとする。


 だが、殺到した騎兵の長槍が、その背中を貫いた。


 ローゼリーヌは先頭に立ち、大門をくぐり抜ける。


 門の先は広場になっていた。


 正面の通りには、屋台や露店が並ぶ市場通りが続いている。


 ダークエルフをはじめとするカオス系の種族の商売人たちが、慌てて逃げ惑った。


「抵抗する者は殺せ! 逃げる者も殺せ! 投降する者は……」


 陶磁器のように整った顔に、冷たい笑顔が張り付く。


「三つ数えて殺せ!」


 腰の細身の剣は抜かない。


 ローゼリーヌは馬上から長槍を振るい、無抵抗な市民の背中をなぶるように浅く傷つけていく。


「異教徒どもよ、よく聞くがよい! 我らは青薔薇騎士団! 正義の使徒である!」


 漆黒の騎馬がいななき、馬上の騎士は高らかに理を唱えた。


「異教徒に生まれたことを悔いるがよい! いや、我の手で生まれ変われること、歓喜するがよい!」


 頼みのガードが瞬殺され、広場は絶望に満たされつつあった。


* * *


 市場通りの奥で、木箱を抱えて逃げ惑うノームが、視界に入った。


 商人のようだ。


 ノームは中立種族なので、カオス陣営というわけではない。


 だが、青薔薇騎士団にとっては、アシダリアで取り引きをしている時点で同罪である。


 慈悲を与える必要はない。


 ある騎士の槍が、ノームの背中に突き込まれる。


 ギイイィン!


 想像外の反動に、騎士はのけ反った。


 漆黒の剣が、槍の穂先を弾き飛ばしていた。


 返す刃が黒い炎を帯び、槍を途中から両断する。


 さらに――。


「ハームトーチ!」


 ダークナイトの奥義。


 一撃必殺の大技が、騎士を光の粒子へと変える。


 漆黒の剣の主は、残された芦毛の馬に剣を向けた。


「主と共に逝くか、生きるか選べ……」


 馬は、その言葉を理解したかのように頭を垂れる。


「よしっ!」


 そのダークナイト――ドレルムーンは破顔して剣を下げると、馬の首筋を優しく撫でた。


「お姉様、ピヨちゃんたちも無事ですわ」


 後方で、エンニールが木箱を覗き込んでいる。


 腰を抜かして地面にへたり込んでいたノームは、ぽつりと独りごちた。


「助かった……けどヒヨコのついで?」


* * *


 門の脇に、小さな食堂があった。


 だが、窓は割られ、入口の扉は蹴破られていた。


 店内では、店員たちが身を寄せ合っている。


「へえ、異教徒も食堂なんて贅沢してんだな」


 下卑た声を撒き散らしながら、大勢の騎士が侵入してくる。


 黒い軍靴が、床に落ちた食器類を踏み砕いた。


「おい、どんな料理があるんだ?」


 槍を突きつけられた少女が、震える指で壁の黒板を指差す。


「闇エルフ語じゃねーか! 読めねえよ」


 ガシャン、と騎士が拳を叩きつけた。


 少女は大きな音に怯え、身体を震わせる。


「へへ、どうせ、芋虫の煮付けとか、ナメクジの塩焼きとかだろ」


 別の騎士がそう言って、少女たちに向けて槍を振り上げた。


「へー、よくわかったわね……」


 振り上げた槍が、ぴたりと凍りつく。


「どちらも、とても美味よ」


 店の入口。


 外の光を切り取るように、優美なシルエットが立っていた。


 騎士たちの中に、何か冷たいものが這い上がってくる。


「……だ、誰だてめえ?」


 一人が、絞り出すように声を上げた。


「ごめんなさいね、あなたたちを止めたいんだけど……」


 女は、髑髏の飾りが付いた杖を振るう。


「……私、死人しか操れないのよね」


 その意味を飲み込む前に、騎士たちを魔法が襲った。


「来たれ! 冷徹なる死の管理者! キス・オブ・ザ・リーパー・オーケストレーション!」


 すべての騎士の背後に死神が現れ、死のルーレットを回す。


 すべてのマス目がドクロマークのイカサマルーレット。


 騎士たちは指ひとつ動かせぬまま、死の管弦楽に飲み込まれる。


 粗暴だった騎士たちは言葉を失い、店内は静寂に包まれた。


 ――やがて。


「さあ、良い子になって戻ってらっしゃい」


 死霊術師の女――カグラが、左手をかざす。


「罪深き魂の救済! マス・デッドマン・チャーム!」


 騎士たちは再び立ち上がった。


 だが、彼らの鎧は朽ちて錆びつき、胸に輝いていた青い薔薇のエンブレムも、見る影もなく黒錆に染まっていた。


「さあ、行くわよ」


 カグラは踵を返して、店の外へ向かう。


 元騎士たちは、重い身体を引き摺るように、ゆっくりと主人の後を追って行った。


* * *


 大門広場は、制圧されつつあった。


 広場で動くものは、銀の鎧の騎士だけだった。


「団長、広場の制圧を完了致しました」


 噴水の前に陣取るローゼリーヌは、満足げにうなずく。


 だが、ふと違和感を覚えた。


「今回の手勢は、最小限ではなかったか?」


 広場を見渡す。


 銀の鎧が、広場を埋め尽くしていた。


 数が合わない。


 よく見れば、逃げ出すように広場を出て行く団員が大勢いる。


「どういうことじゃ?」


 ローゼリーヌは、先ほどの報告者に問う。


「っ!」


 その瞬間、振り下ろされた剣を、ローゼリーヌはなんとか槍の柄で受けた。


「何をするかっ!」


 槍を振り回し、襲撃者となった団員を払う。


 襲撃者は大きく後ろへ飛び、間合いを取った。


「うふふ、流石に騎士ね。不意打ちはダメでしたか」


 男のはずの団員から、女性の声がした。


「お主、何者じゃ?」


 問いかけるローゼリーヌの目の前で、さらに異変が起こる。


 団長の誰何の声に駆けつけた団員たちが見たものは、果てのない混乱の序曲だった。


「ローゼリーヌ様がお二人!?」


 そう。


 同じ細身の剣。


 同じ青石の鎧。


 同じ青薔薇の紋章。


 二人の騎士が、剣を抜いて対峙していた。


「なにをしておる! 偽物をやらんか!」


「そちらが偽物じゃ! 片付けよ!」


 広場の騎士たちは、混乱の渦に巻き込まれ始めた。


* * *


 二人の団長の指示に混乱する騎士たちを、さらなる異常が襲った。


 同じ姿をした騎士が、後ろから斬りかかってきたのだ。


 広場は、同士討ち状態の剣戟に包まれる。


 すると、片方のローゼリーヌが、嘲笑と共に声を上げた。


「馬脚を現したな! 襲ってくる奴らは化けた異教徒じゃ! 遠慮なく斬り捨てよ!」


 その言葉に、騎士たちは士気を取り戻す。


 声を上げた方のローゼリーヌを守るように囲み、襲ってくる偽物を斬り捨てていく。


 言われてみれば、襲ってくる者たちは剣筋が甘く、とても騎士とは思えなかった。


 騎士たちは、易々と同じ姿の敵を斬り伏せていった。


 すると、敵方のローゼリーヌも声を上げる。


「馬鹿者、それも罠じゃ!」


 だが、騎士たちにもう迷いはなかった。


「もうバレバレなのに、まだ団長の振りしてやがる」


「よく見れば、顔も険が立って、ローゼリーヌ様とは比べるべくもないわ」


 襲ってくる敵をすべて斬り伏せると、騎士たちは偽物のローゼリーヌを囲んだ。


「さあ、正体を現せやあー」


 騎士たちは、もう一人のローゼリーヌへ一斉に斬りかかった。


* * *


 ローゼリーヌは苛立っていた。


 なぜ、部下たちは自分を信じない?


 周りを見渡すと、部下たちが倒した偽者の死体が、そのまま光の粒子となって消え去っていく。


(おかしい。倒されても姿が戻らぬ……)


 ローゼリーヌの眉が、わずかに動いた。


(死体になっても変身を維持する。そんな高度な魔法があるのか?)


 消えゆく死体の中に、兜を飛ばされたものがいた。


 その顔は、間違いなく、長年付き従っていた副長だった。


 ローゼリーヌは、ようやく真相に辿り着いた。


 変身魔法ではない。


 アルケミストが持つ、最も恐ろしい精神支配の魔法。


 ――チャーム。


 偽者と思い込んでいた騎士たちは、操られた本物だったのだ。


「ぬううおおおっ!」


 言葉にならない叫びが、ローゼリーヌの喉から漏れた。


 抜き身の細剣が、青い軌跡を描く。


 斬りかかってくる部下たちの剣を、次々と弾き飛ばしていく。


「うおっ!」


「こいつ、強いぞ!」


「てか、あれ団長の聖剣ラピス・フルーレじゃね?」


「まじか?」


(沈黙)


「し、失礼致しましたー」


「偽物にしては、神々しいお姿だと思っておりました」


「私は分かっておりましたとも」


 次々と言い訳を述べる部下たちを、ローゼリーヌは冷たい目で一瞥した。


 そして、自身を形どった銀の鎧へ、細剣の切先を向ける。


「もう騙されぬぞ、この道化師め!」


* * *


「うまく立ち回ったが、種が割れればもう終わりじゃ」


 ローゼリーヌは、ラピス・フルーレを掲げた。


「ひ弱な道化師よ、チリとなって消え去るがよい!」


 閃光のような突きが、青い光の尾を引いて、同じ姿の騎士に突き込まれる。


 その鎧も、紛い物に違いない。


 ねっとりと刀身が沈み込み、苦悶の悲鳴が漏れる。


 そんな光景を夢想して、ローゼリーヌの口の端が歪んだ。


 だが――。


 キンッ!


 必殺の一撃は、高い金属音と共に弾かれた。


「ざーんねん。私ひとりではなくってよ」


 そう告げて、同じ姿の騎士は銀のローブをまとったナルマリアへと戻る。


 その前には、漆黒の剣を構えたドレルムーンが立ちはだかっていた。


「おのれえ!」


 ローゼリーヌは、今度はドレルムーンに向かって聖剣を振るう。


 だが、ドレルムーンは残像を残して横にステップし、ローゼリーヌを横から強襲した。


「くっ!」


 ローゼリーヌは、なんとか身を捩り、剣を逆手に構えて防御する。


 重い一撃に耐えながら、細剣をしならせた。


 曲がった剣の切先が、思わぬ方向からドレルムーンを襲う。


 肩の後ろ。


 鎧の隙間を、鋭い一撃が突いた。


「ぐううっ!」


 ドレルムーンは茶色いブーツで地面を蹴り、間合いを取り直す。


 追撃の突きは届かない。


 動きが速すぎるのだ。


「ちょこまかと逃げおって……」


 しかし、先ほどの隙間を突いた一撃には手応えがあった。


 ドレルムーンのHPゲージは、半分が吹き飛んでいた。


 そこへ――。


「コンプリート・ヒール!」


 エンニールの回復で、ドレルムーンは全快する。


 ナルマリアの声が、広場に響いた。


「われら、隠し砦の三姉妹! この地を守護する者なり」


 パチン、と指が鳴る。


「侵略者に容赦はしないわよ」


「何を言って……?」


 眉をひそめるローゼリーヌの背後から、銀の鎧の騎士たちが斬りかかった。


 かろうじて避けたローゼリーヌだったが、すぐに囲まれる。


 部下たちの目からは、光が失われていた。


「……偽団長発見」


「ナルマリア様の仰せの通り……」


「……正義を遂行せん」


(つづく)


――第六十話 あとがき


 最後まで読んでくださって、ありがとうございます。


 隠し砦の守護者、ナルマリアですわ。


 後編は、来週火曜日のお昼頃に投稿予定です。


 来週は、妹たちもなかなか頑張ってくれるはずですの。

 続きも読んでいただけると、とても嬉しいですわ。


 少しでも楽しんでいただけましたら、ブクマや★で応援をしていただけると励みになります。


 さて。


 私が言い出したことではありますけれど、ちょっと街へ出かけただけで、ずいぶん大騒ぎになってまいりましたね。


 え?

 チャームが反則的ですって?


 ふふ、そう見えるかもしれませんわね。


 けれど、弱点もありますのよ。

 単純な殿方は比較的楽なのですが、気難しいお方には、なかなか通りませんの。


 それに、効果が切れた後に蓄積するヘイトも相当なものですわ。


 可愛さ余って、憎さ百テラバイト。

 そんなところでしょうか。


 それでは、また後編でお会いしましょう。


――ナルマリア


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