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閑話:ヤバイよ、矢場だよ

 みなさんは、矢場をご存知だろうか?


 文字から想像できる通り、弓矢を使った射的場のような、江戸時代の遊興施設である。


 ただし、その響きほど健全な場所ばかりではなかったらしい。


 『ヤバイ』の語源という説もあると言ったら、その施設のいかがわしさが伝わるだろうか?


 ――セレノス市場通りから一本奥まった裏通り。


 いつの間にか、その店は夜の裏通りに灯りを漏らしていた。


『裏通り楊弓場』


 看板にはそうあった。


「こんな店、前からあったかね?」


 シャチョーが看板を見上げて首をかしげる。


「初めてみますな」


 獅子の獣人ラオが、低く答えた。


「ちょいと気になるな」


 狼の獣人ジンも、店の入口へ視線を向ける。


 裏通りの赤提灯『ボツ八』で気持ちよく酔っ払ったおっさん同盟は、妖しげな灯りに惹かれるように店へ近づいていった。


 先頭で縄のれんをくぐるのはシャチョー。

 後に続くのは獣人族のラオとジン。

 最後に、オドオドとついて来るのがコーサクだった。


「大丈夫ですかあ? なんか歌舞伎町の雰囲気がするんですが……」


 コーサクの不安げな声を背に、シャチョーは店の中へ入った。


 店の中にはカウンターがある。

 しかし、椅子はない。


 カウンターの向こう、数メートル先には的が掛かっていた。


 訓練所のものとは違う。

 白黒の輪が描かれた霞的である。


 横の壁には、小さめの弓がかけられていた。

 どうやら、それを使って的を射るらしい。


 店には先客がいた。


 緑の髪のウッドエルフの青年。

 その青年が、小さめの弓――楊弓を引き絞り、矢を放とうとしている。


 ――ヒュン!


 軽く放たれた矢は、的の上に外れた。


「ち、こんな精度の低い弓じゃ中らねーよ」


 青年はぼやくと、弓をカウンターの上に放り出した。


「お客様、残念でしたな。もう四本いかがですか?」


 声は、カウンターの上から聞こえた。


 そこに、小さな影がある。

 ノームのようだ。


「よし、もう一回だ!」


 青年は懐を探り、硬貨を数枚カウンターに置いた。


 その横顔を見て、シャチョーが声を上げる。


「おや? あれはパリスくんじゃないかね」


 パリスもこちらに気付いた。

 そして、少しバツの悪そうな顔をする。


「よお、おっさん。まずいところを見られたな」


「なんだね、『マジセコ』は息抜きも禁止かね?」


「そういうわけじゃないんだが、賭け事はなあ」


「ん? 今、賭け事ゆうたかね? これ射的じゃないんかね?」


 シャチョーが食い気味にノームを問い詰める。


 その顔を見て、シャチョーはふと首をかしげた。


「あっれ? ノームのおっちゃん、どこかでおれと会ったことあるかね?」


 なんとなく見覚えがある。


 だが、NPCのアバターは使い回しが多い。

 そのうえ、他種族のノームはますます見分けにくい。


「さあ、私は覚えがありませんな。旦那方も勝負していきますか?」


 ノームは、しれっとした顔でそう答えた。


「勝負って何するんかね?」


「矢四本セットで4gp。そこの楊弓で的を狙って、当たれば1pp相当の豪華賞品がゲットって寸法です」


「4gpで、1pp相当の賞品かね?」


 シャチョーがすぐに反応した。


「はい。中れば、ですがな」


「そいつは面白そうだがね!」


* * *


「さあ、みんなで行こまい!」


 シャチョーの宣言で、全員が壁にかかった弓を取った。


「私、弓なんて初めて触るんですが……」


 コーサクは、おっかなびっくりといった様子で小さな弓を眺めている。


「おい、獣人の手じゃ掴みにくいぞ」


 ジンが弓を持ったまま、顔をしかめた。


「いや、爪を出せばなんとか……」


 ラオが、にゅっと爪を出して見せる。


「狼は出し入れできねえよ……」


「人間姿になればいいがね」


「月が両方隠れないとダメなんだって……これ、口で引いちゃダメなのか?」


 ジンが店主のノームに聞く。


「まあ、いいでしょう」


 ノームの店主は、あっさりとうなずいた。


 その時、奥から女性が出てきた。


 黒髪を結い上げた長身の女性だ。

 艶やかな蓮の花模様の和服に、袴。

 袖が邪魔にならないように、タスキもかけている。


「はいな、こちらにどうぞお入りなんし」


 女性は、手にしていた矢を、それぞれに四本ずつ手渡していった。


 やわらかく微笑みながら、女性は軽く頭を下げる。


「しっかりお張りなんし。応援しておりんすえ」


「うほ、いかがわしいがね」


「いかんですなあ」


「いけねえな」


「大変遺憾です」


 おっさんたちは、みな似たような反応であった。


「お、俺にも早く寄越せよ」


 ひとり、パリスだけがぶっきらぼうに声を上げる。


 シャチョーは、女性から矢を受け取りながら、ふと首をかしげた。


「名前はなんて言うがね」


「わしかね? マ・ペタですじゃ」


 横から、ノームの店主が答えた。


「爺さんには聞いとらんがね!」


 シャチョーが即座にツッコむ。


 女性は、口元に指先を添えるようにして、くすりと笑った。


「うふふ……わちきはメルセンヌと申しんす。メル、と気安う呼んでおくんなまし」


 着物の蓮の花が、ゆっくりと揺れた。


 奇妙な時の流れが、店内を包みつつあった。


* * *


 ――パーン!


 シャチョーの四射目が、見事に的を捉えた。


「中りぃー!」


 メルセンヌが、手に持った鐘を鳴らして場を盛り上げる。


「シャチョー様、お見事でありんす。わちき、今の一射で胸が高鳴ってしまいんした。ささ、もう一度。その勇ましきお姿、もっと見せておくんなまし」


「えへへ、そうかね? ほいじゃ、もう一回だがね」


 シャチョーはすっかり気をよくして、追加の硬貨をカウンターに置いた。


 それを横目で見て、パリスが悔しそうに声を上げる。


「俺にも、もう一組だ!」


 メルセンヌは、すっと視線をめぐらせる。


「みなさまの凛々しきお姿も、わちきに見せておくんなまし」


「わ、私も追加をお願い致す」


「俺も、もう一回やるぜ!」


「これ、期待値低くないですかね? でも、もう一回」


 ノームの店主マ・ペタは、ほいほいと硬貨を回収しては、矢を配っていった。


「いやあ、がっぽ、がっぽ――」


 にやりと、マ・ペタの口元が緩む。


* * *


 一方その頃、酒場『ルーイン・ゴート』のホールでは、ちょっと遅めの夕食が終わろうとしていた。


 大きなテーブルの上には、食べ終えた皿と、飲みかけのコップが並んでいる。


「え? アイテムドロップって確率じゃないの?」


 結が、不思議そうに声を上げた。


「確率だけど、ゲームじゃ厳密な乱数は使われていないんだ」


 ケンタが答える。


「ゲンミツって甘い奴?」


「蜜じゃないぞ」


 ケンタは軽く受け流すと、そのまま続けた。


「完全にランダムな値だと、偏りが出る方が自然なんだ」


 そう言って、赤地に白抜き文字のコケ・コーラをぐびりと飲む。


「つまり、1を狙ってサイコロを振るとして、100回振っても1が出ないことが現実にはあり得るわけだ」


「そ、それは嫌だなあ」


 結が顔をしかめた。


「ゲームで使われている乱数は、だいたい均等に出るように調整された擬似乱数なんだ。さらにもっと単純に、固定テーブルが使われることも多い」


「えっと、床に固定する感じ?」


「このテーブルじゃなくて、表の意味だって」


 ケンタは食卓を軽く叩いて、苦笑した。


「『×××◯×××××××◯×』みたいに、決まった順で当たり外れが出る表を使うわけだ」


「へえー。それじゃ、賭け事とか胴元がやり放題だね」


「テーブルを操作できれば、そうなるな」


 ケンタはそう言って、コケ・コーラをまたぐびりと飲んだ。


「それにしても、シャチョーたち遅いな……」


* * *


 矢は、たまに快音を発して的中した。


 ――パーン!


「中りぃー!」


 そのたびに鐘が鳴り、メルセンヌの声が店内に響く。


「まあ、お見事でありんす。今の矢筋、なんと凛々しきこと」


「よーし、メルちゃん! もっかい頼むがね〜……うぃ〜」


 シャチョーは、ふらつきながらも次の矢を手に取った。


 的中の高揚感を、メルセンヌが巧みに持ち上げる。


 トータルで完全に負けているにもかかわらず、おっさんたちは魅入られたように財布をはたいていった。


 カウンターには、いつの間にか一升瓶がズラリと並んでいる。


 矢場の夜は、ますます勢いを増していった。


「ヒック……ここ領収書出ますかね?」


 コーサクが、ふらつきながら手を上げる。


「りょうしゅうしょ……? それは何でござんす?」


 メルセンヌが、不思議そうに首をかしげた。


「ああ、いいっていいって。コーサクさん、細けーんだよ」


 ジンが笑いながら言う。


「そうですぞ、男たるもの……ヒックック」


 ラオも、赤い顔でうなずいた。


「…………」


 パリスは、とうに潰れていた。


「ああー、惜しいがね……ウィック……」


 シャチョーの矢が、的のすぐ横をかすめる。


「もう財布が空っぽですぞ……ういっぷ」


 ラオが、腰の袋を逆さにして振った。


「ここから先は、ツケでようござんす。さあさ、しっかりお張りなんし」


「そいつは助かるでよ〜、ひっく」


 シャチョーは、ありがたそうにうなずいた。


「さあさ、景気づけにもう一杯いかがでありんす? きっと矢筋も冴えますえ」


 メルセンヌが、にこやかに酒を勧める。


 もはや、おっさんたちは生けるATMと化していた。


* * *


「私、迎えに行ってくるよ」


「俺も行くよ」


 ケンタが椅子から飛び降りる。

 聖職者叙事詩クエストの時から子供アバターのままなのだ。


 二人は『ルーイン・ゴート』を出ると、裏通りを目指した。


「夜食に焼き鳥でも、包んでもらうかな」


「あきれた。さっき夕飯食べたばっかりなのに、もう夜食の話?」


 二人は街路灯をたどるように、夜道をのんびり歩いて行った。


* * *


 表の縄のれんが、ふわりと揺れた。


 そこから、小柄な男性が店内に入ってくる。


 男は紺の着流し姿だった。

 腰には、黒地に銀糸が縫い込まれた献上柄の角帯を締めている。


 片手には木桶。

 どうやら、湯屋の帰りらしい。


「ようお越しでありんす。ここは楊弓場、どうぞ遊んでおくんな……」


 メルセンヌがすかさず声をかける。


 だが、男はそれを右手で制した。


 そして、店内をゆっくりと見回す。


「おやおや、シャチョーさん方じゃないですか」


 黄金の鎧まで賭けたのか、シャチョーは上半身裸で地べたにひっくり返っている


「あんた……誰だがね? ……顔が回っとるがね……ウイック」


 シャチョーは、赤い顔で男を見上げた。


 男は、すぐに事情を察したらしい。

 シャチョーの背中をさすりながら、静かに声をかける。


「これくらいにして、帰りやしょう。皆さんもう正体失くしてますぜ」


 それを聞いて、ノームの店主とメルセンヌが声を上げた。


「あんたこそ、客でないなら帰ってもらおう」


「左様でありんす。弓も引けぬお方なら、どうぞお帰りなんし」


 男は、カウンターの上に残された楊弓を見る。


 そして、ひとつ頷くと、それを手に取った。


 軽く弦を引き、肩入れをする。


 弓力を確かめるというより、弓と会話しているようだった。


「悪くない……が、何か歪められてますね……」


 男はそう呟くと、ノームの前に硬貨を並べた。


「客ならよござんすよね?」


* * *


 ――スパーン!


 男が放った矢は、まっすぐ的を捉えた。


 続く二本目も、三本目も、四本目も。


 渡された四本の矢は、すべて的中した。


「当たるはず……ありんせんのに……なぜでありんす?」


 メルセンヌは、鐘を鳴らすのも忘れて、呆然と呟いた。


「そんなバカな……当たるわけないのに!」


 ノームの店主マ・ペタも、目を剥いている。


 男は弓をそっと下ろした。


「こんな阿漕な商売を続けるというなら、裏通りから出て行ってもらいやす」


「あ、あんた何者だ? その弓に何をした?」


 男は、ノームの問いに答えるように、弓を再び上げた。


 そして、指先で弦を弾く。


 ――ビイインッ!


 軽く、弦が鳴った。


「まさか……弦を弾いて、出目表のハズレを飛ばしなんしたのかえ?」


 メルセンヌが、息を呑む。


「ハズレを飛ばすなんてイカサマだ!」


 ノームが思わず叫んだ。


「へえー。やっぱり当たり外れ、調整されてたんれすね……」


 コーサクが、ふいに口を挟んだ。


「どっちがイカサマですかー……ヒック……イカは炙ったツマミだけにしてくらさい」


 接待慣れで、意外と酒に強いコーサクであった。


「し、しまった!」


 ノームは慌てて口を塞いだが、もう遅い。


「まだ、勝負致しやすか?」


 男のダメ押しに、ノームはぶんぶんと首を横に振った。


「では、これで一件落着ということにしやしょう」


 男は、ふらつくシャチョーたちを連れて店を出ていく。


 最後に、店の二人へ振り返った。


「あまり、弓を泣かせないでくださいね」


 そう告げると、男は踵を返した。


* * *


 店の外に出ると、結とケンタが駆け寄ってきた。


「あ、シャチョーたち、こんなとこで何してんだ? へべれけじゃないか」


「いやはや、面目ないれすが、面倒ありといいますか……」


 コーサクが、バツが悪そうに頭を下げる。


「あれ? 渋澤さんも一緒に飲んでたんですか?」


 結は、縄のれんをくぐって出てきた男に声をかけた。


 今日はいつもの藍染めの作務衣ではない。

 紺の着流し姿だった。


「いえ、ちょっとご一緒に遊んでただけでさあ」


 男――渋澤弓具店の主人、渋澤三郎は柔らかく微笑んだ。


 店内から、のれん越しに彼らを見送って、マ・ペタは顔をしかめる。


「まったく、大損だわい」


「そう嘆くこともありんせん。お代を返せとは言われておりんせんし、最後のお言葉は、商いを続けてもよいということでござんしょう?」


 メルセンヌは目を細めて、渋澤の背中を見送った。


「ふふ……なんとも粋なお方でありんす」


(おわり)


――閑話:ヤバイよ、矢場だよ あとがき


 最後まで読んでくださって、まことにありがとうござんす。


 裏通りの華、メルセンヌでありんす。


 次回の『マジチー』は、本編を来週火曜日のお昼頃に投稿予定でありんす。

 あの隠し砦の三姉妹、ふたたびお目見えでありんす。

 そちらも読んでいただけましたら、わちき、とても嬉しゅうござんす。


 少しでも楽しんでいただけたのでありんしたら、ブクマや★で応援していただけると励みになりんす。


 皆様、遊びはほどほどが粋というもの。

 領収書は出せませんし、ご返金もいたしかねんす。


 まあ、今後はあのお方を怒らせぬよう、少しは商いを改めて参りんしょう。


 ……少しだけ、また怒らせてみたい気持ちもありんすけどね。


――メルセンヌ


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