第四十九話 守るべき存在
「そうだな。さあ、人間たちよ。かかってくるがいい!」
アスタロトはそう言うと、漆黒の翼を威嚇のように広げた。
「アスタロトと言ったかしら? あなた方で、イツキを倒せるかしら?」
会長は一歩前に出ると、顎に手を当ててアスタロトを蔑んでいた。
「人間よ、それは違います。私たちはここで死ぬかもしれません。ですが、子を正せるのは親である私たちだけなのです」
話に割って入ったアリスは、同じく金色の翼を広げていた。
「図々しいわ! たしかに3000年前の英雄は暴走を止められなかったかもしれない。でも、イツキは! イツキはそれを制御することができたの! 正す理由もないの!」
「たしかに人間の言うことも一理ある。だが、アムステリア帝国はどうだ? お前たちは我々を決して認めない。結局、戦うしかないのだよ」
アスタロトの言うことはもっともだ。人間側が英雄アカギの暴走を隠すために、事実を歴史から消した。だが、3000年という月日がたったのだ。人間のみで統治してもいいはずだ。
「親である天使や、悪魔が、子である人間をコントロールするという時代は終わったんだ!!」
アスタロトは俺の言葉に目を見開き、強い語気で答えた。
「いいや! 終わってない。お前たちは未だにそれを隠しているし、戦争だって再び起こしたじゃないか」
「アスタロトの言う通りです。付け加えると、今後も高魔力の人間が現れると石板には書いてあります。つまり、我々が指導しなければ、共倒れなのです」
俺はアリスやアスタロトの言うことに反論できなかった。アリスたちの言うことは正しい。天使や悪魔はそれほど悪い奴らではない。
だが、一つだけ戦う理由がある。それは、故郷が滅ぼされそうとしているということだ。
アムステリア帝国の人間は神々を信用していない。それはアムステリア大陸のほとんどの人間も同じだ。
そんな俺たちが、神に従うということはないだろう。その理由だけで十分だ。
「たしかに、お前たちは正しい! だけど、俺たちも守るべきものがあるんだ!」
リリーやエル会長も俺の意見に賛同してくれているのか、頷いている。
「そうか。なら、始めるとしよう! 悪魔の衣! 身体強化! 予知! 付与! 暗黒力!」
「天使の衣! 身体強化! 予知! 付与! 光明力!」
アリスやアスタロトがそう詠唱すると、リリーと会長もそれぞれ光の技を詠唱する。
「さあ、お前も詠唱するがいい!」
「その必要はない!!」
「王者の貫禄ってやつか。いいだろう! その自信を打ち砕いてやる! いくぞ、アリス!」
「ええ!」
その瞬間、俺はアスタロトとアリスが何をしてくるのか予知できた。アスタトロは正面から、アリスは左側から俺を攻撃するだろう。
俺の予知通り、アスタロトは正面から魔法武器である、暗黒剣を振りかざしている。その速度は遅く、容易に避けられる。だが、それでは面白くないので、盾で防ぐことにした。
「火よ! 俺に力を貸してくれ! 火壁!!」
部屋中にある火魔素が俺の周囲に集まりオーラのように燃えている。それは形を変えると、火の壁となって俺を囲み、アスタロトの攻撃を容易に防いだ。
「馬鹿なっ!! 英雄の力とはこれほどまでなのか!!」
容易に低位の技で暗黒剣の斬撃と、渾身の一振りを防いだことに驚いたのだろう。アスタロトは暗黒剣を落としていた。
「そんなっ! アスタロトの攻撃が効かないですって! 大天使様のお話とは違います!」
アリスはアスタロトの攻撃を容易に防いだことに驚いたのか、腰が抜けていた。
「まだ戦いますか?」
俺のその言葉に、アスタロトは俯き、アリスは目を泳がせていた。
「いや、もう負けは確定だ。殺せ」
「そ、そんなっ! 私はまだ20歳にもならないのです! 死にたくはありません!」
アスタロトとアリスは互いに言い争っている。
「お前も、ミラの戦士だ。潔く死を受け入れろ」
「あなたは100歳を過ぎているから受け入れるだけでしょう! わ、私はまだやりたいことがあるのです!!」
「おい、人間。こいつの言うことに耳を貸すな。一思いに斬ってくれ」
アスタロトがそう言うなら、殺したほうがいいだろう。しかし、アリスの方はどうだ? 彼女はまだ若い。おそらく、新米の戦士なのだろう。それなのに、一人で見知らぬこの地にやってきたのだ。
そんな彼女を殺す必要があるだろうか。
「イツキくん。これは戦いよ! 判断は任せるけど、それを忘れないでね」
会長とリリーは俺の近くに寄っていた。
会長の言う通りこれは戦いだ。だが、彼女は死を望んでいないし、俺たちもそれを望んでいない。それに、さっきも言った通り彼女はただの新米兵士なのだ
ならば
「アスタロト。分かった。望み通りにしてやる」
俺の言葉にアリスは足をがくがくさせながら、懇願してきた。
「お願いします! 殺さないでください! な、なんでもしますから!」
長い金髪を揺らし、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながらアリスは言っていた。おまけに失禁もしているようだ。純白の衣服は黄色く汚れていた。
「俺は別に悪党なわけではない。アスタロトは望み通りにやるが、アリスを殺すつもりはない」
その瞬間、アリスは手を合わせると頭を床につけていた。
「あ、ありがとうございます!!」
純白の衣服を黄色く汚し、顔を鼻水と涙で汚したアリスの神らしからぬ格好に驚かないわけがない。
俺はアリスのその恰好を見て、思わず目を背けた。
「腑抜けな天使どもめ! まぁ、良い! 俺だけでも斬ってくれ!」
アスタロトは怒声を響かせていた。
正直なところ、アスタロトはそういうが、俺は斬りたくなどなかった。だが、戦士として勇敢に戦ったアスタロトの頼みを騎士として聞かないわけにはいかない。
俺はアスタロトに近づくと、水剣を詠唱した。
そして、一瞬で逝かせる様に、心臓を一思いに貫いた。
アスタロトは苦しむことなく、息をすることをやめ、その場に倒れていた。
その姿は安らかだった。
「イツキ、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」
リリーはそう言うと俺の手を握っていた。
きっと俺の手は震えていたので、心配してくれたのだろう。
リリーの体温が伝わってくる。その優しい感覚や、匂いで癒される。
「リリー、ありがとう! 大丈夫だよ」
俺は不安そうなリリーに大丈夫だと伝えるために微笑む。
「それならいいけど!」
リリーは微笑み返してくれた。
その笑顔に俺はまたしても癒される。ここにリリーがいてくれて本当に良かった。
叶うなら、ずっとこのままでいたい。
だが、時間は有限で残酷だ。俺たちはこれからこの街を脱出しなければならないし、アリスの処分も決まっていない。
とすれば、まずはアリスの処分から決めるのがいいだろう。俺は会長に尋ねた。
「それより、アリスはどうしましょうか?」
俺が尋ねると会長は顎に手を当て考えていた。
「そうね...... 法に則れば裁判になるでしょうけど、確実に死刑だと思うわ」
「アリスをミラに返すというのはどうでしょうか?」
リリーが尋ねていた。
「それだけはダメです!! わ、私がミラに返還されたら、確実に死刑です」
アリスは再び涙を流していた。
「それじゃあ、いっその事このまま放置するというのはどうでしょう」
「考えられるのは、それくらいね......」
俺の意見しか解決策がないのか、会長は頷きながらそう言っていた。
「じゃあ、アリスさんは放免ということで! でも、私たちを苦しめたら許さないわよ!」
会長はアリスをきつく睨みつけていた。
「そんなことは決してしません! ありがとうございます! この御恩は必ず返します!!」
アリスは嬉し涙を浮かべると、尿で濡れた部分を手で隠した。




