84.お兄様の重大発表
エリーゼ様主催のお茶会から数日。今日は王太子妃教育のない安息日だ。
今はいつも通り家族が一堂に会する朝食の真っ最中……なのだけれど、お兄様がわたくしに話しかけてきた。珍しい。
「今日は安息日、であっていたよな?」
「そう……ですね」
今日が安息日か、だなんてことをなぜお兄様が尋ねてくるのか疑問に思ってしまった。その心中がお兄様に伝わったのだろうか。
「いや、俺は大体安息日も王宮に詰めているからな。曜日感覚がだんだんと分からなくなってくるんだ」
「そう。お兄様、婚約者のローザ様も文官ですものね」
「フアナ……」
お姉様が即座にツッコミを入れる。お兄様の婚約者はローザ様という方らしい。
もうすぐわたくしがリチェット家に帰ってきて半年になるというのに、今はじめて知った。
お姉様の婚約者もフレッドつきの護衛騎士、ヴィクトー様だから王宮勤めの方なのか……とひとり心の中で復習していると、次に会話に加わったのはお父様だ。
「ヴァン。僕とアウロラのように仲良くしているのかい? 以前聞いた限りでは、ローザ嬢はきっと君と同じで城勤めを楽しんでいるとは思うけれど……たまにはエスコート以外でも婚約者らしいことはした方がいいよ。これは人生の先輩からのアドバイスだ」
「父上……」
「旦那様の言う通りよ。だって……」
今日はお兄様が珍しく会話に参加したからか、みんなお兄様にあれやこれや話しかけている。
お父様以上のワーカホリックだとは思っていたけれど、お兄様はその時間を婚約者の方と一緒に過ごしているのだ。
正直、それがいいのか悪いのかはローザ様にしかわからないことなのだろうけれど。そう考えているうちにお母様のちょっとしたお小言が終わったらしい。
「えー……コホン。今日は何と言うかだね……ヴァン。君の番だ」
そこで咳払いをして注目を集めたのはお父様だ。お父様はお兄様に再び話を回す。お兄様は「え、今?」みたいなことを言いそうな顔をお父様に向けていたけれど、お父様は頷くばかりだ。
わたくしを含め、全員の視線が向けられる中、お兄様はこう呟いた。
「結婚式の日取りが決まったんだ」
その言葉に場の空気が一変してお祝いムードになったことは、言うまでもない。
☆☆☆☆☆
お兄様の話を聞けば、どうやらお兄様は婚約者のローザ様と王都のあの大聖堂──わたくしとフレッドが二人ではじめてお出かけした場所──でこの冬結婚式を上げるのだという。
つまりフレッドの誕生日の後だ。ちなみに、まだ社交界では話していないらしい。
「おめでとうございます、お兄様」
「ありがとう、イェニー」
「さすがお兄様ね!」
「ホント、シェリーの言う通りだわ」
「何が言う通りなのかわからないんだが……」
わたくしもお兄様同様、二人の言う「さすが」なのかよくわからない。シェリーの方を向いても人差し指を立てて「ナイショ」と言わんばかりだ。
いくら考えても答えが出ない気がしたのでジュースを口に含んでいると、お兄様からこんな提案を受けた。
「今日は安息日であっていた、よな」
「先ほどもそう申し上げましたが……」
「じゃあ、ローザと会ってみないか? というか、彼女がイェニーに会いたがっているんだ。正確にはもう一度、と言った方がいいだろうか」
やはりわたくしとローザ様は会っているらしい。お茶会でも思ったことだが、本当に覚えがない。
お兄様の婚約者を紹介されたこと自体を忘れるということはないはずだ。それでも、そのご本人が会ったことがあると言うぐらいなら、事実なのだろう。
──とそこで思考を切り上げて、目の前に意識を集中すると。お兄様が今にもわたくしの料理にフォークを刺そうとしている様子を目撃してしまった。その様子にわたくしははっとなる。
「──お兄様?」
「やっと気づいたか」
ハァと盛大な溜め息をつきながらお兄様はもとの椅子に腰を下ろす。
後でシェリーに聞いたところによると、お兄様は他のみんなとあの体勢でゲストがどうとかいった話をしていたらしい。それはともかく。
「イェニー。とにかく、今日はローザに会ってやってはくれないだろうか?」
「は、はい。今日は特に予定もございませんでしたので、大丈夫ですよ」
「ありがとう」
そう告げるお兄様は、どこか明るい表情をしていた。
☆☆☆☆☆
今日は王太子妃教育もなければ、フレッドと会う約束をしていたわけでもないので王宮から迎えの馬車も来ない。
というわけで、わたくしはお兄様やシェリーと同じ馬車に乗ることになった。
ちなみに、王宮側の使用人の皆様に対処させるのも迷惑でしかないので、ベスたちにも別の馬車でついて来てもらっている。
シェリーはローザ様から婚約者を見繕ってもらっているのだと聞いた。
お兄様の様子を見る限り王宮勤めの文官仕事はきっと忙しいに違いない。それなのにその片手間に婚約者を見繕うというのは、正直相当優秀な人物でないとできないのではないだろうか。そして──
「フアナ、君も王宮に行くのか?」
「ええ。ヴィクトー様と会えるかもしれませんもの」
「彼も騎士だからいるかもしれんな」
今思えばこの四人全員で同じ馬車に乗るのははじめてのことだ。でも、皆これから別々の相手と結婚するわけで。
フレッドと結婚するのが嫌というわけではないのだけれど、それが少し寂しいとも思ってしまう。
はじめて会った日には少々高圧的に感じられたシェリー。同じく初対面では値踏みするような視線を向けてきたお姉様。一緒にいたのに、今日までほとんど会話したことがなかったお兄様。
でも本当は皆優しくて。そう思うと涙が溢れてしまいそうだ。
同じ馬車に乗らなければそのようなことは思わなかったのだろうか。でも、せっかく同じきょうだいになれたのだから、それもちょっと寂しい気がする。
フレッドと結婚するのは本当に楽しみだけれど、いずれにせよここでもちょっとした──孤児院を出た時ほどではないにせよ──心の痛みを経ることになるのは、当然であり、避けられないことなのだろう。
そう思っていた所に、隣に座っていたシェリーから声をかけられる。
「イェニー……泣いてるの?」
「ふぇ?」
本当だ。涙が溢れてしまいそう、とかではなく本当にこぼれていた。
「はい、これ。イェニーから借りたままになっていたわ。ごめんなさい」
「大丈夫。こうして返してくれたでしょ?」
わたくしは先日のお茶会でシェリーに貸したハンカチを返してもらい、それで涙をぬぐった。
ふわりと漂うのは薬用のハーブの香りだろうか。数日前のものだから、きっと洗濯してもらったのだろう。
一通り涙を拭き終えたわたくし。やがて馬車は王宮入口の門で止まる。
お兄様が顔を出すと門の開く音が聞こえ、再び馬車が走り出した。それと同時に、目の前にいるお兄様が今日の予定を説明してくれる。
「今日は文官棟から入る予定だ。フアナとイェニーはきっと来たことがないだろうが……」
文官棟。それはエナトス王国の文官が日々せわしなく働く建物の名前だ。
わたくしが王太子妃教育を受けているのは東棟なので、お兄様の言う通りここに来たことはないはずだ。やがて馬車が止まった。
「さあ、ここが文官棟だ」
そう言って、お兄様はわたくしたち三人の馬車を降りる手伝いをしてくれた。




