85.ローザ様との再会
現在、わたくしたち三人はお兄様主導で文官棟の中を歩いている。
お姉様はヴィクトー様のいる騎士棟に向かうとのことで、入口のところで別行動することになった。
結局ベスたちは一応部外者ということで、入口近くの待合室で待っているようにと言われてしまったけれど。
はじめて入った文官棟はわたくしが今までに見た他の棟とは違い、全体的に落ち着いた雰囲気をしていた。
調度のひとつひとつ、使われている木材の一本一本までもが暗めの色をしている。
そういえばどこかで見たような……と思えば、わたくしがアーシャ様の代理で孤児院を慰問した翌日、報告のために来た応接室に似ている気がする。
あれはもしかしたら文官棟だったのかもしれない。仮にそうだとしたら、わたくしがここに来たのは二度目ということになるのだろう。
それにしても、わたくしたちを珍しそうな目で見る文官の皆様。
わたくしたち双子が並んでいるからか、中には嫌悪の眼差しを向けてくる方もいるけれど、おおむね好意な、あるいは好奇心といった感情から向けられていると思う。
これはひとえに、エリーゼ様をはじめとした皆様がデビュタントの夜会で開いてくれた「劇」のおかげだろう。
そう考えごとをしながらお兄様の後をついて行くと、お兄様が一つの扉の前で立ち止まる。お兄様はわたくしたちのいる後ろを振り向いた。
「今は業務時間中だから、静かにするのだぞ?」
業務時間中。なんとなく意味はわかるつもりではあるのだけれど……わたくしが念のために確認してみると。
「お兄様はお休み、なのですか?」
「一応な。だが、俺が休みでもローザが仕事なら王宮に出てきている。ローザも同じだ」
今にもサムズアップしそうなお兄様。やはりワーカホリックで間違いない。
わたくしたちは扉を開けたお兄様の後に続いて入室していく。
普段なら自身の名を名乗ってから入室するのがマナーではあるけれど、どうやら今回はそうではないらしい。
中では数人の文官の皆様が机に向かって羽ペンを動かしていた。お兄様の言う通り、声をかけては邪魔にしかならなさそうな雰囲気が漂っている。
ほとんど男性ばかりのその部屋の中に、一人だけ女性がいた。
文官としては珍しい女性という点を除けば、結い上げた茶色の髪に茶色の瞳という、何の変哲もない容姿をしている彼女。
お兄様が彼女の机の端にある紙を一枚手にとると、女性はお兄様の方を見た。彼女は羽ペンを立てかけると、囁き声と共にお兄様に抱きついた。
「……ヴァン? 休みなのに今日も会いに来てくれたの? 嬉しい」
そのまま彼女が立ち上がると、お兄様もまた彼女の背中に腕を回す。彼女がお兄様の婚約者だというローザ様なのだろう。
失礼とわかりながらもローザ様──と思われる方──の顔をよくよく見てみると。
「この子たちがもしかして貴方の……ごきげんよう、未来の王妃様。またお会いしましたね」
その顔に、わたくしは間違いなく見覚えがあった。だって──
「ここで声を上げては駄目ですよ」
そうわたくしの口に人差し指を立てて忠告する彼女。わたくしたち四人はひとまず部屋を出ることにした。
☆☆☆☆☆
わたくしたちはお兄様たちと共に部屋を出て、別の部屋へと移動する。
案内された先の部屋には、わたくしも見覚えがあった。
「ここは……」
「イェニー様とは以前この部屋でお会いしましたね」
そう。この部屋はわたくしが先ほど思い出した、アーシャ様に孤児院への慰問の報告を上げた部屋だ。
椅子に座るように促されたわたくしが席につくと、続いて他の皆も席につく。
わたくしが先なのは、先ほど彼女が言っていた「未来の王妃様」なのか、それとも──その彼女が口を開く。
「申し遅れました。わたくしはツヴェルフ辺境伯家より王宮に出仕しております、ローザと申します。ご存知かと思いますが、貴女様の兄君の婚約者です」
「イェニー・リチェットと申します」
わたくしたちは二度目の体面にして、はじめての挨拶をした。やはり彼女はお兄様の婚約者で間違いないらしい。
お茶会でも言っていたけれど、シェリーは彼女に婚約者の選定に関わる相談をしているらしい。二人はかなり親しい間柄なのだろう。
それから始まったお話なのだけれど──お兄様とローザ様の惚気話だった。
大体の内容を張り付けた淑女の仮面で半ば聞き流していたのだけれど、わたくしは聞き捨てならない言葉を耳にしてしまった。
「……でね、結婚式はあの王都北西の大聖堂で行うのよ」
「ずっと前からそう話し合っていたんだ。あそこで式を挙げようとな」
今朝聞いた話ではあるけれど、仲睦まじくしている二人の様子に、フレッドと二人お忍びで向かったあの日のことをあらためて思い出す。
最近は忙しさからか、あるいは婚約者になって人目のない状況が続いたからか……それとも単にわたくしが慣れてしまったからなのか。
あの時のようなことにはここ最近なっていないけれど──それがちょっと寂しい。
そう考えているうちにわたくしは二人の惚気話そっちのけで俯いてしまった。
「あら。イェニー様はどうかしたのかしら?」
「これはきっと、俺たちを見てフレデリク殿下と自身の関係を思い出しているのだろう」
どうしてお兄様はこんなにも勘が鋭いのだろう。
わたくしが少し顔を上げてお兄様にジト目を向けると、お兄様はローザ様の肩を抱き寄せる。
その後は言うまでもなく、お兄様は彼女と二人きりの世界へとより深く沈んでいってしまった。
「ヴァン様と結婚できるなんて……わたくしは世界一幸せよ」
「そうだな。俺も君と結婚できるなんて、本当に幸せだ。二人で世界一幸せになろう」
「……はいっ!」
わたくしは一体何を見せられているのだろう? お兄様がローザ様にかけている言葉自体はわたくしが以前王都で迷子になった時、あのおじさんにかけられたものとほとんど同じものだ。
しかし、その言葉を笑顔で受けているローザ様。幸せそうで何よりだと思う。
あの日のことを思い返すと、わたくしはおじさんの言葉が嫌だったし、フレッドの声が聞けて安堵した。
そう再び物思いにふけっていると、シェリーから声をかけられる。
「イェニー、どうしたの?」
「えっと……何でもない」
「そんなことはないでしょう? もしかして殿下とのこと?」
「そうかなぁ……でも、シェリーの言う通りかも」
言われてみればわたくしは先ほどからずっとフレッドのことを考えている。
大聖堂のこと。おじさんから助けてもらった時のこと。そのほとんどが婚約前の、誰の視線も気にせずにいられた時のことばかりで。
「わたくしももっとフレッドと一緒にいられたらなぁ」
そう俯きながら愚痴を零す。わたくし以外に三人がこの部屋にいるけれど、わたくしのこの言葉を聞いているのは隣にいるシェリーぐらいだろう。そう思ったのだけれど。
入口から誰かの気配がする。誰かが扉を閉めていた覚えはないから、誰かが立ち聞きでもしていたのかもしれない。
誰だろうと思って入口の方に視線を向けると。
「イェニー……来ていたのだな」
「どうして──」
そこにいたのは、わたくしがまさに今頭の中で考えていた彼だった。わたくしは慌てて席を立つ。そして淑女の礼をとった。
「どうして、ここにいらっしゃるのですか?」
「ここは王宮だから私がいてもおかしくないと思うのだが……そうだ。この際だから兄君に挨拶しなくてはな」
そう言ってこちらに近づいてくるフレッド。たしかに、王族の彼が王宮にいるのは別におかしな話ではない。
でも、そういう問題ではないのだ。普通、他人のことを考えていたらその人がやって来ました、なんてことにはそうそうならない……はずだと思う。
お兄様たちの方を向き直ると、そこには再び二人だけの世界が築かれていた。シェリーはこちらを見て苦笑している。
フレッドはこちらに近づいてくると、わたくしの隣から二人に話しかけたのだけれど。
「義兄上、ツヴェルフ嬢」
「聞こえていないみたいですね……」
フレッドの言葉にそうわたくしが返すと、彼は肩を竦める。さほどはわたくしのことを気にする余裕があったみたいだけれど、今はもう完全に蚊帳の外だ。
同じく二人の視界から外れているらしいシェリーもまた立ち上がって、礼をする。
「殿下。イェニーのことをよろしくお願いいたします。こちらにはわたくしがおりますので」
「言われるまでもない。さあイェニー、お手をどうぞ」
そうフレッドから告げられたわたくしは、いつものように差し出された手に自身の手を重ねた。重ねたのだけれど──寂しい。
なぜ、彼が隣にいるのにこんなにも寂しいのだろう。今のわたくしにはその答えがわからない。
シェリーは笑顔で「行ってらっしゃい」と口を動かすと、再び椅子に座る。
この動作に気づいていないお兄様とローザ様が心配になってきた。でもシェリーがいるのだから、問題ないとまでは言えないにしても、とりあえず大丈夫だとは思う。
わたくしはフレッドにエスコートされながらも、モヤモヤした気分を抱えたまま部屋を出た。




