32.デビュタントの打ち合わせ(1)
家に帰り、わたくしがそのまま食卓に向かうと、すでに他のみんなは席についていた。
わたくしも席につくと、フアナお姉様はこちらを見て溜息をついた。給仕係が今夜の料理を持ってくると、お父様の合図で一斉に食べ始める。しばらくして、お姉様が口を開いた。
「イェニー、その服装は家族以外がいる所では絶対着ないでね。我が家の顔に泥を塗ることになるから。いい?」
「は、はい……」
それはもっともだ。服ぐらい楽なものが着たいとは思うけれど、わたくしだってみんなに迷惑をかけたいわけではない。
もちろんフレデリク様に言われた時は別だけど。けれど、それは本題ではなかったようで。
「あんたフレデリク殿下にご迷惑をおかけしたりはしてないわよね?」
「それは……したかも、しれません」
「お姉様が忠告してあげる。あんたはフレデリク殿下の隣に相応しくない、ってね。どうせならわたくしが婚約者になった方がいいかも。ああ、ヴィクトー様との婚約が破棄されてフレデリク殿下と結び直せたらいいのに」
お姉様のその言葉に、わたくしはこらえられなくなった。淑女の仮面をつけることも忘れてこう言い放っていた。
「お姉様なんて、大嫌いです!」
「イェニー、あんた生意気よ! フレデリク殿下の婚約者だからって慢心しているでしょ?」
「違います!」
「何が違うのよ!? 殿下はそういう女性は嫌いよ。そんな顔で殿下にお会いしてみなさい。きっと婚約は破談になるわ。イェニーの本性を知ったら殿下はどう思うのでしょうね?」
フレデリク様に嫌われる。それは嫌だ。だが、わたくしはフレデリク様に本性の一端を見せてしまっている。フレデリク様が気づいていないだけなのか、気づいていてあえて見逃してくれているのかは、フレデリク様ご本人にしかわからない。
それでも、フレデリク様はわたくしのことを「好きだ」とか「愛してる」とか言ってくれた。思い出すだけでも身体が熱くなる。
「何? 怒ってるの? 残酷な事実を突きつけられてショックだった?」
「どうどう。喧嘩するなって」
「そうよ。お姉様もイェニーも落ち着いて」
わたくしは怒っているわけではない、と思う。お姉様との言い争いがヒートアップしてきたからか、お兄様とシェリーが仲裁に入ってくれた。馬扱いされたのは気のせいだろうか。そこに、静観していたお父様も加わる。
「フアナ、イェニー。落ち着くんだ。二人の言う通りだ。フアナ、イェニーのことを好きか嫌いかは殿下がお決めになる問題だよ。それからイェニー……うん。この話はまた今度にしよう」
そう言われるととても気になってしまう。お姉様も、他のみんなも同じだろう。しかし、お父様はそれ以上何も言わなかった。
お母様の方を見ても、微笑みを浮かべているだけで何も教えてくれそうになかった。
☆☆☆☆☆
フレデリク様と過ごした日から数日。わたくしは忙しい日々を過ごしていた。社交シーズンはじめに行われるわたくしのデビュタント、そしてわたくしとフレデリク様との婚約発表を行う夜会まであと十日。それまでにやることがたくさんあるのだ。
ダンスはもちろん、マナーに立ち振る舞いなど、覚えるべきことはいくらでもある。
加えて、先日買ってもらったハンカチに刺繡もしなければならない。昼はセルマ夫人やシェリーと共にレッスンを、夜は刺繡をという毎日だ。
ちなみに、最近お姉様は出かけることが多くなった。誰も行き先は知らないらしい。お母様は「婚約者のヴィクトー様に会いに行っているのではないかしら?」と話していたけれど結局は本人に聞くのが一番だろう。
だが、喧嘩の最中だからなのか、教えてくれない。このままではいけないと思いつつも、なかなか仲直りできない自分がいる。
そうこうしているうちに、毎週恒例のフレデリク様からの手紙が今日も届いた。読むと、そこには明日王宮に来てほしいとの旨が書かれていた。中には、やけに具体的な指示書きも同封されていて、これを衛兵の方に渡せばいいらしい。
そして翌日、わたくしは身なりを整え、ベスを伴い王宮に向かった。もちろん馬車だ。王宮についたわたくしは、城の入口でフレデリク様の手紙を見せる。
すると、衛兵の皆様が慌て出した。ほとんど待ち時間もなく、わたくしはやって来た文官の方に応接室へと通される。ベスは別室に案内されていった。
中に入ると、部屋の隅には侍女の方がひとり控えていた。貴族は男女が一対一で会うと、婚外の関係を追求される可能性が高いので、それを防ぐためにひとり以上の立会人を置いておくというしきたりがあるのだとお母様は言っていた。
「あの、フレデリク様は」
「待たせた。すまない」
侍女の方にフレデリク様のことを聞いたちょうどその時、扉の方から大好きな声がした。声の方を見ればわたくしの予想通り彼がいた。
「今日はよく来てくれた。案内する」
そう言うと、フレデリク様はわたくしに手を差し出した。今日も手を繋げるのだと思うと嬉しい。
後ろから侍女の方がついてきているせいで、ちょっと気恥ずかしくもあるが、気にしてはいられない。
わたくしたちは王宮内の長い廊下を歩き続けた。どれくらい歩いただろうか。フレデリク様はある部屋の前で立ち止まった。
「さあ、入ろうか」
「この部屋は何ですか……?」
「中を見ればわかる」
そう彼が言うと、部屋の扉が開かれる。フレデリク様の先導に従って中に入れば、そこには三着のドレスが置かれていた。
以前王都に遊びに行った帰りに話していたのはこれのことだったのだろう。どれほどのお金がかかっているのかなんて、考えたくもなかった。
わたくしのことが好きとはいえ、これはやりすぎなのではないか。
「全部イェニーのために用意したドレスだ。受け取ってくれ」
「さすがにこんなにも受け取れません……っ!」
「いや、受け取ってくれ。貴女が私の隣に立った時に貴女が、そして私が笑われないための衣装なのだ。貴女のためというより、私のためだ。だから、これは私の我儘だ。何なら貴女も私に甘えてくれていい」
そう告げる彼はとても真剣な目をしていて、目を逸らすことが許されない気分になる。
やはり彼はずるい人だ。「私の我儘」だなんて言われたら、わたくしが断ることができないとわかっているのではないか。
嬉しいかと聞かれたら、とても嬉しいのは事実だが、それとこれとは話が別だ。
「お返しは」
「いらない。イェニーさえいればいい」
「フレデリク様と一緒にいたいのはわたくしも同じですから、それではお返しにはならないと思いますっ……!」
もっとも、このような高価なドレスに対するお返しをするなど、わたくしのお小遣いでは足りない。はじめからお返しのしようもないのだ。
それでも、ただ貰うだけでは申し訳ない気持ちになってしまう。すると、フレデリク様は嘆息して、わたくしに提案してきた。
「そうか。それではイェニー……私に、キスしてほしいのだが」
「ふぇっ!? キ、キスですか……?」
「ここには口うるさい補佐官も護衛騎士もいない。いるのは私たちと口の堅い侍女だけだ。何の問題もない」
また変な声が出てしまった。でも仕方ないだろう。突然そんなことを言われたら、誰だって動揺する。でも、それでは先ほどと同じではないか。
わたくしが嬉しいことなのだから、お返しにはならないだろう。そう思っていると。
「もちろんイェニーからで頼む……お返しと言うのなら、私の甘えを聞いてはくれないか?」
「……!」
そう告げる彼は、今までで見たことがないほど意地悪な顔をしていた。完全に逃げ道は塞がれてしまった。
ドレスを彼の我儘ということにしても、数日前は彼からキスしてもらったのだから、わたくしからも彼にキスをしないと不公平だろう。恥ずかしいけれど。
わたくしは目の前のフレデリク様に近づく。ロマンス小説にはどう書いてあったか。とりあえず以前もしたように、目を瞑っていた気がしたので、目を閉じてみた。
しかし、どうもうまくいかない。彼の顔がどこにあるかわからないのだ。目を開けると、彼とわたくしにはそこそこの身長差があった。これでは届くはずもない。
そう思った次の瞬間。彼は急にこちらに顔を近づけて。わたくしの頬に口づけを落としていった。わたくしが遅れて事態を把握すると、途端に何とも言えぬ恥ずかしさがこみ上げてきた。先ほどの「甘え」とは一体何の話だ。
「イェニーはかわいいな……」
「からかわないでくださいっ……!」
「からかってすまなかった」
「やっぱりからかっていたんですね!?」
「からかってはいるが、私は本気だ。イェニーがかわいいと思ったのは嘘ではない」
そう言って彼はわたくしの頬に触れる。これには耐えられそうにない。外から扉が叩かれるまで、蕩けてしまったわたくしの頭は一向に仕事をしなかった。




