31.夕暮れ時の家路
残されたわたくしたちは互いに向き合ったものの、再びわたくしが彼に抱擁されることはなかった。屋外でそのようなことをするのはいけないとわかっているつもりだが、少し寂しい。
「……逃げたのはもしかして、私のことをフレッドと呼ぶのが嫌だったからか? それとも今朝、腕を引っ張ったからか?」
「ち、ちが……う」
「では、何故……」
「フレデ、フレッドにあんなことを言ってしまったから嫌われたんじゃないかって」
「私はイェニーのことを嫌ってなどいない」
「ふぇ?」
「先ほどの『もう少し』と言うイェニーはとても愛らしかったぞ……イェニー?」
それを聞いたわたくしは羞恥のあまり悶え死にそうになる。目はともかく、言動が「愛らしい」などと言われたことは、一度もなかった。きっとそのせいに違いない。
自分の失態を責められるのではなく、褒められるというのは、どうも落ち着かない。
「帰ろう。イェニー」
夕陽に照らされているせいだろうか。わたくしの顔は真っ赤になっているだろうに、そのことをフレデリク様は気づいていないらしい。そんな彼の言葉にわたくしは無言で頷いた。
この時は不敬だとわかっていながらも、頷き返すので精一杯だったのだ。
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わたくしたちがリチェット侯爵邸に向けて歩き出してしばらく。どちらからかはわからないが、いつの間にか、わたくしたちは手を繋いでいた。そして、わたくしの熱もだんだんと引いてきていた。
でも、本当にこれで今日は終わりなのか。寂しいな……そう思っていると、フレデリク様は急に立ち止まって。
「イェニー……私に貴女を家までエスコートする権利をいただけないだろうか」
「それは……はい。お願いいたします、フレデリク様」
「そこはフレッドと呼んではくれないのか……」
「すごく貴族的な言い回しだったから、つい……」
ひとしきり問答を終えると、彼の左手がわたくしの腰に回される。彼の嫌いな貴族のやり方だというのに、嬉しいと思うわたくしはどうかしていると思う。
それにしても、今日は本当に濃厚な、甘い夢のような一日だった。
ずっと片想いをしていたフレデリク様と口づけをしたのだ。それも、フレデリク様の意思で、である。
わたくしはずっとフレデリク様のことが好きだったが、彼は違うと思っていたけれど……彼もまた、わたくしのことを好いてくれていたのだ。
しかし、わたくしが抱いた想いを彼に告げたら、彼とわたくしとの関係が変わってしまうのは想像がつく。
わたくしは先ほどの失態を除けば媚びるようなことはしていない、と思う。でも、今後は気をつけなければ。
自分の意思でそんなことを彼に告げれば、この心地よい関係は終わってしまうだろう。だから、もう二度と「もう少し」だなんて言うのはやめておこう。
今回は無理してわたくしに合わせてくれたのかもしれないが、次はもうないだろう。彼はそういった女性が苦手なのだから。
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どのくらい歩いただろうか。日はすっかり暮れてしまい、東の空にはいくつか星々が輝き始めていた。綺麗だな……歩きながらそう見とれていると、隣でフレデリク様が突然口を開いた。
「あの、イェニー……私たちは今度の社交シーズンはじめの王宮の夜会で婚約発表式をするが」
わたくしは足を止め、フレデリク様の方を見る。そうして、彼が続きを話すのを待った。
「その日のドレスを、こちらの独断で決めてしまった。すまない……」
「えっと……」
「一応何着か用意してもらったが、貴女が気に入ってくれるものがあるかどうか……」
「えっと……」
どういうことだろうか。わたくしが呆然としていると、フレデリク様は「あー」と空いた手で自身のプラチナブロンドの髪を掻きながら、さきほどの続きを話し始めた。
「リチェット侯爵からイェニーのドレスの型を送ってもらった」
「それはつまり……」
「ああ、間に合わないかと思って先に作らせた。婚約者にドレスを贈るのは当然のことだから、気にしなくていい。お金ならある」
「お金って、民から集めた税金ですよね。それを無駄遣いするなんて」
「無駄遣いではない。イェニーのためだ。それに、お金を使えば民にお金が流れる。これも高貴なる者の義務だ。それから、今日はもっと平民らしく接してほしいと言ったのだが……」
フレデリク様の言葉が尻すぼみになる。それに申し訳なくなったわたくしは「ごめんなさい」と告げた。
「当日は昼過ぎごろに城に来てくれないか? 詳しい予定は手紙に書いて送る」
「……うん。ありがとう」
そう答えると、ちょうどリチェット侯爵家の前にたどり着いた。門の警備をしている我が家の私兵たちが「お疲れ様です!」と声を上げる。
一人が家の者を呼びに行っている間に、後ろから馬車が追いついてきた。今朝スイーツ店に向かった馬車だ。フレデリク様はこれに乗って帰るらしい。
「本当は馬車に乗って帰ってくるはずだったのだが……いや、別にイェニーのせいではない。私が悪かったのだ……」
「えっと、大丈夫です」
わたくしがフレデリク様から逃げたのは想定外だったのだろう。謝罪をすれば、謝罪合戦が始まるだろうからやめておいた。おそらく、わたくしが逃げなければ馬車で帰ってきていたのだろう。護衛の方には遠くから見守ってもらっていたらしいが、これはこれで楽しかった。
家族へのおみやげと買ってもらった布と糸を受け取り、お礼を言う。わたくしは馬車が見えなくなるまで手を振って見送った。




