21.フレデリク様とのお茶会
今日のわたくしは浮足立っている。理由は単純で、フレデリク様に会えるからだ。
国王陛下に謁見した前回ほどではないけれど、今日はいつもよりおめかししている。
気持ちのせいもあってか、コルセットも気にならない。以前婚約のお手紙に前向きな返事を返したからか、それから一週間ほどで王宮に招かれることになったのだ。
「大変お美しいですよ。イェニー様」
「ありがとう、ベス」
わたくしはベスを連れて、入口に用意された馬車に向かった。
今日はわたくしと彼女の二人で王宮に向かうことになっている。あとの二人はお休みだ。ベスいわく、二人とも王宮に上がれるほどのマナーを身につけていないからだとか。
ミアが侯爵家で行儀見習いとして働いているのもこの辺りの事情が関係しているらしい。男爵令嬢とは聞いていたが、そんな事情で働いているとは知らなかった。
それはさておき。王宮に近づくにつれて、今日も今日とて緊張してきた。緊張しないわけがない。相手はあのフレデリク様だ。
前回嫌われたと思っていたけれど、何とか婚約の打診が白紙にはならなかった相手である。とはいえ、それは彼がわたくしを好いているからなのかは微妙だ。
他の女性よりマシだと判断されたからだと思う。だから、なかったことにされるかもしれないし、まだ油断ならない。
馬車が止まり、ベスが降りた。ついで外から「お手をどうぞ」と男性の声が聞こえたので、わたくしはその手をたよりに降りた。ありがとう、と感謝の言葉を投げかけようと顔を見ると。
「え? フレデリク、様……?」
「ああ。イェニー、今日は会えて嬉しい」
それはこちらの台詞だ。きっと女性嫌いな彼は無理して言っているのだろう。貴族の感情コントロールとは恐ろしいものだと改めて感じる。
全然嫌がっているようには見えないのだ。だが、ここで喜んではいけない。それでは、彼が特に嫌いだという女性たちと何ら変わらない存在となってしまう。わたくしはわきまえる淑女だ。
「部屋はこの前会った所と同じ場所だ。案内する」
「ありがとうございます」
そうわたくしが答えると、彼は再びサッと手を差し出した。
曲がりなりにも婚約者となるのだから、彼はその義務を果たそうとしているのだろう。
ただ、くどいようだが彼は女性が苦手なのだ。だから、ここでの接触は最小限にとどめなければいけない。そうしなければ、わたくしはきっと彼に嫌われてしまう。
だから、わたくしは差し出された手にそっと自分の手を重ねるにとどめた。
☆☆☆☆☆
部屋に到着するとわたくしは早速、フレデリク様に座るように促された。
フレデリク様から感じられる熱が離れていくのが少し寂しかったが、そんなわがままは言ってはいけない。
わたくしが座ったのを確認したフレデリク様は、テーブルを挟んでわたくしの正面に座った。
ベスは違う部屋に通されている。そのため、今この部屋にいるのはわたくしとフレデリク様、そして王宮の侍女と護衛の騎士だった。
と言っても、騎士だとわかるのは彼が帯剣しているからで、そこそこラフではあるものの貴族らしい服装をしていた。彼はそこそこ高位の貴族なのだと思う。
わたくしが彼を見ていると、彼もわたくしの方を見た。そして、わたくしがヴィクトー様を見ていたことにも気がついたらしい。
「ああ。彼とはもう知り合いだったか?」
「いや、知り合いじゃねーよ。最近リチェット侯爵家に行ってないしな」
「えっと、うちと関係している方ですか?」
「ああ。俺はヴィクトー・サテムズだ。家の爵位はお嬢ちゃんと同じで侯爵位だな。お嬢ちゃんのお姉ちゃん、フアナの婚約者だって言った方が覚えやすいかもな。というわけで、よろしくな」
「イェニー・リチェットと申します」
わたくしはフアナお姉様とはほとんど関わっていないのでわからなかったが、彼女には婚約者がいたらしい。
少しくせのある黒髪に空色の目をしている。ちなみにフランツさんとは兄弟ほどしか年が離れていないが、叔父と甥の関係なのだとか。そう語る彼は爽やかな好青年という印象だ。わたくしが彼に笑顔を向けると、彼も笑みを返してくれた。
「イェニー」
そうフレデリク様に呼びかけられてハッとなる。
まだ正式に発表はされていないものの、わたくしはフレデリク様の婚約者となったのだ。ヴィクトー様の婚約者ではない。
にもかかわらず、彼に笑顔を向けるというのは、フレデリク様の嫌いなはしたない女そのものなのではないか。
「失礼しました。もう二度とこのようなことはしません」
「二度と、とはどういう意味だ?」
「フレデリク様以外の殿方に笑顔を向けることです」
そう答えると、彼は溜息をついた。「あー」とか「んー」とか。困っているようだ。いや、顔が赤くなっているので怒っているのかもしれない。
しばらくして、彼はやっとのことで人間の言葉を話した。
「違う。そうではない。私にもその笑顔を向けてほしいというだけだ」
「えっと……」
「他の男にその笑顔を見せたくないという気持ちは私にもある。だが、貴女には笑顔でいてほしいのだ」
「は、はい……」
そう告げる彼の顔は真剣だった。本気でそう思っているのだ。
だが、他の人には笑顔を向けてほしくないと言いながら、笑っていてほしいと言う。それとも、淑女ならいつも仮面をつけていて当然というわけか。
どちらにせよ、やはり彼もお貴族様なのかもしれない。
彼以外に笑顔を向けず、かつ彼以外の前でも笑顔でいてほしいとは。そんなことはできるはずがない。その二つは両立することができない。そう告げると、彼はできると言う。
「他の誰がいたとしても、私だけを見ていてほしい」
彼の顔をずっと見続ける。その様子を想像しただけで、わたくしの顔は瞬間、ゆで上がった。
そんなの、わたくしに耐えられるはずがない。ずっと彼だけを見ていてもいいなら、見ていたいのはやまやまだ。
しかし、そんなことをしたらわたくしの心臓がもたない。再び彼の顔を見れば、わたくしとは反対に青白くなっていた。
「……! すまない……」
きっと、今のわたくしは彼に嫌われても仕方がない顔をしているのだろう。しかし、これはわたくしの問題で。彼に謝罪をさせたいわけではない。
「いいえ、大丈夫ですっ」
「私以外を見ていても問題はない。そうでなくては生活に支障が出るだろう」
「それはそう、ですが……」
「それから、他の男に笑顔を向けてもいい。でも、私以外の男を好きにはならないでくれ」
「は、はい」
他の男性のことなど、好きになるはずがない。もちろん、好ましく思うことはあるだろう。しかし、フレデリク様に向ける「好き」と他の人に向ける「好き」は別種のものだ。
フレデリク様はわたくしにとって特別なのだ。そう伝えたかった。しかし、そう言えば愛が重いと思われて、彼に嫌われてしまうかもしれない。
彼は積極的に媚びる女性など、見たくもないだろう。だから伝えられなかった。
そこに救世主は現れた。いや、いた。フアナお姉様の婚約者、ヴィクトー様である。彼は「そろそろお茶にしてはいかがですか」とフレデリク様に促してくれたのだ。
「すまないイェニー、お茶にしようか?」
「はい」
そう言うと、あっという間にお茶とお菓子が運ばれてきた。ティーカップは二つしかなく、どうやらわたくしとフレデリク様の分らしい。
彼は空のティーカップに、手ずからお茶を入れてくれた。
「ありがとうございます」
「砂糖はわかるか? 好きなだけ使って大丈夫だ」
「あ、はい。ありがとうございます」
そうして、わたくしは普段は砂糖を三つは入れるのだが、ここでそんなにも使うのは悪い気がしたので、一つだけにしておいた。彼にものすごく凝視されていた気がしたが、きっと気のせいだろう。
次に、テーブルの上に置かれたお菓子を見る。皿にはクッキーにスコーン、茶色い立体が載せられていた。
「これは……?」
「チョコレートだ。そ、その、異国では媚薬になるという話もあったが、そのような効能は存在しないということが確認されたから大丈夫だ」
「ちょこれーと」
以前読んだ小説に、ちょこれーとなる食べ物を使って他人の婚約者を横取りしようとした令嬢がいたが、なるほどと理解した。
でも、あくまでもそれは物語の中だけのものだったらしい。
もっとも、たとえ媚薬としての効能があったとしても、わたくしはすでにフレデリク様のことを好きなのだ。何かが起こることはないだろう。
いや、女性が苦手な彼にとっては支障がないとは言い切れないのかもしれないけれど。
だが、そんな女性嫌いの彼が大丈夫だというのだから問題はないのだろう。わたくしは恐る恐る一つを手に取った。
「……! おいしい!」
「よかった。甘味は好きか?」
「はい、好きですが……」
「もし、大丈夫ならで構わないのだが……今度、王都に一緒に甘味を食べにいかないか?」
「……!」
嬉しい。こんなにも嬉しいことがあるだろうか?
自分の好きな人からのお誘いだ。しかも、わたくしのためを思って、である。
あまりに嬉しすぎて頭の中を何度も嬉しいという言葉が走っていく。ただ、ひとまず確認しなければならないことがある。
「あの、無理はなさらないでくださいね?」
「無理、とは何のことだ?」
「いえ、フレデリク様は女性が苦手とお聞きしまし……!」
「貴女のことは嫌いではない」
「はい?」
嫌いではない、と。今彼は間違いなくそう言った。好き、と言われなかったことを悲しむべきか。
だが、そもそも彼に無理をさせているのかもしれないのだ。貴族は皆仮面をつけているというのだから、よくよく見極めなければ。
彼が婚約者としての義務感から言っているのならば、それは嫌だ。
重ねて言うが、わたくしは無理強いをしたいわけではない。
「嫌いではない」
「ああ。貴女のことは嫌いではない」
嫌いではない、と彼は繰り返した。だが、それは本心なのだろうか。そう思って彼の様子を観察する。顔は赤い。目は逸らしている。
後者は、雑貨屋の奥さんが言っていた「後ろめたさを感じているサイン」だ。つまり、嘘をついている可能性も否定できないのではないか。
「あの、本当のことを仰っていいんですよ?」
「本当のこと、だと……?」
やはり彼は嘘をついていたのか。彼は驚いたようにわたくしの方を凝視した。
落胆すると同時に納得する。当然のことだ。
彼はわたくしのことを婚約するならばまだマシな方だと思っているだけで。決してそれ以上ではなく、女性が苦手という一点は変わらないのだから。
「……だ」
「はい?」
「イェニー、貴女のことが好きだ」
「な……!?」
「これが私の本当の気持ちだ、イ……!」
目頭が熱い。いや、それにとどまらず身体が熱を持っている。こんなのって、ずるい……
わたくしは本当のことを言ってほしい、無理してほしくないと思ったのだ。しかし、これではあれではないか。わたくしの望む答えを彼は言ってくれているだけで。結局彼に付き合わせてしまっている。
「イェニー? 大丈夫か……?」
「フレデリク様……?」
「すまなかった……菓子は持ち帰ってもらって構わない」
そう言うと前回同様、今日も彼は部屋を出て行ってしまった。やはり、わたくしに合わせてくれていたのだろう。
すると、わたくしの正面の壁にもたれかかっていたヴィクトー様が頭を軽く掻いてこちらに二、三歩、進み出る。
「あーっ。フレッドのやつ、やっちまったな……すまない、イェニー嬢。あいつ、普段はあんな風じゃないんだ。ったく……とんだヘタレだ」
「そ、そうなんですね」
親しい人にフレッドと呼ばれているという話は嘘ではないらしい。
わたくしは少しの安堵を覚えた。と同時に、ヴィクトー様の「あいつ」呼びに彼がここにいないことを寂しく思う自分がいる。
こういうところがいけないのかもしれない。彼に嫌われないようにしなくては。
そう決意した後、わたくしもお菓子を詰めてもらって、部屋を後にした。退出の際にヴィクトー様や侍女に感謝を伝えたのは言うまでもない。
邸に到着したら、すぐに着替えさせてもらった。ひとり部屋の中でお菓子の袋をあける。ためしにチョコレートを一つ口にしてみた。
おいしかったチョコレートは、しかし、部屋で食べてもちっともおいしく感じられなかった。




