22.王太子殿下の後悔(1)(フレデリクside)
失敗した。執務室に戻ってきたフレデリクは、ソファに座りひとり嘆息した。イェニーには父王に謁見した後、少し時間を作ってもらった。その彼女と会ってきたのだ。
終わり方が最悪だったように思う。あの時、彼女の前を立ち去るべきではなかった。
帰ってきたのは、あの場でイェニーに嫌われてしまうであろう行いを抑えられる気がしなかったからだ。
しかし、そんな邪な考えを抱くこと自体、許されることではない。彼女を馬車まで送らず、途中で抜けてきたのだ。
そう考えながら、あるかどうかもわからない次回のために、フレデリクは顔合わせの仔細を思い出すことにした。
☆☆☆☆☆
今日はフレデリクとイェニーのはじめての顔合わせの日だった。いや、孤児院で会っているのでまったくのはじめてというわけではないが。
イェニーが国王陛下への謁見を終わらせたと聞いたフレデリクは、彼女を待たせてはならないと急ぎ応接室に向かった。
「待たせてすまなかった」
イェニーはすでに席についていた。彼女を待たせるなど言語道断だ。フレデリクは自分で自分のことが許せない。
声をかければ、彼女はそれに反応して立ち上がり、恐る恐るといった様子でフレデリクの方を見た。
そして、二人の目があった途端、彼女の瞳からは涙がこぼれた。
「本日はよろしくおねが、い……」
「イェニー、私はずっと貴女に会いたかった……!」
それなのに。自分勝手にも、彼女に自分の思いの丈をぶつけてしまった。彼女は婚約話を迷惑に思っていのではないか。フレデリクの頭の中をそんな考えがよぎる。
婚約が嫌なのかと尋ねてみれば、問題はないという返答が得られた。
しかし、その声はか細い。王族命令ゆえに断れない、彼女はそう考えているのだろうとフレデリクは結論づけた。
フランツの言っていたとおり、彼女はフレデリクに媚びを売らない、数少ない女性なのだ。フレデリクのことを好きではないどころか、嫌っている可能性も否定できない。
そこまで考えて、婚約の話をなかったことにしようと提案しようと口を開いた……つもりだったのだが。
それはイェニーのはっきりとした声に阻まれた。大好きなイェニーの話だ。当然、フレデリクには聞く以外の選択肢はない。
しばしの沈黙の後、イェニーの口から出た言葉は、初対面の挨拶だった。
「はじめまして、殿下。わたくしはイェニー・リチェットと申します」
「私はフレデリク・エナトスだ。貴女に会えて嬉しい」
たしかに、フレデリクとイェニーが正式な場で会ったのは、これがはじめてである。
今まで、流れで話していたが挨拶はしていなかった。だから、イェニーから受けた挨拶に対する返しは、これも一択だ。フレデリクもまた、挨拶を返した。
もちろん、会えて嬉しいという思いも一緒に伝えた。社交界にはこのような噂があるからだ。
──いわく、フレデリク殿下は女性が嫌いだ、と。もしイェニーがその噂を真に受けてフレデリクに嫌われていると思っているのなら、その誤解を解きたい。
だから、急いでしまった。フレデリクは親しい間柄であるように、フレッドと呼んでほしいと言ってしまったのだ。勇み足にもほどがある。
結果的にいえば、「フレデリク様」に落ち着いた。他人行儀すぎず、かといってはしたなくもない、ちょうどいい塩梅の呼び方を提案したイェニー。彼女は天才と言っても過言ではないとフレデリクは思う。
少なくともどんな名前でも、彼女が呼んでくれるのであればそれはたちまち祝福に変わる。逡巡の後、フレデリクは今度こそ本題を切り出した。
「それで、私との婚約を受けてはくれないだろうか……親しい呼びかけを貴女に要求するなんて、私は最悪の男だ。それでも私は貴女と、貴女と……」
「婚約、ですよね、謹んでお受けいたします」
彼女は、婚約を引き受けてくれると言ってくれた。これは夢か幻か。
少なくとも、イェニーから積極的に好かれている自信のなかったフレデリクにとって、その言葉は青天の霹靂であった。
この時、周囲にフランツやヴィクトーがいたにもかかわらず、フレデリクの理性はすでに溶けかかっていた。
そのことに気づいたのだろうか。イェニーは「無理をしなくてもよい」と言ってくれたのだ。
一度は断ったものの、彼女はお見通しとばかりにもう一度繰り返しフレデリクに尋ねた。そこまで知られているならば、彼女のもとを離れざるを得ない。
断りを入れて、フレデリクはイェニーの前を退出した。
「すまない……無理だ。耐えられそうもない。失礼する」
「えっ?」
フレデリクの脳裏には、最後にイェニーがもらした声がこびりついて離れなかった。
☆☆☆☆☆
そうして現在に至る。とにかく、フレデリクは大好きなイェニーの前を「逃げ出し」てしまったのである。
好きな女性の前から逃げ出す男など、どこにいるというのか。これは嫌われたという考えが出るのも自然であろう。
そして、考えてしまう。自身のことを好いてくれていない彼女には、もっと愛する人ができるのではないか。その男性と結婚する方が彼女のためなのではないか、と。
そんなことを考えてみたが、無理だった。イェニーが他の男のものになるなどとは、考えたくもない。自分はどうしてもイェニーを諦めきれないらしい。
彼女に嫌われたくない。嫌われていたらどうしよう。とはいえ、ここで何もせずに彼女との人生を諦めるのは嫌だ。
そうと決まれば、フレデリクにできることはひとつだった。彼女に正式に婚約を申し込むのだ。むしろ、それ以外に正当な理由なく彼女との関係を築いていく糸口などなかった。
何度も何度も書き直した。それこそ、執務の間にも書き直した。フランツはそれを鼻で笑ったが、そんなことは関係ない。
数日かけて完成した手紙はしかし、非常に短い、本文が一行の手紙だった。たったの一文。これが今のフレデリクの精一杯だった。
祈りを込めて王宮の飛脚院に渡す。それから数日後、手紙の返事が返ってきた。
はたして、答えはイエスだった。
☆☆☆☆☆
それから、フレデリクはイェニーと会うための口実を探した。裏で婚約をすると打ち合わせはしたものの、まだ正式な発表には至っていないため、婚約者だからという理由は使えない。
「で、俺を頼ってきたというわけか。うんうん。いい心がけだな」
「うるさい。それで、イェニーに会える方法はないか?」
お前なぁ……そう言いながらもフレデリクの相談に親身になってくれているのは、数少ない彼の親友にして、護衛騎士のヴィクトーだ。
彼には婚約者がいる。イェニーの姉、フアナだ。つまり、将来的にフレデリクは彼と義兄弟になる予定の仲でもあるといえる。
どうしてそんな彼に相談したのか。理由は単純だ。彼はフレデリク同様、よくモテるのだ。
とはいえ、彼はフレデリクとは違ったモテ方をしている。フレデリクがどんな年齢の女性にもモテる人物だとすれば、ヴィクトーはうら若いご令嬢にだけモテている人物だ。そして、そのことに気づいていない。
もっとも、イェニーは彼についても「例外」と言えるのらしい。フアナを構ってやれ、とは思うが、恋愛と友愛を見分けられない彼には言っても無駄だろう。
それはともかく。ヴィクトーはそうして付き合ったお相手から、王都にある女性が好きな店についての情報を集めてきてくれるのだ。
今回は彼のおすすめの中から、チョコレートという異国の菓子を中心に用意してもらった。当日に向けて招待状を出すのも忘れない。
そうして、当日。フレデリクはチョコレートとお茶を二人分、厨房にお願いしておいた。これで後はイェニーを待つばかりだ。
馬車の到着を聞き、迎えに行く。彼女が降りる時から応接室まで、エスコートまがいのこともした。しかし、その結末といえば。フレデリクは再び彼女を泣かしたまま部屋を去ってしまったのだ。




