18.謁見に向けて
食事を終え、わたくしたちはそれぞれの部屋に戻った。着替えが終わって、楽な服装で真ん中のソファに腰かけたわたくしは、食後のお茶を飲んでいた。そこに、外から扉が叩かれる。
「イェニー! わたくしよ、シェリーよ。入ってもいいかしら?」
「うん……じゃなくて、ええ」
そう答えると、彼女はわたくしの部屋に入ってきた。
彼女はまっすぐこちらのソファに向かってきて、そのままわたくしの隣に座る。わたくしと同様、服装はラフなものに着替えてきたようだ。
しばしの沈黙ののち、彼女は目の前のティーポットから、空のカップに自分の分のお茶を注いだかと思えば、一気に煽った。
すでにぬるくなっていたから火傷しなかったものの、もし冷めていなかったらどうするつもりだったのだろう。声に出さなかったのだから、当然答えは返ってこない。
かわりに、彼女の口から紡がれたのは謝罪だった。
「本当にごめんなさい……」
「えっと、何の謝罪ですか?」
「わたくしに対して敬語は禁止よ! いい?」
謝罪の意図を聞き返しただけなのに、返ってきたのは敬語禁止令だった。
先ほどまでの元気のなさはどこへやら。勢いに流されるままコクコクと頷いてしまったが、よかったのだろうか。
孤児院に来た時も同じようなことを言っていた気もするから、これは彼女の望みなのだろう。ここでも拒否権はないようだ。
「わたくしが連れて来なかったら、貴女にはきっと別の未来があったのよね……本当にごめんなさい」
「そんなことない。わたくしがここに生まれた子どもなんだとしたら、孤児院にいるんじゃなくて、ここで暮らしていたはずだから……」
「それもそうね……でも、わたくしが謝罪したいの」
「うん」
「……今日は疲れているでしょうに、急に押しかけてごめんなさいね」
「シェリー、さっきから謝ってばかりじゃない?」
「…………」
シェリーが黙り込んでしまった。言い過ぎたかもしれない。そう思ったものの、今のわたくしに何かができるわけではなく。
彼女は「おやすみ」を言うと部屋に帰ってしまった。わたくしは彼女が去った部屋の中、「おやすみ」とひとりごちた。
部屋が再び静けさにつつまれる。先ほどまでと違い、シェリーがいない分、より寂しさを感じる。季節は夏に向かっているというのに、部屋でひとりのせいか肌寒い。
寝室に向かったわたくしは、ベッドのカーテンを閉め、布団を深々とかぶった。今日はひどくたまった疲れのせいもあってか、気絶するように眠りに落ちてしまった。
☆☆☆☆☆
春の王都は、侯爵領よりも暖かいという。それでも、朝晩は比較的冷え込む。今日だってそうだ。
長時間の馬車での移動にも、二回目だから慣れたのだろうか。疲れているはずなのに、わたくしは孤児院にいた頃同様に朝早くに起きてしまった。
折角なので、窓を開けてバルコニーに出てみる。
頬を撫でる風が心地よい。散歩に行くわけにもいかないので、ただただ外の様子を見ているしかない。
明後日に向かう王宮というのは、正面にある大きな建物のことだろう。丘の上にある、中心の建物を囲むたくさんの塔。間違いなくこの家はおろか、領地の本邸よりも大きい。そもそも、この国にあの王宮ほど高い建物などあるのだろうか。
新鮮な空気を吸い込み、さてどうしようかと思って伸びをすると、部屋の扉がノックされる。
「ミアです! イェニー様、入りますよ~?」
「ええ、入って」
「失礼します!」
今日の担当はミアらしい。入室を促すと、彼女は元気よく扉を開けて入ってきた。
話を聞くと、他の二人は今朝は来ないとのことだ。
「イェニー様は早起きですね~」
「そう?」
「はい! わたしもこうやって無理やり元気にしないと起きられなくて……」
イェニー様は早起きができて羨ましいです、そう言うと、ミアは持ってきた簡易的なドレスに着替えさせてくれた。
今日の予定は、王都でマナーを教えている講師の方に付け焼き刃のマナーを教えてもらうことだという。
「フアナ様やシェリー様のことも見ている方ですが、とっても怖いんですよ~?」
「え……緊張してきた」
「わたしも苦手です……曲がりなりにも男爵令嬢なら~って怒られるんです」
その答えにわたくしは苦笑した。その後運ばれてきた朝食を食べ終えると、ミアはベスと共にレッスン用のドレスを持ってきた。
もちろんコルセットも一緒だ。着替えている途中のわたくしは、きっととても苦い顔をしていたと思う。
☆☆☆☆☆
「はぁ……」
「その立ち方でははしたないですよ! 本を落とさないようにして立つのですよ。もう一度姿勢を正してみてください」
わたくしはシェリーをはじめ、みんながお世話になっているという、マナー教師のセルマ夫人に絶賛しごかれていた。
それも、領地で受けた教育の比ではない。彼女は、社交シーズンに王都の各家でマナーを教えて生計を立てている方だという。
もとは辺境伯、つまり侯爵位に相当する家に生まれ、のちに恋愛結婚でアージン前子爵に嫁いでいった方なのだそうだ。現在の子爵は息子が継いでいるとお父様は言っていた。
それはさておき、セルマ夫人はわたくしが出会ったどんな方よりも厳しい方だった。
領地で受けた教育自体がなかなかのものだったので当然といえば当然だ。
恥をかかないためです、などといった言葉の端々から、純粋にわたくしのことを思っての行動だというのは理解できる。シェリーも彼女の教育方針が厳しい理由をそう教えてくれた。
でも、さすがに厳しすぎやしないだろうか、と心の中で毒づくぐらいはいいだろう。
レッスンは夕方まで続いた。
「最後にもう一度確認いたしましょう。国王陛下の御前だと思って挨拶を」
「イェニー・リチェットと申します。本日はお招きいただき、光栄の極みでございます」
パン、と夫人が手を叩く。それを合図に、わたくしは本日最高の挨拶に続き、本日最高の淑女の礼を披露する。恐る恐る夫人の顔を見れば、彼女は少々顔を険しくしながらも、大きく頷いた。
「まあ、よしとしましょう。もちろん、当日の陛下のお言葉次第で少々変えるのですよ。台本ではありませんからね……それはそうと、イェニー様。一月もないうちでこれであれば及第点です。明日はこちらには来られませんが、復習を怠らないように。いいですね?」
「はい」
そう言うとほんの一瞬、セルマ夫人はどこか安堵したような顔をしたように見えた。とはいえ、一瞬だからわたくしの見間違いかもしれない。でも、わたくしの目には間違いなくそう映ったのだ。




