17.王都生活のはじまり
一週間はあっという間に過ぎ、王都に旅立つ日がやって来た。と言っても、お父様やお母様、シェリーにベスといったみんなも一緒だ。
この一週間ほどの間、徹底的に言葉遣いを直され、香油を塗られたくったわたくしは、おそらく孤児院にいた頃とはまったくの別人に思われるだろう……表面上は。
お化粧のおかげもあって、自分で見ても詐欺なのではないかと思うほどだ。
心の声を聞かれたら元は庶民だと簡単にばれるだろうが、ここはおとぎ話の世界ではない。だから、そのような心配は不要だとはミアの話である。
「今回は王都まで一週間ぐらいなんだけど……イェニー、大丈夫かい?」
「はい。大丈夫です」
この時「大変そうだな」と思ったけれど声には出さず、一生懸命に淑女の仮面を貼り付けていたのは、わたくし一人だけの秘密だ。
ばれてはいるだろうけれど、言っていないのだから秘密には違いない。
ドレスも旅装というだけあり、普段よりも動きやすい。前回もそうだったが、何もせずに馬車に揺られるのは疲れる。
ただ、それは肩のこりそうなドレスを着ているのとは別種のものだ。おそらく、孤児院から持ってきた服を着ていても馬車で疲れるのは一緒だろう。
それでも、多少は動きにくい服を選んで着ているのは、貴族としての見栄やプライドの問題だ。何度でも言うが、わたくしに拒否権などない。
そんなこんなで、わたくしたち一家は使用人に見送られて領地の邸宅を後にした。
☆☆☆☆☆
馬車に乗って移動すること一週間。わたくしたち一行は王都に到着した。
王都はリチェット侯爵領の領都とは比べ物にならないほどの人やモノが溢れていた。今が昼過ぎだからという理由もあるかもしれないけれど。
宿場町よりも大きな、領都よりも大きな王都。たった二週間足らずの間に、わたくしの大都市に対するイメージは三度も塗り替えられた。
「イェニー、見てちょうだい! これが王都よ。わたくし、毎年楽しみなの」
「楽しみ?」
「そう。こちらには国中の特産物が集まって来るし、他国の宝石なんかも大抵こちらで買うことになっているのよ」
「シェリーは宝石が好きなの?」
「ええ。いつか婚約者様に贈ってもら……とにかく、王都は色々なものがあるから好きよ」
領地の本邸でもわたくしのものだという宝石を見せてもらったが、綺麗だな、という感想しか湧かなかった。
そもそも、宝石の価値がわたくしにはわからないのだ。例外といえば、お気に入りのペンダントに使われているのも宝石だというぐらいだ。
ただ、あれは宝石だから価値があるのだと思っているわけではないので、シェリーの感覚とはちょっと違うかもしれないけれど。
王都のタウンハウスは、本邸と比べてこじんまりとしていた。外観は領地のものよりも少し新しそうだ。わたくしには建築の知識なんてないけれど、それでもこちらの方が新しいと思う。
とはいえ、お貴族様の住む建物だということは一目でわかる程度には格式ばっている。
馬車が家の前で止まる。わたくしはお父様の手を借りて馬車を降りると、はじめて家に迎え入れられたあの日同様、こちらでも出迎えを受けた。
背の高い老人がこちらに進み出て、お父様に礼をした。
「お帰りをお待ちしておりました、旦那様」
「こちらは何事もなかったかい?」
「はい。……そちらの方が」
「イェニーだ。僕たちの大事な子だよ」
「ええ、その通りねあなた」
突然両親が惚気はじめた。両想いの二人のようになりたいけれど……わたくしはあの彼に片想いをし、王太子殿下はわたくしに片想いというのだから、どうしようもない。
彼にもう一度会いたいな、彼もわたくしのことを好いてくれていたらな、とは思うけれど、そんなのは夢物語だ。
王太子殿下とは会ったこともないけれど、わたくしは彼とでなければ両想いになれないだろう。それぐらい、恋をしてしまったのだ。
出会ったあの日こそ、わたくしは自分の想いに気づけなかった。しかし、別れ際に心の中に現れた得も言われぬ「寂しさ」。それは日に日に大きくなっていくばかりで。
本当ははじめて会ったあの日から、ずっと、ずっと好きだったのだろう。理由もなく、ずっと。
もう一度会いたい。ずっと一緒にいたかった。離れたくなかった。
自分の気持ちが心の中で肥大化し続けるのを止めるすべなどなく。ついには、初恋をこじらせるに至ってしまったのだ。
それこそ、愛のない結婚など、受け入れられないぐらいに。
そんなことを考えていたからか、少し進んだところからシェリーに声をかけられてから、ようやくみんなが家の中に入っていくことに気がついた。わたくしも後に続く。
邸宅の中は、領都のそれとは雰囲気が違った。床も大理石と思わしきもの──あちらでは浴室内にしか使われていなかったと思う──が使われていた。
その上に敷かれた絨毯は生地や装飾を見るからに、いかにも高級そうだ。シャンデリアだってそうだ。
わたくしが案内された部屋は、領都の時と同様に、東翼の二階の南側に面した部屋だった。やはりというか、日当たりもいい。
隣が寝室になっているところもあちらと同じだが、衣裳部屋だけは入口が別になっているらしい。
ベスが言うには、似たような構造にすることで、使用人たちが仕事をしやすくしているのだとか。
その後、今日はわたくしが領都の邸に迎えられた時にも、こちらで過ごしていたという兄姉と顔合わせをするため、またまた動きにくいドレスに着替えることになった。
もちろん、湯浴みを終えた後で、である。
ベスたちが持ってきたドレスは、見覚えがないのにわたくしの身体にぴったりのものだった。
このドレスの出どころを聞けば、シェリーがわたくしを迎えに来る際に王都に注文を飛ばしたものであるというのだ。
今さらながら、お父様は一週間かかる距離をおとぎ話の竜にでも乗って一日で行き来しているのではないか──と思ったが、それはないだろうと首を横に振って、その考えを打ち消した。
☆☆☆☆☆
こうして、自室で飾り立てられたわたくしは、一階の食事用の部屋へと向かった。
そこには、すでにお父様とお母様とシェリー、それにお母様似と同じチェリーブロンドの髪に紫の瞳を持った男性がいた。
その顔つきはお父様にそっくりで、二人の子どもだということが一目でわかる。彼がシェリーの言っていた、わたくしたちのお兄様なのだろう。
一方、もう一人の姉だという人物はまだ来ていないようだ。わたくしが席につくと、お父様がお兄様について紹介してくれた。
「ヴァンだ。言わなくてもわかると思うが、イェニーの兄さんだよ」
「俺はヴァン。君がイェニーか。これからよろしくな」
「イェニーです。よろしくお願いいたします」
そう言ってわたくしはつい先日習ったばかりの淑女の礼をとろうとした。が、今私は座っていたため、それはかなわなかった。
家族なんだから必要ないよ、と彼は言うが、まだ現時点では馴染めないわたくしにとって、彼は他人といっても過言ではない。
そうした自分の思いを説明しようとしたちょうどその時、煌びやかなドレスに身を包んだ女性が部屋に入ってきた。彼女もまた、お母様と同じチェリーブロンドの髪をしている。桃色の瞳は少々勝気だ。
後でベスに聞いた話だが、彼女が纏っているドレスのスカートは、小さな宝石で光を反射させて輝いているように見せているのだという。それはともかく。
「あら。あんたがイェニーなのね。あたしはフアナよ」
「イェニーです。よろしくお願いいたします」
「ふーん……」
彼女は立ったまま、わたくしを値踏みするような目で見ていた。正直、気分がよいものではない。
わたくしはとっさに淑女の仮面を浮かべた。
まだ習って日も浅いのにとっさに被ることができたのだから、わたくしは少しくらい褒められてもいいはずだ。
どれくらい時が経っただろうか。わたくしから興味をなくしたのか、お姉様は席についた。
ただ、少なくとも妹に向ける目ではなかったと思う。
孤児院であのような視線を誰かに向けたことも、向けられたことも一度もなかった。あれに恐怖を覚えない人などいるのだろうか。
その後、お父様が使用人に目配せすると、すぐに料理が運ばれてくる。どれもおいしそうだ。これを食べて嫌な気分を忘れよう。
そうして前菜を食べ終えたわたくしに、お父様は今後の予定について話し始めた。
「イェニー、少しは聞いていると思うけど……僕と一緒に三日後に王宮に挨拶に伺うことになっているけど、大丈夫かい?」
「はい。問題ありません」
「うん。ごめんね、こればっかりは断れないんだ」
「大丈夫です」
お母様は無理しないでね、とは言っていたけれど、もう慣れてしまった。ここに来た時からすべては決まっていたのだ。
そもそも、わたくしが捨てられたのは単なる偶然で。「双子忌み」の風習があり、かつわたくしを捨てるということにお父様とお母様が決めたからだ。
もしかしたら捨てられたのはシェリーだったかもしれないし……二人で一緒に育ったかもしれない。何せ、わたくしはリチェット侯爵家の令嬢として生まれたのだから。
いいことといえば、今のところはおいしい食事がたくさん食べられることぐらいだ。とはいえ、この時はお姉様からえも言われぬ視線を向けられた直後だったので、それまでに比べるとちょっとおいしさが感じられなかったのだけれど。




