終
そして秋が終わり、冬が過ぎ、年が明けて、春が来た。
青氷山から山神が姿を消して半年近くが過ぎ、村には平和が戻っていた。
冬の間、雪に閉じ込められていた村人達は、春の到来を心から喜んだ。
日々暖かくなる風を受け、人々は野へ山へと足を延ばした。
畑を耕し、家畜を養い、魚を捕り、山菜を摘む。いつもの春の風景だった。陽光の暖かさと、平穏な生活に満足していた。
去年の秋祭りは禁忌となった。
喉元を過ぎてしまった悪夢は、記憶に残らないよう、口に出すことも禁じられた。
しかし、大人でも時折うなされる悪夢を子供達から取り去るのは難しかった。冬の始めの頃、家にこもった子供の口から祭りのことが出るときもあった。
そのたび、大人達は恐怖に顔をどす黒く染めて、子供を殴った。何事か理解できなくて、子供達はそのたびに泣いたが、大人のただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、じきに祭りの話をしなくなった。
次第に、秋は遠い記憶となっていった。
誰もが、静かな穏やかな日々が戻ったように思った。
だが、日が暖かくなって一月経った頃、村人達は恐慌に陥っていた。
芽が出ないのだ。
種が死んでいるのかと思ったが、そうではなかった。作物だけでなく、木々や雑草までも、緑の葉を出さない。毎年、人々を楽しませている桜も花をつけなかった。
植物だけでなく、生き残ったわずかな家畜も子を宿さない。
しばらくして、村人達は土が死んでいるのを知った。
仕方なく、野山からの恵みに頼ることにしたが、山には新しい山神が住み着き、人を食らうようになったので近づくことができなくなってしまった。
日に日に食料が少なくなり、人々の心も荒んできた。
つまらないことでの口論やいざこざが絶えなくなり、怪我人が出る喧嘩まで出るようになった。
ある日、村長は人々を集めた。
そして疑いと苛立ちで青ざめている人々を見回し、同じく青い顔で言った。
山神が住んでいた大樹の側に、山神と美月を祀る祠を作ろう、と。
人々はシンとなり、重い沈黙で覆われた。
皆が心で思っていても、口に出せなかったことだったのだ。
禁忌となった祭りの光景を忘れた者などいなかった。
美月の存在を抹消したのは心の調和を取るためと言い聞かせていたが、それは皆の心の底に深い罪悪感となって澱んでいた。二度も我が身を犠牲にして村を救った娘を蔑んでよいのだろうか、と思わない者はいなかった。
だが、大人はそう言って美月を慕う子供達を叱る立場だったのだ。
祠はすぐに作られた。
小さな祠を美しい花で飾り立て、酒と塩を捧げ、罪を悔いた。
山神に詫び、美月を村の守り神として崇め、子子孫孫まで言い伝えると誓った。
一通り祀ると、誰もがこれで少しは良くなるだろうと思い、安堵して山を後にした。
しかし、もう遅かった。
青鬼と大蛇に呪われた土地は、もう二度と、元には戻らなかった。
山の恵みも次第に尽きてなくなり、魚一匹捕れなくなった。
続いて唯一の水源であった井戸も枯れてしまった。
村人達は痩せ細った家畜を屠殺して細々と食いつないでいたが、ついに限界が来た。一人、また一人と村を出ていき、とうとう死に瀕する老人だけの村となった。
そして時が過ぎ、村は死んだ。
今では、青氷山の大樹の傍らにある小さな祠の由来を知る者はいない。
ただ時折、祠を通り過ぎる風が、笛の音を運ぶことがあるという。
哀しくて儚い、それでいて心が落ち着く優しさを持つ美しい音色を聞いた旅人の一人は、そこで一人の娘が大蛇の背にもたれて笛を吹いているのを見たと話した。
大蛇の傍らには一目で物の怪とわかる男がいて、目を閉じて笛に聞き入っていた。
旅人は恐ろしくなって逃げ出してしまったと言うが、それが夢か現かはわからない。
ただ、娘は化け物の間で、とても幸せそうに笑っていたと言う。
今は昔、遠い遠い、記憶にすら残らない昔のことである。
終
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