精一杯の笑顔
大した進展無し
五人は、俊介の家の伝手で温泉施設と隣接するホテルのスイートルームに泊まることになった。
流石に五人分のベッドがあるスイートルームは無く、二人と三人に分かれて部屋を取っているのだが。何かと趣味が合う恭二、涼太の二人が同室で、残る明日香、隆也、俊介の三人が同室だ。単純に、ランチタイムの時に共に行動する二人と三人である。
その二人と三人であるから、勿論ホテルでの過ごし方も違った。
しかし、そんな中、明日香は普段からどっち付かずといった感じで、勿論回数としては隆也と居ることの方が多いのだが、放課後に寄り道をするのは恭二とが圧倒的に多い。隆也や俊介は習い事があるからだ。つまり、一緒に居る時間的にはあまり変わらないと言える。
であるから、ホテルに着いた日──盗撮事件が明らかになり、涼太を抜いた明日香たち四人が教師に呼び出された日──、何しろ急に思い付いた事で、到着は既に夜だったのだが、いつもと違う状況に気分が上がったのか隆也と俊介は早速温泉施設に向かい、明日香は残って部屋の風呂に入り、恭二と涼太の部屋でゆったりと過ごしたのだった。
「明日香、朝だよ。....明日香、アスカ!」
翌朝、明日香は軽く揺さぶられて起きた。
「....んー.......冬子さん、もうちょっと...」
「僕は明日香の家の女中じゃないよ!」
寝惚けた明日香を起こしたのは当然ながら隆也だった。学校のランチタイムに昼寝をする明日香を授業に遅れないよう起こす役割も隆也だからだ。
そんな隆也の背後から同室の俊介も顔を出す。
「明日香は軽井沢の時も朝食に来るのが一番遅かったよね!!」
夏休みに五人とそれぞれの世話係で行った軽井沢の事があるので、もうすっかり明日香の家での過ごし方も知っているから驚かないが、普段の学校の明日香を見ている生徒達には想像もつかないだろう。
明日香は低血圧で寝起きが悪い。そして寝起きの機嫌も悪い。
そんなことを15分程続けて、ようやく当の明日香が上半身を起こした。
「.......おはよ」
「あ、おはよう、明日香。さっきみんなで朝食は一階のカフェで食べようかって話してたんだけど、どうかな?」
無言で頷いた明日香にも動じず、慣れたように、「オッケー。じゃあ僕も支度してくるね」とベッドルームから出て行く隆也を横目に、明日香も身支度を始めた。
寝間着にしていた黒いタンクトップと七分丈のズボンという明日香の中では最大限にラフな格好のまま洗面所に向かい、顔を洗うと、櫛で髪を梳かし始めた。
明日香の髪は柔らかいもののややクセがあり、更に今は肩より少し長い程なので毎朝の整髪は欠かせないものだった。普段なら、起きた後、女中がしてくれることが多いのだが、それとて寝惚けている明日香が遅刻しない様にと女中が始めた事なので、自分で出来ないなどという事は無い。
寧ろ、昔から髪を長めにすることが多かったので慣れたものである。
今日は緩くでいいか、と簡単に短い一本の三つ編みにした。単なるゴムで結ぶのは、休日だというのに味気ないので、昨日ホテルに着いた時に人数分用意されていたギフト──恐らく、ホテルの施設の開発を行った東野家の関係者が来たからだろう、明日香が知っている物より少し豪華であった──の袋を縛っていた深緑のリボンで三つ編みを結んだ。
スーツケースから洋服を取り出し、履いてきた靴と合うよう注意を払いながら決めていき、素早く着替えた。
白いシャツに枯葉色のベスト、そして深藍色のスーツのジャケットとズボン。靴は昨日履いて来た栗皮色の革靴だ。ピアスはシンプルなデザインのエメラルドを選び、片耳に付けた。
ピアスをし、タイを締めていない為、堅苦しく無いが、高級ホテルに相応しい装いである。日本では一般に有名ではないが、一式全てがフランスのハイブランドの服だ。
尤も、明日香は幼い頃から家以外で人と会う時はこうした格好をする様に躾けられていたので、もはや普段着であった。
リビングに行くと、別室の恭二と涼太がこちらの部屋に入って来た様で、立ったままで話している。
俊介はソファーで部屋のミニバーの冷蔵庫にあったらしいフルーツジュースを飲みながらスマートフォンのサッカーゲームに興じていた。
明日香がその空間に入って行くと、三人は一瞬、圧倒されて言葉が出なかったが、すぐに持ち直した。これが他の人間であれば、固まったまま身動きさえ出来なかっただろう。
制服姿は見慣れているから良いものの、珍しい私服姿は普段とはまた違った迫力の美しさがある。
「明日香!軽井沢の時よりちょっと早いね!」
「お待たせ。...あれ、隆也は?」
「おはよう、七原。ああ、今日も美しいな...。朝だというのに」
「近い。退いて」
直ぐに近寄って来て、何やら芸術品のように明日香を舐めるように見て、顔を近づけてくるのは恭二だ。今日はスイッチが入っているのか変態モードである。
「...朝だというのにそんな事をしないでもらいたい。明日香、隆也も着替えている筈だ」
すかさず冷静に声をかけたのは、やはり瀬川涼太だ。
スイッチの入った恭二は放っておくのが一番である。最早、この二人の中では存在しないことになっていた。
「ああそっか...。それで、どこに行くんだっけ?」
「やっぱり寝惚けてたな。一階のカフェだよ。アーリーモーニングティーにしようって隆也がね」
「ふーん」
そのまま一言二言会話を続けていると、隆也の準備も済み、五人は揃って朝食を食べに一階へ下りて行った。
貸し切りなのは、隆也の家が所有するホテルに併設されたオープン前の温泉施設だけで、当然ホテル自体の営業はいつも通りに行われている。
その為、明日香たち五人は"平日"に"中学生位の子供"が"子供達だけ"でホテルを歩いている状況に容赦無い好奇の視線を向けられた。
時刻は朝9時のカフェは五人と同じ様に宿泊客と思われる客がチラホラと見え、中にはこれから会社の営業でもするのか、難しい顔をして仕立ての良いスーツを着込んだサラリーマンも見える。
やはり、どうしても目立ってしまう五人は、いつも学校で向けられている──明日香と一緒に居れば常に感じることになる──視線と同じ様に思うことにした。ただし、明日香だけはもう生まれた時からの事で慣れきっていたため、特に何も違和感を覚えずに席に着いた。
「何にしようかなあ...。明日香は?」
隆也は嬉々としてメニューを見ている。彼が朝をしっかり食べないと気が済まない人間である事は他の四人も知っていた。軽井沢の記憶があるからである。
「カフェオレとクロワッサン。知ってるでしょ」
同じく、明日香の朝の少食ぶりもよく知っている筈なのだ。だというのにメニューから朝食を選ばせようとするのは健康志向な隆也の(無駄な)お節介だった。
明日香の母は日本人との混血であったが、生まれも育ちもフランスで、その頃の習慣は父の朝日を追いかけて日本に来た後も変わらなかったらしい。母が突然亡くなり、明日香を一人で育てることになった父は母が変えた自分の習慣を元に戻すことはなかった。
明日香はその母が持ち込んだ軽い朝食で育っているので今更食生活を変えるつもりは無い。今でこそ、女中が明日香の健康の為に、と張り切って作る事もあるが、父と二人で暮らしていた時は朝食はそれであったし、明日香も幼い頃に母の数少ない話を聞けた記憶があり、カフェオレとクロワッサンの朝食から離れ難かった。
尤も、そんな話を四人に聞かせて語る程明日香は饒舌ではない。四人は単に、明日香の珍しい偏食か、朝の拘りだと思っている。
こうして、四人がそれぞれしっかりとした朝食を頼む中、全くモーニングティーではないが、ホテル内のカフェであるので提供出来ない訳でもないカフェオレとクロワッサンが運ばれて来た。
メニューに載らない程簡素な朝食に、四人はそれで足りるのか、とソーセージや卵、サラダを分け与えたくなるのだが、前に──軽井沢の時にそれをして、迷惑そうな顔でキッパリと断られた事を思い出し、やめておいた。
明日香にとって朝食は、堅い夕食とは違って、ラフなものだ。その為、四人より早く食べ終わると、すぐにウェイターを呼んで雑誌のタイトルを二つ三つ言い、持って来させて、パラパラと流し見ている。
見ている雑誌は、ファッション雑誌二冊、経済雑誌一冊だ。
「明日香、今日はどうするの?何か予定はある?」
隆也が食べ終わって早々に話しかけた。
この日、本来行く筈の学校を休んでいるので、時間はたっぷりあった。
「昼間は少し服を買いに行くつもり。みんなは?」
明日香としては、フランスに出発前にまとめて服を買っておきたかった。すぐに服が小さくなってしまうからだ。
旅行用の少ない荷物しか持って行かないので、足りない分はフランスに着いてから買うように父から言われていた。
「俺と涼太は午後から学校へ行く。受け取らなければいけない書類があるからな」
「僕と俊介は特に何も無いから、明日香に付いて行ってもいいかな?あ、でも夕方から夜は合唱団の練習があった筈だから、二人で一緒に行かない?」
「じゃあ二人が練習してる間、僕はグラウンドでサッカーしてるよ!」
恭二、隆也、俊介の順でそれぞれ予定を言い合う。
五人は軽く予定を確認し合うと、少ししてそれぞれ寛ぎ始めた。明日香が雑誌に目を通し、中々動きそうにないからだ。
涼太は文庫本を服の大きなポケットから出し──彼はいつも本を持ち歩いている──、恭二は明日香と同じ様に雑誌を読み、俊介は追加でフルーツを注文していた。隆也は明日香の手元の雑誌を時折覗き込んだり、スマートフォンを弄っていた。
そんなひと時の休息の五人に、近付く足音と共に声がかかる。
とびきり上等な革靴の心地良い音は良く響いたので、朝のゆっくりしたカフェの中ではその音が聞こえるのも当然だった。
普通は通り過ぎる筈の足音は、五人の座る丸テーブルの近くで止まったのだ。
「......明日香?何やってんだこんな時間に」
明らかな大人の男の声に他の四人は即座に顔を上げ、男を見た。
背が高く、紺色のスーツを着こなし、髪はしっかりとセットしてある。短く髭を生やし、焼けた肌をしていて、やや野生的で男らしい外見をしているが、どこか落ち着いた雰囲気も持っている為か、育ちの良さを感じさせた。明日香とは全く別種の迫力を持っている。
「.....政おじさん!」
四人から一拍置いて、今度は明日香が顔を上げた途端に声を発した。しかも、あの冷静沈着、無表情が基本の明日香が、立ち上がり、珍しくも、驚いた顔に喜色を滲ませている。
何より、明日香は親しげに"おじさん"とさえ呼んだ。
「僕はサボり。おじさんこそ、どうしたの?」
「おお!遂にサボりか!中々趣味のいい事してやがるな。...ん?俺はこれから取引先と交渉があるのさ」
「政おじさんには及ばないよ。...交渉?それって何時頃に終わるの?」
「言うようになったなあ!まあ、予定では12時には終わるな。久々に出かけるか。何か欲しい物でもあるのか?何でも買ってやるぞ」
「フランスに行くまでに色々揃えなくちゃいけなくて。でもそれくらい自分で買うよ。その代わり、車乗せてよ」
「ああ、勿論いいぜ。んじゃ、仕事が終わり次第電話するぞ。丁度良かったな。今日はお前が気に入りそうな車で来たんだ」
「本当?楽しみだなあ」
驚いたことに、あの、同級生や友人にも冷たいくらいの明日香が、この男相手には甘えた様子さえ覗かせる。
男も男で、当たり前のように明日香の肩に手を置き、けれども慣れたように至近距離の明日香の相手をしているではないか。
ただの知り合いと言うには態度が砕け過ぎている。
四人は、明日香が勝手に男と出かける約束を取り付けたところでようやく我に返り、慌てて立ち上がった。
「.....ゴホンッ!...あの?明日香、そちらの方は....?」
隆也が話しかけた。
明日香と男は、すぐに視線を向けた。
「ああ、ごめん。紹介を忘れてた。こちら、小路政武さん。...僕の父の旧友で、父から頼まれて昔から僕のお世話をしてくれた人だよ。政おじさん、この四人は昕桐での僕の友達。昨日の夜から一緒にこのホテルに居るんだ」
「は、初めまして.....。明日香くんの友人の、三春隆也です」
「東野俊介です!」
「天宮恭二です」
「...瀬川涼太です」
明日香に紹介された小路政武という男は四人に視線をやると、白い歯を見せて笑った。
「初めまして。小路政武です。会社をやっているので皆さんのお父様方とご一緒させて貰った事もありますよ。いつも明日香がお世話になっています。これからもどうぞよろしくお願いします」
明日香にあれだけの態度をとっておきながら、四人にはしっかりと敬語を使うのが白々しい。
四人は知らないが、これは政武の大の昕桐嫌いに所以する。挨拶と共に見せた笑顔も、彼をよく知る明日香から見れば、精一杯の皮肉と嘲りの表れた表情なのだ。
更に明日香が気に入らなかったのは、自分が明日香の保護者であるかのような言い方だ。昕桐を嫌うのは勝手だが、それを滲ませる挨拶の言葉に自分を使わないでもらいたい。
「チッ」
思わず舌打ちも出るというものだ。それも鋭い目線付きで。
一方四人は、突然出た明日香がしたとは信じられない舌打ちと政武への睨みに、自分たちが知る明日香と違う面を見、驚くしかない。
政武はそれを見てニヤニヤと笑っている。
「.......ええーと、明日香、さっき一緒に出かけるって言ってたけど...」
隆也は完全に気圧されていて、声が震えてしまっている。
「ああ、そっか。隆也と俊介とも約束してた。悪いけど、今日はおじさんと行くから」
それとも二人とも付いて来る?と首を傾げた明日香に、二人は慌てて首を横に振った。どう考えても邪魔になるだけだ。
「じゃあ政おじさん、午後にね」
明日香は小さく笑みを浮かべて政武から離れた。




