72.Side S 風が好きだ
今日、丘には暖かな風が吹いた。
毎年、この風が吹くと、丘で育てる作物がもうすぐ実ると言われている。豊穣を知らせる風だ。
風を切り、空を滑るように飛ぶボネロ族にとっては、風は生活の全てだ。
彼らの故郷であるヴァーレの丘は、大きな断崖のはるか下にあることで、他の種族の侵入を防ぐ。
彼らの文化は、ヴァーレの至る所に作られた風車によるものだ。風車が生活の動力となり、農作を助けているのだ。
風が好きだ。
ボネロ族の若い青年、族長の息子ギルは、自慢の翼で風に乗り、ヴァーレの丘を飛んでいた。
今日の風は特に良い。実りを知らせ、ここで暮らす皆に喜びを与えるのだから。
広い広いヴァーレを、ギルは毎日飛んで回っていた。
なにか変わったことが起きていないか、万が一侵入者がいないか、小さい頃からの習慣として見回りを続けているのだ。
「ヨウ!じいさん、死んじゃいねえな。調子はどうだ?」
「この無作法もんが!もう少しマシな挨拶を覚えたらどうだ!」
「それだけ元気がありゃあ、安心だ!マタナ!」
集落から少し離れたところに住む、偏屈な爺さんにだって日課として声をかける。
この爺さんには、イタズラをしょっちゅう仕掛けていたので、顔を見たら怒鳴られるのが常だ。
「……オッ、いい風だあ」
見回りの最後には、ヴァーレの丘で最も高いところにいく。
つまり、断崖の始まり、砂漠を越える装備さえあれば誰でも辿り着けるその境のところだ。
緑豊かなヴァーレと違って、岩の混じった砂漠は人っ子ひとり、獣の姿も見えない寂しい場所だ。
毎日変わり映えのしない景色だけれど、ギルは必ずここに来る。
「ンン〜、…異常ナシっと」
そうして、断崖の裂け目をじっと見て、何もないことがわかるとヴァーレに戻るのだ。
「ああー、疲れたなあ。休憩、休憩っと!」
大きなひとり言を叫んで、ギルは川そばの木影に腰をおろした。
自慢の翼に入り込んだ砂粒をバシャバシャと洗い流し、昼寝でもしながら乾くのを待つ。
「今日も異常なし、か……」
異常なし、平和が一番だ。
ギルはヴァーレの丘で生まれ、育ち、そしてこの故郷で死ぬのだろう。
天災があったときは里の者全員で力をあわせて立ち向かう、そんな故郷を大事にしているのだ。
故郷に、退屈だなんて抱いていない。
ごろん、と草むらに寝転がって空を見上げる。
青空が澄み渡り、太陽はどこまでも高い。
「ああ〜……」
「あ!ギルー発見ー。こんなところにいたんだーー?」
突然、間延びした声がギルの思考を邪魔した。
「ンだよ…メイか?オマエこそなにしてんだ?」
「ふふ〜。ギルを探してたんだよーー」
「アア?」
この独特の話し方は、幼馴染のメイに違いないと、ギルは半身を起こした。
メイは、小さい頃からずっと語尾を伸ばす話し方をする。大人になったらなくなるだろうと言われた癖が、直らなかったってヤツだ。
見た目だけはスクスクと大人に育ったんだがなあ…
思わず、自分と違うそのまろやかな凹凸に目をやると、メイにこらっ!と怒鳴られた。
「なにじっくり見てるのさーー。見物料もらうよー?」
軽口を返しながらも、腰に手を当て胸とくびれを強調するポーズをメイは取る。
ヒュッ!と口笛を吹くと逆に喜ばれた。
「で?なんで俺のこと探してンだ?」
「んー。そうだねえ、隣に座っていい〜?」
メイはギルの許可も聞かず、ささっと隣に座ると、同じように足を伸ばしてごろりと寝転がった。
ギルと同じくボネロ族であるメイは、鷹を思わせる猛禽類の顔立ちだが、表情は似つかわしくなく穏やかで、その大きな翼も「移動するには便利だけど、指先で細かいことをするには不便」と言ってしまうくらい、ボネロ族らしくない女性だ。
「はい〜。お腹空いたでしょう〜?お弁当持ってきたよー」
「オウ、ありがとな」
ギルは、メイの弁当を有り難く頂戴する。時々だが、こうしてメイがやってきて見回り後のギルとぽつりぽつりと色々話すのだ。
「あの偏屈爺さんの風車、ガタが来てんなあ。修理しねえと」
「おじいちゃん喜ぶよ〜。ギルのこと大好きだからねー」
「うっせ」
「そういやエマのところに待望の赤ちゃんだって〜。知ってたー?」
「オイ、そりゃ何人目だ。あいつら毎年産んでねえか?」
「ん〜。私達よりちょっとお姉さんだけど〜。四人目ー?」
「……すげえな」
「すごいよねー」
話す内容は当然里のことばかりだ。誰と話そうが、里のことばかりだ。それでもメイと喋るのは飽きはしない。幼馴染って不思議なものだなあ、とギルは常々思っている。
「…ねえ、ギルー?」
「ア?」
「ずっーと、待ってるよねー?」
「…何を」
「またまたー。フィリアとダンのことだよーー」
分かってるんだからー、と笑うメイ。隠せていたと思っていたギルはぶっきらぼうに返事した。
「うっせ」
「だって、ずっーと、ずっーと、だよー?毎日、あんな高くまで上っていくんだもん。ギルが二人に渡すんだって、薬草集めの手伝いもしたじゃないー?」
からからと笑うメイと対照に、ギルはますます黙り込んでいく。
見回りと称して、確かに毎日見に行っていた。
いつかアイツらがやってきたとき、真っ先に出迎えるのは自分なんだと、ただそれだけの為にやってきたんだ。
だから、メイがこんなことを聞いてくるなんて、思いもよらなかった。
「…ねえ?いつまで待つのー?フィリアのこと」
「ハア?!」
「フィリア、確かに天真爛漫って可愛さだったけどー。お迎えが来て帰っていったじゃないー。それに、ダンも一緒じゃないー」
いつも明るいメイの声が、かたく強張っている。
本人はいつも通り喋ろうと思っているようだが、ぎごちなさが、より強張らせているようだ。
「ハア?!メイ、お前どうしたんだ?」
「どうしたんだ?じゃないよー。真面目な話だよー?」
「いや、その、どうして俺が、あのチビを待ってることになってンだ?」
「里の皆、そう言ってるよー。知らなかったー?」
「知らねえ!なんだよソレ!」
「なんだー、ニブチンだなあ。せっかく、勇気を出して言いに来たのにー」
「…え、何を言いに来たんだ…?」
ギルは焦った。
何でかはわからなくても、背中にびっしょりと汗をかき始めている。これは断じて、さっき濡らした翼のせいじゃない、多分。
メイは、太陽の光を避けるように、翼で顔を隠した。ギルに顔を見られたくないんだろうと、ギルの焦りはますます募った。
「ギルがー、フィリアをー。ずっーと、待つならー。メイはー、ギルをー待ちませーん」
メイは、言い切った!とぷはあ、と大きく息を吐いた。
「え、いや待てメイ。なんの話だ、俺マッタクわかってねえ。待つ待たないってなんのことだ?」
満足そうなメイに、ギルはますます焦った。これはもしかしなくてもまずい話じゃないのか。話が見えていない間に、話が終わってしまいそうだ。それでいい話なんだろうか?いやだめじゃなかろうか?
「エマにねー、言われたのー。美味しい果実にも旬があるってー」
だからねえ、とメイは続けた。
半身を起こし、ギルに顔を近づけ、にっこりと笑ってみせた。
「食べ頃を、逃がさないように、ねー?」
ふふっ、と微笑んだメイの顔は、完全に女の顔だった。
これまでギルに見せたことのない、いや、ギルが見たことのない部分だ。
「ハア?!いや、メイ!だから何の話だって!」
「メイからは、以上でーす。じゃあねー」
「いや待て待ちやがれ!」
メイはぱっと立ち上がると、そのまま翼を広げて飛んでいこうとした。
ギルは思わず足首を掴んで引き止める。
「なにー?どこさわってるのー?」
「メイ!俺まったく何の話かわかってねえ!」
「メイにこれ以上言わせないでー。もうー」
「でも!メイ!俺、これは言わせてくれ!」
ギルは、今の自分はすごい格好悪いと思った。メイの話もイマイチ理解できていない。もしかして?とかいやまさか?とかむしろ?とか色んなハテナが頭のなかを飛んでいる。挙句に帰ろうとするメイの足首を思わず掴んでしまった。
なんだこれ、追いすがっているみたいで格好悪すぎる。
でも言わなきゃ。
「俺……アイツラに鳥頭だなんだ言われて、それを見返してやろうって、それだけで。フィリアとかダンとか、二人に言い返してやれたらいいんだ。別に、フィリアを、とか、えっと……」
ギルは大きく深呼吸した。
「……俺、果物とか、旬のものが好きです」
ギルは思わず顔を伏せた。
な、なんだこれ!すっげえ恥ずかしい!よくわかんないけど恥ずかしい!俺今何を言った?!こんなことならもう少しちゃんと勉強しとけばよかったー!!
メイの沈黙が怖い。
ギルは、居たたまれなくなって、足首を掴んでいた手を離した。そのまま四つん這いで、一歩二歩と下がっていく。
このまま俺は卵に戻りたい。
はあ、とメイの小さなため息が聞こえたのは、もう少し後になってだった。
「んー。もうー、特別に及第点だよー。仕方ないなあー」
一番の危機は免れたらしい、とギルはほっとした。
頭も使わず勘で生きてきたこれまでだけれど、今回もなんとかできたみたいだ。
「あ、ああ。ありがとうメイ」
ギルは草むらに大の字に寝転がった。危なかった……よくわかんねえけど、俺は今確かになんかの危機を乗り切った。
そんなギルを見て、メイはなにか思いついたようだ。いたずらを思いついた子供のようにニヤリと笑う。
「お昼寝しよっかー?」
「ああ…え?!メイ?!」
「おやすみー」
大の字に寝転がったギルの上に、メイはがばっと覆い被さった。
さすがに全身ではなく、半身だけ絡ませるように抱きつくと、そのまま、本当にスヤスヤと寝息を立てる。
(うわあああああ、昼寝ってなんだ?!これはどうしたらいいんだ?!)
ギルは顔を赤くしたり青くしたり一生懸命考えた。
昔ダンに言われた、「無い頭でも絞り出せば答えが出る」ってヤツだ!
「女って、よくわかんね………」
結局、考える力をなくしたギルは、メイの頭を落とさないように抱えると、つられて昼寝を始めた。
昔フィリアが言ってた、「考えてもわかんなければ眠ればいい。あとはどうにかなってる、多分」ってヤツだ。
(あいつら、元気に顔を見せに来いよー……)
今日も、丘には暖かい風が吹いていた。
昼寝をする二人が、風邪を引かないよう、優しく吹いていた。
王都でもなんでもないところで、恋愛旋風巻き起こっています。
メイちゃんは、第1章のヴァーレ滞在中に、一応出ています。
名前のない友達そのいちです。笑
ずっーと設定はあったので、書けて満足です!




