第二話
「ワタシはママを許さない。ワタシタチを置いていったから。
「ワタシはパパを許さない。ワタシタチに無関心すぎるから。
「ワタシはおばあちゃんを許さない。ママを追い詰めたから。
「ワタシは世界を許さない。あまりにも生きることが過酷すぎるから。
「でも、一番許せないのは自分自身。だって何も役に立たないから」
愛情とは呪いだと思う。あなたの為だと思って言ってやってるとか、あなたの為を思ってやってあげたのに、とか。そのくせ相手の「お気持ち」を受け取らなかったら、まるでこちらが悪人であるかのような罪悪感を植え付けられる。
そして、子供のワタシはそんなことをいうママのことをどうしても嫌いになれない。ワタシタチを捨てて恋人と出て行ってしまった後も。
その代わり、ワタシはワタシを嫌いになった。何もできない役立たずなワタシはきっと切り捨てられて当然だから。
夜が来ればもう目覚めませんようにと祈り、朝が来れば目覚めてしまったことに絶望する。
欠伸をすれば口から希望が出ていくようで、手を洗えば水と一緒に指の隙間から幸福が流れ落ちていく。
うんざりするような毎日だったけど、ワタシは弟の面倒を見なければならない。
弟のユウマはまだ三歳、かわいい盛りのこの子を、ママはどうして置いていくことができたんだろう?
――せめて連れて行ってくれれば……。
黒い考えが頭をよぎる。
弟は可愛い。姉であるワタシが世話をしているのは当然で、これは自分の意志で愛情。
それなのに、時々どうしてもすべてを叩き潰して逃げ出したくなるのは何故なんだろう。
ママが出ていったことを伝えても、パパは帰って来なかった。その代わり届いたのは、夏休みの終わりからおばあちゃんと暮らすように告げる一本のライン。
ママを苦しめたおばあちゃんと、どうして仲良く一緒に暮らせるなんてパパは思ったんだろう?
けれど、子供のワタシタチに選択肢なんかない。
あれよあれよという間に転校と引っ越しが決まり、夏休みの最終日からおばあちゃんの家で過ごすことになった。
おばあちゃんの家は房総半島にある広くて古い和風住宅。和室が沢山あって、夏でもどこかうすら寒い。小さいころから、この家がなんとなく苦手だった。
「正直、年寄りには大変なんだよ。子供の面倒なんて。それでも愛情持って受け入れてあげたんだから感謝して。サキ、あんたじいちゃんの面倒も看るんだよ。最近ボケ始めて大変なんだから。働かざる者食うべからず、ユウマはしょうがないとしても、だらしないあんたの母さんの分までしっかり働くんだよ。ケンジは遠くで頑張ってるんだから。それが、ゆくゆくはあんたの為なんだ」
私の為? 私の為っていったい何だろう。
部屋はいくつも余っているはずなのに、ユウマとワタシで六畳の和室が一部屋与えられただけだった。
ユウマはママがいないと言ってぐずり、時には泣き出し、ワタシは勉強どころではない。
「はぁ……」
何もかも、終わりにしたい気分。いつまでこんなところにいたらいいのだろうか。
「兄ちゃんさぁ、やっと明日帰れるね」
「そうだなぁ」
小さい女の子と男の子の声がする。見なくてもわかる。あの声はいとこのショウタとリナちゃん。ワタシと違って、帰る家と親がある子供たち。少し前まではワタシもそっち側だったのに。
羨ましくて、情けなくて、目から熱い雫が零れた。
「ねーね?」
ユウマが不思議そうな顔をしながらティッシュを差し出してくれた。
ああ、愛情というのは本当に呪いだ。ユウマを愛しいと思わなければ、今すぐこの家から裸足で逃げ出すのに。
ワタシは、声を殺して涙を流し続けていた。
♢♢♢
夕食はおばあちゃんの手作りの煮物と漬物、ショウタのお母さんが作った揚げ物が並んでいた。
ユウマは野菜が嫌いだとぐずり、フライドポテトばかりをぱくついている。それでも、夕飯を食べてくれたことにどこかほっとした。
お風呂に入りユウマを寝かしつける。
なかなか眠らないユウマを宥めながら、深いため息を一つ。
キモチが不安定で。
セイカツが不安全で。
ミライが不確定。
やりかけの宿題を放り出すみたいに、すべて捨てて逃げ出せたらいいのに。
いつしかユウマは穏やかな寝息を立てていた。
ワタシは何度目かの寝返りを打ち無理やり目を閉じる。
――明日目が覚めませんように。
気が付くと、大きな木の前にいた。
杉の木だろうか。しめ縄が張られ、どこか神々しい。
近づいて行って、そっと木肌に触れてみる。
ひんやりとして、ざらざらとした表面。
ふと、足元に穴が開いていることに気が付く。
人がすっぽり入りそうな大きな穴。
いや、実際に誰かいる?
「!?」
ワタシは息を呑んだ。
そこにあったのは、血を流した死体。
しかも、ただの死体じゃない。
ワタシは必死に手を伸ばす。
「ママ!!」
――っつ。
目を開けると、見慣れない天井が飛び込んできた。
「夢、か……」
なんであんな夢を見たんだろう。ワタシの深層心理に何があるっていうんだろう。あとでグーグルで調べてみなきゃ。
充電中のスマホを取り出し、画面を点ける。
表示された日付に、目が釘付けになる。
『八月三十二日』
このタイミングで、スマホまで壊れたのだろうか。
臨時のお小遣いを無心しなきゃいけない可能性を考えて、またため息。
「うああああああああ!」
突然、叫び声が聞こえてきた。あの声はショウタ。
「ゴキブリでも出たのかな……」
ふと、部屋の隅に殺虫剤があったことに気が付く。
ワタシは殺虫剤を手に取り、部屋を出て声のする方に歩いて行った。
ショウタはすぐ見つかった。おじさんとおばさんが泊まる部屋の前で腰を抜かしている。
「何? 朝から叫んでどうしたの?」
「父さんと母さんが白骨に……!」
「はぁ?」
意味が分からない。ショウタを押さえて部屋の中を覗き込む。
「っつ……!?」
そこには、パジャマ姿の二つの白骨死体。
こんなの、お化け屋敷でしか見たことない。
「なぁ、これどうなってるんだよ……?」
ショウタが不安そうに言う。男のくせに、頼りない。
「知らないわよ! とりあえずじいちゃんとばあちゃんに言わなくちゃ」
ワタシはおばあちゃんの部屋に走った。結局、こういう非常事態は大人に任せるしかないんだ。自分が子供なのが、情けない。
「おばあちゃん! 起きてる!?」
返事がない。
そうっと襖を開いてみる。
「ッつ……!」
そこには、白骨化した一体の死体。
どうして。
どうして。
どうして。
目がぐるぐるとまわり、しりもちをついた。喉の奥から何かがこみ上げる。
「きゃああああああああああ!」
胃液の代わりに、喉の奥から叫び声が吐き出された。
「どうした! サキ!」
ショウタが走ってくる。
「あ……あれ……」
震える指で白骨死体を指さす。
「あ……ああ……」
ああ、全身の震えが止まらない。これは夢?
「どういうこと……?」
喉から声を絞り出す。
「とりあえず警察に電話しよう」
頼もしい声。一瞬だけショウタがたくましく見えた。
「圏外……?」
スマホを片手に茫然とした声を出すショウタ。
ふと廊下、ショウタの奥にあるものが目に飛び込んでくる。
「固定電話がある!」
ワタシは走って電話にとびつき、受話器を当てる。しかし、受話器からは何の音もしない。
「つながらない……なんの音もしない……」
ボタンを押してみるけど、やっぱり同じ。
「兄ちゃん、一体どうしたの?」
「サキちゃん――」
振り向くと、リナちゃんとユウマが眠そうにしながら立っていた。
あわてておばあちゃんの部屋の襖をぴしゃりと閉める。こういうのは、子供に見せるものじゃない。
「大丈夫だから!」
わざとらしく声を張る。
「ね、ショウタ?」
「あ……ああ……」
勢いに押されたようにショウタは頷く。
「みんな起きたから朝ごはんにしよっか」
極力明るく。ユウマには、この異常を悟られたくない。
「ボクパンがいい―」
「ワタシも!」
年少二人の明るい声に日常が戻ってきた気がして、少しだけ張り詰めた空気が和らいだ。
でも、事態はそれだけでは終わらなかった。
「なにこれ……」
キッチンでワタシは泣きそうになる。
冷蔵庫の中身が、まるで何十年も捨て置かれてたみたいに古くなっているのだ。
冷蔵庫の中身だけじゃない、バナナも、パンも、液状を通り越してミイラ化している。
「どうしよう、一晩でこんなことってある……?」
これじゃ、ユウマに朝ごはんをあげられない。
何かないかとキッチンの引き出しをあさる。
「あ、これなら」
引き出しの中には、缶詰がたくさん入っていた。非常用の乾パンも。
「ビスケットたべりゅー」
ユウマが目ざとく見つける。
「朝からお菓子食べていいの?」
リナちゃんがキラキラした目でこちらを見ている。
「じゃ、これ開けるね! 手、洗って」
水道の蛇口をひねると、じゃあじゃあと透明な水が流れ出した。良かった、水は無事。
リビングに移動して乾パンを開けると、ショウタがくんくんと臭いを確かめた。
目で、オーケーの合図が来る。それを無言の頷きで返す。
「いただきまーしゅ」
「飴ワタシたべるー」
リナちゃんは乾パンより一緒に入ってる氷砂糖が好きみたいだ。
「二人とものどに詰まるから、ちゃんとお水飲んで」
コップに入れた水を年少二人の前に置く。
「なあ、サキ」
ショウタが口を開いた。
「なに」
「これ食い終わったらちょっと外出てみないか? 警察でも何でも、この状況知らせなきゃ」
「うん……そうだね」
異常な状況、どうにかしなくちゃ。子供のワタシタチにはできることなどない。
「ケイサツいくの? ボクパトカー見たい!」
警察という単語にユウマが反応する。
「兄ちゃんなんか悪いことしたの?」
リナちゃんが悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「してねぇよ! 飴よこせや!」
「やだ―」
ショウタが襲い掛かるポーズをし、リナちゃんが素早く飴を頬張りげらげら笑う。
暖かい食卓みたいな風景が懐かしくて、少しだけワタシは心が緩んだ。
乾パンと水だけの食事を終わらせ、身支度をする。
四人で玄関の引き戸を開けると、もわっとした暑い空気に包まれた。
敷地を出たところで、遠くの黒い影にふと気づく。
「ねぇ……あんなのあった?」
ワタシは指を指す。
――ゴォォォォォッ。
最寄りのコンビニのすぐ奥に電車が走り抜けている。
「電車なんてこの辺はしってたっけ……?」
ショウタも怪訝そうな顔をする。
「でんしゃ、見る―」
ユウマがはしゃぎだす。
「はいはい、またあとでね」
諫めるワタシ。今はそれどころじゃない。
「あった、交番。オレちょっと行ってくるわ」
ショウタが駆け出す。その姿をぼんやりとワタシは眺めていた。
ショウタは交番の入り口で立ち尽くしている。どうしたんだろう。
「兄ちゃーん! 待ってよー」
リナちゃんが待ちくたびれたように駆け出す。
「来るなっ!」
ショウタの怒鳴り声に、リナちゃんがびくんとして立ち止まる。
「どうしたの? ショウタくん」
様子が、おかしい。
「子供に見せるもんじゃない……離れよう」
そういうとリナちゃんの手を引いてどんどん歩いて行ってしまう。
ワタシは、慌ててユウマを抱っこしてその後を追った。
「ショウタ君待って……」
ようやく追いついたころには、コンビニ奥の線路の前まで来ていた。
「とりあえずあっちの商店街のほうまで行こう」
ショウタが線路に足を踏み入れる。
――ガシャン。
金属音がした。
よく見ると、ショウタが鉄製のはさみ罠に引っかかっている。
どうして、ここにこんなものが?
――カンカンカンカン。
「ショウタ君!」
ワタシは気づいて悲鳴を上げた。
電車が、来る。
「開け!開け!開け!」
ショウタは必死にもがくが動けない。
――ゴォォォォォ。
真っ黒な電車が近づいてくる。
(もうダメ!)
ワタシは目を閉じ、ユウマを抱きしめた。
轟音が過ぎ去り、ワタシはそっと目を開ける。そこには電車も、ショウタ君の姿もなかった。
「どういうこと……?」
あの状況なら、間違いなく轢かれていたはず。
それなのに、ショウタの姿はどこにもなかった。轢かれた死体すら。まるで、ショウタという存在が最初からなかったみたいに。
「兄ちゃん……消えた……?」
リナちゃんも目を見開く。
「とりあえず、ここは危ない気がする。家に戻りましょう」
リナちゃんを促しワタシタチは家に戻った。
いろいろなことがありすぎて、なんだか自分が抜け殻になったみたいな気がした。
リナちゃんとユウマの前ではなんとか平静を装っていたが、この状況、私一人ではどうにもならない。
ショウタがいないだけでこんなに心細いなんて。
気を紛らわそうとテレビをつけても、砂嵐をが流れるだけ。ラジオもつながらない。スマホはずっと圏外。
退屈しきった年少二人は庭でボール遊びを始め、その笑い声を聞きながらワタシはいつしか眠っていた。
「お姉ちゃん、起きて」
リナちゃんの声にはっと目が覚める。
ずいぶん長く眠っていたみたいだ。窓から見えた外の景色は真っ暗になっていた。
「お腹空いたし、兄ちゃん帰って来ないし、お母さんもお父さんもおばあちゃんもいないみたいだし……」
泣きそうにな顔をするリナちゃん。
「ごめんごめん、夕飯用意するね」
リナちゃんの頭を撫で、ワタシは立ち上がる。
――ゴォォォォォォ。
外から飛行機のような音が聞こえてくる。
(なんだろう?)
窓のを見ると、空からなにかがこちらに向かって飛んできている。
(飛行機!?)
遠くから見えるそれは、小型の飛行機だった。
それはどんどんどんどん近づいてきて、やがてワタシの目前まで迫ってくる。
(ぶつかる!?)
早くユウマを連れて逃げなくちゃ。でも足が動かない。
――ゴオオオオオオオオッ
爆音で耳が壊れそう。風で体が吹き飛ばされる。
ワタシは体験したことのない衝撃に備えて、きつく目を閉じた。
―つづく―




