第一話
オレたちはハムスターだ。日常というゲージに入れられ、新鮮な餌と水と回し車与えられ漫然と生きている。
俺たちは回し車を漕いで、漕いで、漕いで、まるでそれが前進であるかのような錯覚の中で生きている。何も変わりはしてないのに。
オレが夏休みにじいちゃんのうちに遊びに行ったのも、回し車のような日常の一環だった。
日々の暮らしは同じことの繰り返しで。
日々の楽しみも同じことの繰り返しで。
季節の行事もまた季節で繰り返す。
決して裕福とは言えないオレの家は、夏休みに海外旅行なんて行く余裕はない。北海道や沖縄だって夢のまた夢だ。それでも、両親は夏休みは愛する息子と娘に何か思い出を与えないと思い込んでいるのだろう。
――夏休みは房総半島のじいちゃんちにいく。
これがオレの物心ついてから中学二年の今に至るまでの夏のルーテーィーン。
湿り気のある海風が吹いて。
太陽は照り付けて。
セミたちが騒ぎ出す。
ただいつも通りの退屈な夏休みが今年も始まり、そして終わろうとしていた。
「なぁ、ショウタ宿題終わったんか?」
「大体終わったよじいちゃん。ところで、あいつら誰?」
認知症が始まり出したじいちゃんは、昨年と変わらない皺だらけの笑顔を俺に向ける。築四十年は超えた木造平屋建てのただっぴろい一軒家。中のつくりは純和風で、襖で仕切られた畳敷きの部屋がいくつもある。うっかりすると遊園地でよくある迷路に迷い込んだような気分になる。昼はそれでも光が入るからまだましだ。夜になると室内はひんやりした空気に入れ替わり空気が一段と暗く重くなる。室内にいるはずなのにまるで夜の森に紛れ込んだみたいだ。母さんが言うには、この家の敷地は三百坪はあるという。
ここにじいちゃんばあちゃんはたった二人で住んでいて、空き部屋に俺たち家族が泊まり夏休み終了の八月三十一日に帰るというのがここ毎年のお約束だった。今年は三十一日が金曜日だから翌日の土曜日に帰ろうと言い出したのは父さん。
一泊延長が決まった時母さんが裏で小さく吐き捨てた声が聞こえた。
「このマザコン野郎」
この家にいればいるほど母さんの機嫌は悪くなるのに、父さんはどうして毎年来たがるんだろう。毎年の同じような思い出より、母さんが笑顔でいてくれた方がオレはずっと価値がある夏休みだと思えるのに。
そして、夏休みも最終日になった今日になってなぜかこの家に知らない子供が二人来ていた。歳は俺と同い年くらいの女の子と、三歳くらいの男の子が一人ずつ。二人ともどこか薄汚れた感じがしていて、心なしか目に光がない気がした。
「ケンジのとこの子供たちだぁ。チカコさんが突然いなくなって、ケンジはタイから帰って来れないっていうしここで預かることになったんだ。ったくじいさんもボケ始めて手がかかるっていうのにチカコさんは本当に男にだらしなくて……」
ばあちゃんはエプロンで手を拭きながらブツブツとつぶやく。
「母さん、子供の前でその話は……」
父さんが止めに入る。
「だからアタシは結婚に反対だったんだ。ケンジがチカコさん連れてきたとき、もっと強く反対すればよかったんだ。純粋なケンジ騙して海外で働かせて金むしり取って、挙句の果てに男と出奔なんてとんだアバズレだよ」
「シュッポンって何―?」
「子供は知らなくてもいいことよ。ショウタ、悪いけどあっちにリナ連れてって。明日の準備でもしてて」
母さんが鋭い目でオレに指示する。俺は知ってる。この目は従わないと後でヤバい。
「リナ、あっち行くぞ」
妹を促しオレは寝室として使っている和室に入る。
「兄ちゃんシュッポンってなによ」
「子供は知らなくてもいい」
「兄ちゃんだって子供じゃん」
リナは三年生になってから妙にませたような口を利くようになった。いっぱしの女のような口調とまだまだ子供といった表情がアンバランスで、その表情を見ていると砂糖を入れた麦茶を飲まされたような気持ちが沸き起こる。
「まあ、明日には帰るんだ。気にすんな」
砂糖入りの麦茶を無理やり飲み干すように、オレは妹の視線を無視して着替えをボストンバッグに詰め込んだ。
じいちゃんち最後の夕飯はお通夜みたいにしぃんとし、咀嚼の音とテレビから流れるバラエティの音だけが響く。
ケンジおじさんの子供二人――姉の方は俺と同い年でサキ、弟の方は三歳でユウマという名前だと、夕飯前に険しい顔をした母さんから聞いた。従姉弟なのに今までオレたちと会ったことがなかったのは、奥さんのチカコさんが子供たちをばあちゃんに会わせるのを嫌がったから、らしい。
「ワタシだって会わなくていいなら会いたくないわよ。会うたび新聞とれだの仏壇買えだの言ってくるババアに誰が会いたいもんか。パパがケンジさんが子供を会わせないからうちだけでもって毎年帰省を決めちゃうけど……正直ホント迷惑。ショウタはお母さんの味方よね?」
ぎらついた母さんの視線が獲物にとびかかる前の獣の目に見えて、オレは無言で首を縦に振った。
食卓では、サキもユウマもなかなか食が進まない様に見える。無理もない。テーブルには買ってきた刺身にばあちゃん手製の野菜の煮物に漬物。ご飯と味噌汁。正直、子供好みとはとても言えない料理たちだ。唯一母さんが作ってくれたフライドポテトと唐揚げがほっとできる味で、サキもユウマもリナも、そればかりをつついている。
なんとも食べた気のしない夕食が終わり、交代で風呂に入る。部屋に戻ると濡れた髪を乾かしているリナがいた。
「兄ちゃんさあ、やっと明日帰れるね」
「そうだなぁ」
「夏休み始まる前はずっと夏休みならいいと思っちゃうけど、じいちゃんとばあちゃんちくると早く学校始まればいいのに、って思う。この家つまんないしママいつもピリピリして機嫌悪いし」
リナもリナなりに気をつかってるのか。
「オレは、それもそう思う」
「来年はここよりディズニーランドに行きたいよ。同じクラスのアヤネちゃんちは毎年ディズニーランドに泊りがけでいくんだって」
「めっちゃ金持ちじゃんその子の家」
「うちがお金持ちじゃないっていうのはもちろん知ってるけど、たまにはさぁ」
リナが長い髪を梳かしながらむくれる。
「来年は違うとこ行こうって帰ったら言おうな」
オレは押し入れから布団を取り出しながら言う。オレやリナが来年はディズニーランドに行きたいといっても、父さんは聞かなかったふりをするだろう。そうして、来年も同じようにじいちゃんちにオレたちを来させるんだ。大人の事情と雰囲気ってやつを、オレはこの歳になってようやく感じ取れるようになってきた気がする。
「髪乾かし終わったならさっさと寝るぞ。その方が早く明日になる」
――夢を見た。はっきりと映像が見えているのに意識がこれが夢だと告げている。
夢の中で、母さんとばあちゃんが言い争ってる。ばあちゃんが母さんの首を絞め、母さんがばあちゃんを突き飛ばした。ばあちゃんの背後からじいちゃんが猟銃を持って近づいてくる。そうだ、じいちゃんは昔猟師で熊を一頭自分一人で仕留めたことがあるって前自慢していた。
猟銃がゆっくりと母さんに向けられる。
――やめろ! 母さんは熊じゃない!
目が覚めたら、びっしょりと汗をかいていた。枕もとに充電してあるスマホを手繰り寄せ、画面を見る。
――八月三十二日。
おかしい。そんな日付、聞いたことがない。
(スマホ壊れたか……?)
時間はまだ午前五時。まだ寝ていてもいい時間だが、目が冴えてしまった。
リナを起こさない様に布団から這いだしトイレにいく。用を足した後、玄関からガシャンという音が聞こえた。どうやら新聞が配達されたようだ。
(暇つぶしに新聞でも読むかな)
ガラガラと玄関の引き戸をあけると、やはり新聞が郵便受けに入っていた。
「……!?」
オレは自分の目を疑う。新聞の日付ははっきりとこう書いてあった。
――八月三十二日。
心臓がどきどきする。
偶然にしちゃ出来すぎてる。
これは夢なのか。
オレはまだ夢を見ているのか。
思わず手の甲をつねってみる。ちゃんと、痛い。
オレはリビングに走った。リビングには、この家唯一のテレビがある。
リビングへ続く引き戸を開け、震える手でリモコンのスイッチを押した。リビングのテレビは、どのチャンネルも砂嵐を映し出していた。
おかしい。
おかしい。
何かがおかしい。
ふとリビングを見渡すと、もう一つの違和感に気が付いた。
「この部屋……こんなに古かったっけ?」
じいちゃんちは確かに古い。でも、この部屋は昨日までのそれとは明らかに違った。置かれた家具には埃が積もり、本やカレンダーは茶色に変色しパリパリになっている。まるで、何年も人が住んでいなかったみたいに。
「父さん、母さん、起きてくれ。なんか部屋が変だよ」
怒鳴りながら親が寝ている部屋を開ける。
「!?」
部屋の中に父さんと母さんの姿はない。代わりに、布団に入った二つの白骨死体があった。
「うああああああああ!」
オレは叫び声をあげた。
嘘だろう。
昨日まで普通に飯食って話して。
明日帰ろうって言ってたじゃないか。
父さん、母さん……!
「何? 朝から叫んでどうしたの?」
気が付けばパジャマ姿のサキが後ろに立っていた。
「父さんと母さんが白骨に……!」
「はぁ?」
意味が分からない、という風にサキは俺を押しのけて部屋の中を覗き込む。
「っつ……!?」
口を押えて声を失うサキ。
「なあ、これどうなってるんだよ……?」
「知らないわよ! とりあえずじいちゃんとばあちゃんに言わなくちゃ」
サキはじいちゃんとばあちゃんの部屋に駆け出した。
「きゃあああああああああ」
今度はサキの悲鳴が響き渡る。
「どうした! サキ!」
声のした方にオレは走る。じいちゃんとばあちゃんの部屋の前で、サキは腰を抜かしていた。
「あ……あれ……」
サキが震える指で部屋の中を指さす。
「あ……ああ……」
人差し指の先の光景に、オレは全身が粟立つのを感じた。人差し指の先には、さっきと違う白骨死体が一つ。
「どういうこと……?」
「とりあえず警察に電話しよう」
他人がパニックになっていると妙に自分は冷静さを取り戻せるものだ。オレは右手のスマホでイチイチゼロを押そうとする。
「圏外……?」
嘘だろ。昨日まで確かにこの家ではスマホが使えていた。
「固定電話がある!」
サキは叫び、廊下の端にあった電話の受話器をあげ、耳に当てた。
「つながらない……何の音もしない……」
ボタンを押しながら、茫然と呟くサキ。
「兄ちゃん、一体どうしたの?」
「サキちゃん――」
後ろを振り向くと、リナとユウマが眠そうにしながら立っていた。俺たちが大騒ぎしているのを聞きつけて起きてしまったらしい。
「大丈夫だから!」
サキはじいちゃんとばあちゃんの部屋の襖をぴしゃりと閉めながら言う。
「ね、ショウタ?」
「あ……ああ」
雰囲気に押されてオレは黙って頷いた。
「みんな起きたから、朝ごはんにしよっか」
「ボクパンがいいー」
「ワタシも!」
年少二人は口々に勝手なことを言い、でもその暢気さが妙な安心感を与えてくれた。
「どうしよう、一晩でこんなことってある……?」
サキは泣きそうな声でつぶやいた。
キッチンは昨日までは確かに機能していた。
確かに。何の違和感もなく。
冷蔵庫にはばあちゃんが買ってきた新鮮な食べ物が詰め込まれ、どれでも勝手に食べていいと言われたオレ達はその言葉の通り遠慮もなくアイスでもプリンでも好きなものを取り出して食べていた。
今はどうだ、冷蔵庫の中身は明らかに腐り果て、液状を通り越してミイラ化している。人参もゴボウも黒い石状で、それが原型が何だったかを推し量るのが一見じゃとてもわからない。食パンの袋は緑色でカチカチ。プリンは中身が真っ黒になっていた。
不思議なことに、悪臭はしない。虫も湧いていない。ただこの空間だけが突然時間を早送りにしたようなそんな違和感。
――そうだ。
さっきの部屋で感じた違和感にようやく気付く。死体があるのに、何の匂いもしなかったんだ。人が死ねば、死臭という独特の臭いを放つとマンガで読んだことがある。虫だって湧くはずだ。昔母さんがスーパーで買った肉を間違ってエコバックに入れっぱなしにして、それに気づいたときに家族で大騒ぎしたことを思い出す。
えづくような異臭がして。
ゴキブリが湧いて。
コバエも湧いて。
吐き気が湧いて。
バッグの中のパックの中で。
緑のドロドロになったあの豚肉。
あの時は大変だった。殺しても殺しても出てくるゴキブリに消えない臭い。母さんは毎日疲れ切っていた記憶が蘇る。
「あ、これなら」
サキの声で現実に引き戻される。
サキは手に錆びた乾パンの缶をとりどこかほっとした表情をしていた。
「ビスケットたべりゅー」
「朝からお菓子食べていいの!?」
年少二人はキラキラした目で嬉しそうな声をあげる。その姿にオレはなんともいえずほっとした。サキも多分同じ気持ちなんだろう。
「じゃあこれ開けるね! 手、洗って」
シンクで水道の蛇口をひねるサキ。じゃあじゃあと透明な水が流れ出す。
――水は、無事だ。
二人の手を交互に、それからサキとオレの順番で手を洗う。
リビングに四人で移動し缶を開ける。中には、きつね色をした乾パンと氷砂糖が入っていた。一応、くんくんと缶に鼻を近づけて臭いを確かめる。
――よかった。中身は無事そうだ。
サキに目で合図をすると、頷きが返ってくる。
「いただきまーしゅ」
「飴ワタシ食べる―」
「二人とものどに詰まるから、ちゃんとお水飲んで」
サキがかいがいしく二人の面倒を見る。
「なぁ、サキ」
「なに」
「これ食い終わったら、ちょっと外出てみないか?警察でもなんでもこの状況知らせなきゃ」
「うん……そうだね」
「ケイサツいくの? ボクパトカー見たい!」
「兄ちゃんなんか悪いことしたの?」
「してねぇよ! 飴よこせや!」
「やだー」
リナはげらげらと笑い、サキは少しだけほっとしたような顔をした。
乾パンと水だけの食事の後、年少二人を着替えさせ俺たちも準備をする。
玄関の引き戸を開けると、もわっとした厚い空気に包まれた。変な違和感がする。なんだろう。何かが違うはずなのに、うまく言葉にできない。
「ねえ……あんなのあった?」
家の敷地を出たところで、サキが指を指して視線を向ける。
――ゴォォォォォッ。
最寄りのコンビニのすぐ奥に電車が走り抜けている。
「電車なんてこの辺走ってたっけ……?」
「でんしゃ、見るー」
「はいはい、またあとでね」
「あった、交番。ちょっとオレ行ってくるわ」
駆け出すオレ。
「すみませーんッ……っ!?」
引き戸を開けたオレは言葉を失う。
白骨死体が制服を着て、椅子に座っていた。
「兄ちゃーん! 待ってよー!」
「来るなっ!」
オレの怒鳴り声にリナがびくんとして立ち止まる。
「どうしたの? ショウタくん」
サキが怪訝そうにこちらを見る。
「子供に見せるもんじゃない……離れよう」
無理やりリナの手を引いてオレはあてもなく歩き出す。慌ててついてくるサキとユウマ。
この世界はどうしてしまったんだ。
オレたち以外は白骨で。
食べ物もなくて。
電話もつながらなくて。
異常な日常。
非情な現実。
非常事態。
異常事態。
この状況をどうすればいい?
気が付くとコンビニ奥の線路の前まで来ていた。
「兄ちゃん、痛い。なんなの」
「ショウタ君待って……」
ふてくされたリナとオレに、ユウマを抱えたサキが慌てて追い付いてくる。
「とりあえずあっちの商店街の方まで行こう」
オレは線路に足を踏み入れる。
――ガシャン。
足が、何かに挟まった。足元を見るとありえないものに足が挟まっている。動物とかを捕まえるはさみ罠。
(どうしてこんなところに!?)
両手で鉄製の罠を開こうとするがびくともしない。
「ショウタ君!」
サキの悲鳴が聞こえる。
カンカンカンカン。
警告音が聞こえてくる。
開け! 開け! 開け!
罠に渾身の力を込めるがびくともしない。
爪が割れて血がにじむ。
ゴオオオオオオオオ。
真っ黒な電車が近づいてくる。
(轢かれる!)
嫌だ! 死にたくない!
眼前に電車が迫ってくる。
オレは目を閉じ、衝撃に備えた。
(一周目)




