198蛇結茨の恋
《ご主人、おいら術の準備に入るからしばらく動けない。
敵の注意を引き付けて置いて》
マドカの念話が真剣な音を帯びて響いた。目の端でマドカを見ると、空中でゆっくりと風に流されるように上へと浮かび、そして空に同化するように後ろに下がり、敵の視線から外れていった。
その緑の瞳には強い覚悟の色が見えた。
《マドカ、分かったわ》
(わたしは今回は攻撃魔法より、マドカの協力をしたほうがいいわね)
《詠唱に入ったらご主人にも協力して貰うから、魔力を練っておいて》
《分かったわ》
アーシアは顔を引き締めた。
(怖がってなんかいられない。マドカの詠唱を通すんだ)
マドカの念話が続いた。
《兄弟たちも分かってるな!
戦闘になったら表立って相手するのはおまえたちだ》
《大丈夫だよ。兄さん》
《任せてなの》
《ヨシも頑張るんだなぁ》
子猫たちは厳しい面持で、アーシアの前に三角になるよう――魚鱗の陣形に構えている。
ヴィクトルはやや離れた後方で、両手を腰に当てシニカルな笑みを浮かべ立っている。
《ヴィクトルにも作戦は伝えてある。
もし、モンスターが誘発されてきたらあいつに任す》
《《了解》》
《なんだなぁ!》
《マドカ、気をつけて》
マドカは一瞬優しい目になると、いよいよ本物の雲のように姿を擬態していった。
すると――、
ゆっくりとふらつきながら、髪を振り乱した、如何にも顔色の悪い女が近づいて来た。
「おや、招いていない客が来たね」
風に乗ってふわりと、例の甘い“ラ・レミニサンス・エテルネル”の香りが、埃と死臭の匂いを伴って漂って来た。
その目は酷く血走り、こめかみには青い血管が太く蜘蛛のように浮いていた。
(この距離ならわたしたちに反応が出るほどではない。
“ラ・レミニサンス・エテルネル”の効果は薄い)
アーシアは相手を意識しながらも、頭では厄介な法術への対策を計算していた。
「久しぶりですね。……体調がかなりお悪いんじゃないですか?」
「ふん。はは……小娘が嫌みかい?
こんな危険な場所まで、たった二人で、猫なんか連れてっ、はあはあ……来たりして……」
少し歩いて来ただけで、苦しげに息を吐き、声はしゃがれ、以前よりもずっと年老いたように響いた。
「今している実験をやめてもらえませんかね」
アーシアが冷たい、だが毅然とした調子で言った。
「……あはは……。愚かな子。
”放浪の錬金術師”? 天才発明家のデイス……いい気になっているのかい?
あたしがこのために……はあ……何年、何を懸けたと思っているんだ」
笑い声は、無理するように苦し気で、言葉は息を吸い込むのが難しいのか途切れ途切れだった。
瞳は小刻みに揺れ、どこを見ているのかすら分からない。
広げた手は木切れのように細く節くれ、紫の血管が浮いている。
唇は乾燥でざらつき真っ青だった。
アーシアの科学者としての冷徹な目は、その彼女の総ての症状をつぶさに見て取れた。
(これはかなり、毒による症状が進んでいる。肺に酸素も行かない……酸欠の状態に長いことさらされている。
長命種でなければ、既に命を落としていてもおかしくはない……)
「あなたが手にしている物は、”常若の薬”なんかじゃないって解ってますよね。
あなたの協力者、イアプト・ワースは死にました。
彼は――、自分の錬金術への執着、欲望により自滅したんです」
女は、身体をゆらりとよろめかせ、猫背のままアーシアを強い視線で睨んだ。
仲間だったはずのワースのことを、全く意に介した風でなかった。
しかしその瞳は、ずっと震えたまま、焦点が定まらず、見えているのかいないのかすら怪しい。
「ふん。あいつこそ、ただの道具だよ。
はは……操り易かったね。術も要らないくらいさ」
(そう、イアプト・ワースは術には掛かっていなかった)
「彼の作ったものを手放しなさい」
アーシアは厳しく言った。
「何のことだねぇ」
「”あれ”は、本物じゃない。劣化ものだ。
薬ですらない。ただの道具よ」
アーシアの声は乾いた空気に、静かに鋭く響いた。
魔族の女は、少し遠くを見るようにすると、不意に笑った。
「そう……。
ワースは薬だって初めは言ってたのさ。
飽くなき生への執着。
それによる名声と富か……。
あたしにゃ、分からないね。
短いヒトの生命なんて。欲深い男だよ」
女の声は、温度もないように冷たく響いた。
だが、その瞬間、
「そうしたら、道具だってさ。
はは……本人は随分荒れていたよ。ガラクタだって。
でもね、それでもいいのよ。
あたしなら出来るんだ。その道具を使うことがさ」女は得意そうにそう言い切った。
アーシアに向けた女のその目は濁り、気味の悪い熱に浮かされて見える。
いよいよ血管が浮き上がり、長い蜘蛛の足のように伸びた。
(ウィンドウにあった魔族専用道具の意味は……魔族の魔石付与が出来る能力にあるのだろう。
そして、魔石に……命を付与する)
アーシアは、今までの総ての彼らの錬金物から分析して、導き出した答えを見つけていた。
「……魔王の欠片とは、魔石のことでしょう?
あなたが、その魔石に魔王の一部を取り込んだ……」
女の目が初めて意志を持って揺れた。
「ねえ、そうでしょう? ドゥッケ=リリ、
それとも、蛇結茨のドゥッケ? それとも、レディD? リリスかしら?
あなたたちは、名前が一杯あって分からないわ」
ドゥッケの土気色の顔が急に異様な赤さで燃え上がった。
そして直ぐにまた青ざめ、吐き捨てるように喋り出した。
「……あたしは永く生きているんだ。幾らでも名前くらいあるさ。
それより、よく分かったね。
あたしが魔石で彼を生かしていることを」
手の指を魔女のように震わせると、手持ち無沙汰に自身の頬の周りを擦った。
赤茶色のドレスの黒いタイは解れ、だらしなくぶら下っている。
するとアーシアの後方から、飄々とした男の声が響いた。
「当時……魔王を討伐した際の最も大きな魔石が奪われたそうだ。
かなり強力なものだから、魔王の心臓部に当たる魔石は神殿で処置をする。
魔王が死んで出た魔石を、魔王の一部を閉じ込めるために使ったなんて、あんた、趣味が悪いな」
ヴィクトルが、揶揄するように口を挟んだ。
「おだまりっ!
あの人をあんなにしたのは、
あたしの愛するあの人を――魔王にしたのは、神じゃないか」
それまでの余裕のある振りをかなぐり捨て、ドゥッケは一層鬼女のような容貌になり慟哭した。
『テンプト・モンスター!』
ドゥッケの号令で、周囲がざらつく波のような音を立てた。
その低い轟音は遠くから爪音をかき鳴らし次第に近づき、地割れするような音を立て激しくなっていった。
ヴィクトルが、眉を上げわざとらしく溜め息を吐いた。
「おうおう、怒っちゃって。俺ちゃんの出番かな」
砂雲のベールの向こうから、大きな黒い影が連なり近づいた。
その凶暴な鼻先が、砂雲の結界を数多と通り抜けて来た。
『ディストラクション』
全身が結界に入る直後、ヴィクトルが術を放った。
ヴィクトルは素早く飛ぶように移動しながら、次々にモンスターの集団を一度に倒していく。
「だから! あの人を蘇らせるために、命を閉じ込めてしまうのよ!」
血を吐くような叫びが響き、悲痛な音を伴って女の心情を無残にも露わにした。そして、鬼女そのものの形相で手を振り上げた。
『アイスランスッ』
ドゥッケ=リリは、その病み衰えた身体でさえ、なおも強かった。
幾百もの氷の短槍をその場で生み出し、空からアーシアたちを狙った。
『ロックシールド』
『ライトニングボルト』
『ウォーターウェイブ』
左前に居たヨシは、強力な防御結界を瞬時に皆の周りに張った。
かなりの強度を誇るそれは、一切の氷攻撃を通さなかった。
なごみは氷を水魔法で跳ねのけた。
右端のエンは跳び上がって相手の懐近くに行って雷攻撃をすると、そのまま後ろにジャンプして元の位置のシールド内まで戻った。
水の飛沫が砂埃と混じり、霧状になって舞い、煙幕のように周囲を半ば隠し、エンの退路を守った。
子猫の反撃が思いがけなかったのか、慌てて氷シールドを張ると更に血走った形相になり顔を歪めた。
アーシアは、気を練りながら、唇を嚙みしめて子猫たちが飛ぶように動くのを見つめた。
「ふん。ご主人さまは、従魔の影に隠れているのかい?」
そうドゥッケに挑発されても、アーシアは『賢者の石』モドキの行方を確かめなくてはならなかった。
こんなに弱っているのだから、近くにあるのは間違いない。しかし、今ここにいるドゥッケは何も持っている風でもなかった。
(だとしたら、あの塔……?)
ドゥッケの後ろに聳え立つ岩塔は、禍々しい気をゆらゆらと放っている。
彼女は両手を広げ、ふらふらになりながらも次の攻撃を繰り出す。
(あの……彼女の姿……)
その姿は、後ろの塔をただ只管に守っているようにも見えた。
アーシアは、小さく頷いた。その目には深い理解の色があった。
そして、目のまえの狂い乱れた女に朗々と呼びかけた――。
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