199裁きのかたち・決戦
「あなたのその大事な”石”は、あなたの願いを叶えない。
それは……命を戻すんじゃない。
そもそも、『賢者の石』の使い方は違うの。
そしてあなたのその石は、
命を“固定する”だけの、冷たい石よ。
そのワースが作ったのがモドキだからじゃない。
あなたがどんなに頑張って実験したところで、あなたの寿命を縮めるだけ。
『賢者の石』は、ただの道具。
”常若”は死への拒絶、畏れ、幻想なの」
女が反論に吠える声が、地を激震させるかのごとく響いた。
「あたしには出来るからさ! 幻想じゃあない現実に出来るのさ」
アーシアは、背中でマドカの気を探り、自身も合わせるように魔力を高め続けた。
そして、敵に気取られぬように、努めて冷静な声で話し続けた。
「その命を、瓶詰めにして”使う”石を、
どうしてそんなリスクを払ってまで使おうとするの。
その人は、もうあなたの中にいないのに——
どうして、まだ手を伸ばすの?
縦しんば、その『賢者の石』モドキにあなたの大事な彼を付与することが出来たって、
それは命を”固定する”ための器よ。
生を閉じ込めた宝玉——だから”死ねない”、それだけなの。
あなたが寿命で死んだとしても……永い間、永久に意識もなく閉じ込められるだけ」
アーシアは相手を諭すように、極めて冷静に会話を進めようとしたが、自分でも気づかぬうちに次第に熱が入って最後の言葉を言い切った。
「愛も知らない小娘に、何が分かるっていうんだよ」
哀しい響きを孕んで、ドゥッケは吐き捨てるかのように言い放った。
魔物になりかけてた女の中に、一瞬にして蘇った。
己が瞼の内に、あの眩しかった愛しい人が、明るく笑っているのが見えた。
そしてその刹那、その顔が見るも惨たらしい怪物になり替わってゆく――
「ああ、ああ、ああああー」ドウッケは、激しく身体を顫動させた。
アーシアは僅かに眉を寄せ、固唾を飲んだ。
「あなたの望んだ”永遠の愛”は、変わらない”終わりのない死”だったのよ……」
静かにアーシアは、言った。
(……やはり、愛……か。ドゥッケ=リリの恋人は魔王だった。
その愛ゆえの執着――哀しい決断ね)
《ご主人、でも魔王になったのは、本人の責任だ。
悪いことをし続けなければ魔王に何てならないんだぞ。
――ご主人、祝詞の時間だ》
マドカの念話が頭の中に響いた。猫たちも周囲で緊張し、身を低く構えた。
モンスターの群れを相手していたヴィクトルが、涼しい顔でアーシアの前に立ちふさがるように現れた。
「はは、不死ではなく、朽ちない”屍”って訳か」
皮肉な口調で女を挑発した。
「君の薬剤、良く効いたみたいだよ」
顔を後ろに傾け、早口で小さくヴィクトルが告げた。
ヴィクトルは、扇動され、向かって来たモンスターの群れに、アーシアから受け取った”解呪薬”を撒きながら戦った。
すると、賢そうな個体と弱い個体は、周囲を見渡して直ぐさまテリトリーへと戻って行ったのだった。
アーシアは彼と目を合わせ軽く頷いた。
「黙りや!」
ドゥッケが烈火の如く怒った。
次々に氷の鋭い礫が、霰のように皆を襲った。
三匹は、連携を崩さず、応戦する。ヴィクトルはアーシアを後ろに隠したまま、間近の礫を一度に破壊し続けた。
アーシアは、気を落ち着けると、静かに一層大きく魔力を練り上げた。
(彼女は、こんなに魔力量をわたしが上げているのにも気が付かない……)
――神獣の祝詞を上げる声が、静かに、厳かに、宙に響いた。
白雲のような長い被毛が大きく膨らみびりびりと震わした。
マドカの瞳は徐々に硝子のような緑色から黄金色になり、燐光のように輝く。
(くっ……これは、凄いっ)
アーシアは顔に脂汗を滲ませた。魔力が身の毛がよだつほどに、怖ろしい勢いで吸い上げられていく。
~~天の使者の御子、
天駆ける、死者を統べる総攬の星に継ぎ給う、
いみじく憐れなりしその御霊、鎮め給おう。
黄泉より向かひて奉らむ、その御業用ひて導き給わん。
逢ふ川のいと広きを、御霊を渡して給わん。
黄泉津の御神、
安闇の腕に導きしを、
我れ、敬虔なる使徒にて、申し上げて奉らむ。
御霊を統べ給う者、死者をもてその御業を果たさしめ給え。
彼らに黄泉の道を歩ませ、我らが導きに従わせ給え。
幽闇、星河、偃月、天涯、宵の明け口……黄泉の川
黄泉比良坂、伊賦夜坂……
直かに、此処へいざや迎へ給へかし。~~
『冥府の門』
最後の言葉を告げると、周囲の景色が一変した。
驚いたアーシアは周囲を思わず見回した。
敵も味方も一同に唖然となって周囲を伺った。
昼が夜に。太陽が欠けた月に。
乾いた枯色の地面だけが反射して白く浮かび、現実であると告げている。
空の色は、最果ての墨を広げたように静かに、白く間を空けて大地と交わる。
反転した、影そのもののような世界。
その暗い宙に、輝くほどに真っ白な猫が毛を膨らまして浮かんでいる。
その目は静かな碧の湖水のように光っていた。
「ひっ?!」
アーシアの後ろで女の声がした。
何があったかと、ヴィクトルの肩越しに覗くと、アーシアは、はっとなって思わず息を飲んだ。
ヴィクトルも猫たちも、厳しい顔で女を見つめていた。
当の女は下を酷く気にし、じりじりと怖ろしげに身を捩り、後退りしようとしていた。
ドゥッケ=リリの前には、ぽっかりと穴が空き、真っ黒な口を開いていた。
その黒さは、周囲の空とは全く別の、真なる黒。白を一滴も含まない、光を一切通さない漆黒だった。
穴の中からは、細い影が長く伸び、ドゥッケの足首に巻き付いていた。
目を凝らせば、その穴は宛ら磯巾着の口のようで、――未曾有の闇の触角を伸ばしているのが窺えた。
その影も漆黒で、次第にその数を増やし、幾つもの細い影がドゥッケに向かった。
そして、それらは幾万もの数えきれないほどの手のようになり、彼女をゆるゆると、そしてしっかりと捉えようと伸ばし始めた。
「あ、ああ、あああああ……」
(この影は……死者。死者が冥府から迎えに来たんだ……)
アーシアは瞬きもせずその光景を見つめ続けた。
死者たちは、ドゥッケに巻き付き、脚だけでなく、胴に、胸に、腕に、首に次第に総てを覆うように絡みついていった。
ドゥッケ=リリの血走った眼は恐怖に見開かれ、叫びは死者たちの手に塞がれた。
ずるりずるりと、ゆっくりと鈍重に、死者の無数の手は、自らの影に包まれた蛹のような人型を、ぽっかりと開いた暗い穴へと迷いもなく引きずり込んでいく。
最期の声にならないドゥッケの息遣いが、一瞬鋭くなって、冥府の門に吸い込まれた。
冥府の門である穴は消えるように閉じ、周囲はまた反転したように、景色を元の荒野に変えた。
『ああ~~!』
「マ、マドカ、どうしたの?」
マドカは声を大きく上げると、地面に力なく降りて丸く蹲った。尻尾まで自分の下に敷いている。
アーシアは慌てて駆け寄って、マドカを抱き上げた。
『お、おいら……おいらも一緒に、冥途に行かないといけないかと思ったんだぞぅ』
「ど、どういうこと?!」
『この呪文は、祝詞なんだ。その文言の中で、神獣のおいらが連れて行きますっていうのがあったんだ』
「ええ、なんですって!
神さまに、直接お願いする技だって言っていたじゃない」
『うん、そうなんだぞぅ。冥府の神さまにお願いして、魂を直接迎え入れるために使者を派遣して貰うっていう魔法なんだ。
でも、おいらは、神獣で、神さまの使徒だから、率先してしなきゃいけないかなって……』
「そんな心配があるって分かって、この術を使ったのね……」
アーシアは、マドカをぎゅっと胸に抱きしめた。マドカは安心したように、アーシアの首元にその鼻先を擦りつけた。
周囲の砂雲の結界は綺麗に消え失せ、空は青さを少し取り戻していた。
そのため、岩塔の全貌がはっきりとし、不思議なことに塔から立ち昇っていた怪しい影も消えていた。
その塔の先端の崩れた奥も、陽の光が差し込み、不思議な形の装置のようなものの姿を露わにしていた。
アーシアは、はっとして、魔石レーダーを操作した。
その画面には、塔の中にしっかりと巨大な魔石の反応を示していた。
「大変よ。危ない『モドキ』の処理をしなくっちゃ」
『ええ?』
『……まだあったんだなぁ』
『あたち、今調べているわ』
「マドカ、大丈夫?」
『おいらも、まだ頑張れるんだぞぅ』
「ああ、俺も何かできることは?」
「処理をしたいけど……あまり近づくと毒性が強くて危険だわ。
ある程度距離を取って、中の装置がはっきり見えるようにしたいの」
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