牢
厚い雲が夜空を覆う。
人々の寝入る刻は城下町も冷たく静まり返る。そして今日は猫たちの騒ぎもなかった。
中央通りとは一本違えると、そこはいわゆる“裏の社会”だった。混沌とした闇の中、ぽつらぽつらと灯る明かりの数ほど、世間にはいえない会合が開かれている証。
その明かりの一つに小走りに駆けていく男がいた。辺りを見回し警戒しているようで、その見慣れた仕草の後を追う。
枝垂れ柳のかかる小さな橋を渡ると、男は更に周囲に目を向けながら一軒の屋敷へ向かった。
あれだけ警戒していると逆に怪しい。そんなことはお構いなしのまま、男は屋敷の扉を開けるとするりと中へ入って行った。
後を追うように屋敷の扉まで近づく。壁に寄りかかりうっすらと扉を引き中を確認する。
明かりは灯されているがそこは倉庫らしく、樽や棒が無造作に置かれ役立てているようには思えなかった。
黒いものが視界の隅に入り、慌ててそちらを目で追うと先程の男の頭であったらしく、彼は床下へと消えて行った。
「清院のにおいはここからするようです」
「……っ!?」
耳元で囁かれた声に息がつまり驚いて振り返ると、いつからそこにいたのか隣には朱院がいた。
「いつからそこに」
「ずっと後をつけて参りました。気になりまして」
中をさらに覗こうと身を乗り出す朱院を押しとどめる。
きょとんとした顔で見つめてくる彼女を見て溜息を吐く。
「友人に会う」と告げ、彼女が眠りについたのを確認してから家を出た。少し罪悪感はあったが、まさか後をついてくるとは夢にも思わず、自分の考えの甘さを痛感した。
「あなたのもとへなどいつでも行かれるのです。たとえどこであろうと」
きっぱりと告げる朱院にさらに頭を抱えながら、立ちあがる。
彼女を巻き込むわけにはいかない。仕方なく朱院の手を取り帰ろうとすると、一斉に人の動く気配がした。
「帰すわけにはいきませんよ、染祀様」
じゃり、と砂を踏む足音。甘ったるい、けれど冷笑まじりの声。
最も会いたくない人物だった。
しだいに周りを取り囲まれ、否応なしに腕を掴まれ、縛りあげられる。朱院も同様で、彼女の小さな悲鳴が響く。
「とんだ猫ですこと。そこまでして我が梅納寺家を陥れたいんですの? 簾桜家のご子息ともあろう御方が! おまえたち、その者たちをあの部屋に閉じ込めておきなさい」
引っ張られるのを無理矢理押しのけて夢次に笑みを向ける。ここでおとなしく捕まりたくなんてない。
「それはそちらが先にしたことですよ? 彼を間者にして探っていたことは知っています」
「証拠は?」
「今のこの状況がそうではありませんか? 彼は私達を誘き出すための罠だった……とか」
ふふ、と軽い声を漏らした後、夢次の指が顎を掬った。
「そこまでわかっていながらわざわざ御苦労様ね」
払うように指が離れた後、縛られた紐で引っ張られ無理矢理歩かされる。
夢次の指定した場所は今まさに覗いていた屋敷の中だった。大きく開かれた入口に押し込まれ、そのまま男が消えて行った床下へ歩かされる。人一人が通れる程度の真四角な穴。その下にはさらに階段が続き、仄かな明かりが見えた。
「降りろ」
低い声に仕方なく階段を下りる。軽く振り返ると朱院も怯えながら後からついてきている。
「さっさとしろ」
「そう急かさないでください。ここで私が怪我でもしたらそれこそ大変なことになるでしょう?」
「忍び込んだのはおまえの方だ。怪我なんざなんとでもいえる」
「では私も『無理矢理捕らえられた』と実家に言い訳できます。それにまだ中には踏み入れていませんでしたから」
少し腹いせのような答えに男はあからさまな舌打ちをし、学んだのか、それ以降口を開かなかった。
ほどなくして開けた場所に出た。
そして奥まった場所に格子と隔てられた区画があり、その前に一人の見慣れた男がいた。
彼もこちらの大人数に驚き、次いでわかりやすい驚愕の表情となる。
「こいつらも追加だ。ちゃんと鍵かけろよ」
先程の仕返しといわんばかりに、仕切っていた男は背中をわざとらしく度付く。それに耐えて彼らが立ち去るのを見届けると、朱院のそばに寄る。
「大丈夫ですか、朱院殿」
「わたくしは……染祀様は」
「慣れていますから」
微笑んで告げれば、朱院は少し悲しげに眉を寄せた。言葉を誤ったと気付いたがもう今更なので、とりあえず目の前の問題と向き合うことにする。
「さて、梅都殿。そういうことなんだが……」
「すまねぇ……俺は、俺は……」
しゃっくりあげ、本気で泣きだしている彼の姿を見るのは二度目だったが、状況が状況なだけにかける言葉がなかった。彼のしていることを咎めるつもりも、ましてや裏切られたなどとも助けてほしいなどとも思っていないのだが、彼自身の良心が疼くのだろう。
どうしたものかと頭を捻っていると、朱院が梅都の前にしゃがみ込み、彼と視線を合わせた。
「梅都様、清院は何処におりますか?」
突然の問いに梅都は呆けた顔になり、言葉を理解すると涙を拭い、紐をほどきながらぽつりぽつりと話し出す。
「清院さんは……この、中に」
そう言って彼の指し示した場所は格子の向こうだった。
「つまり清院殿は捕らえられているのですね、梅都殿」
「……そうだ。待ってろ、今開けてやるから」
そういって懐から鍵を一つ取り出し、格子につけられた錠前の穴に差し込む。
「来るな!」
鍵が開くのと声がしたのは同時だった。
けれど行動したのは誰よりも朱院が早かった。
驚いて固まっている梅都の手から錠前を外し、扉を開くと一目散に駆けて行く。慌てて後を追うと、鎖で縛りつけられた清院の姿があった。
あの時にはなかった痛々しい傷跡が白い頬や手足に幾筋もあり、彼女の境遇を物語っていた。
「笑いに来たのであろう」
それは悔しさの滲む言葉だった。けれど薄明かりに照らされた清院の表情はどこまでも無機質に美しいまま。
後ろに梅都の気配を感じ振り返ると、彼は俯きながら事情を説明してくれた。
「夢次様は“桜姫”をずっと探してたんだ。永久の英知と美貌を象徴し、人々から崇められていたお伽話を。だがご自分が“梅姫”の半身だと知ったとき、そして染……おまえがずっと探していた“桜姫”の半身だと知ったとき……夢次様は清院さんを」
「それ以上言うな、梅都。これしきのこと」
「清院」
それまでずっと黙りこんでいた朱院が清院の言葉を制止した。
二人の視線が交わる。お互いの思いをはかるような一時。
先に静寂を破ったのはやはり朱院だった。
「還りましょう」
「断る。おまえなどと共にいたくなどない」
「このような仕打ちを受けても?」
「黙れ。おまえには関係ない」
「無関係ではありませぬ。なぜわたくしがあなたを連れたのかわかりますでしょう?」
「うるさい、指図するな! おまえはいつもそう。無鉄砲に走り回り、無駄なことばかり申す。だのになぜ、皆してわたしよりおまえを称える? どこが劣るというのだ」
まるで心からの叫びだった。あれほど気張っていた清院は顔を歪ませ、涙を堪えているようだった。
朱院に表情はなく、ただ清院を見つめ続けている。彼女らしからぬ雰囲気に梅都と顔を見合わせた。
「どうするよ、染。なにがどうなってんだか……」
「本人同士の問題だから私たちには」
そう言いながら状況と彼女達の会話を整理し、打開策を模索する。
捕まっている以上ここから無理に出ない方が無難だろう。また文句をつけられても面倒になるだけだった。
しかし彼女達のことは朱院に任せるしかなく、梅都と二人溜息を吐く。
「朱院、とりあえず」
「染祀様、お願いがございます」
「なんでしょう」
「しばらく清院と二人きりにしていただけますか?」
問答無用にきっぱり言い切る彼女に何か言えるはずもなく、梅都と二人格子の外へ出る。会話は聞こえるだろうがその場にいるのといないのでは違うのだろう。
「そいや染の紐まだ解いてなかったな。ちょっと待ってろ」
自分でも忘れていたことに少し驚く。それほど時間はかからず自由になる。
お礼を言おうとして梅都の方が先に口を開いた。
「本当に、なんもできなくて……すまん」
「気にすることはありませんよ。私が自分で罠にはまっただけなので自業自得です」
「けど俺は……おまえを、簾桜家を裏切った」
「そうでしょうか? あなたは染め師です。選ぶのはあなたですよ。何においても、選ぶ権利というのはありますから」
「気付いてたんだろ?」
ためらいがちな問いにどう答えるべきか悩み、言葉にできなくて頷く。すると、梅都は深く息を吐きながら壁に寄りかかり、そのままずるずると座り込んだ。
「俺、俺さ。あいつが死んでっから墓の前で誓ったんだ。おまえを守るって。なんになぁ……これじゃあ意味ねぇよ」
なんとなく気付いていたことだったが改めて言われると気恥ずかしい。溜息を吐く梅都を見て思わず微笑む。
「期待していませんでしたから」
「……だよな」
さらに落ち込む姿に声を出して笑うと、梅都も笑う。ひとしきり笑うと、梅都が懐かしい名で呼ぶ。
「今度、一緒に墓参り行こうぜ」
「ええ、いつか」




