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梅桜物語  作者: 城谷結季
其の参、予兆
4/10

帰宅、そして再会

 世界が赤く見えた。光が射しているのだと気付いて目を開くと、頬をざらりとしたものが触れてきた。驚いて振り返ると、それは昨晩玄関に倒れていた猫だった。黒い艶のある毛が鈍く照っている。

「おはよう。足は大丈夫かな?」

 そっと頭を撫で顎下辺りを軽くかいてやれば、気持良さそうに目を閉じされるがままになっている。

 再び頭を撫で、また今日一日を始める支度にとりかかる。その間、猫はずっとそばをぐるぐるついてきていたので、朝食のおかずを分け別の皿に取り目の前に差し出す。

「ほら、おなかすいただろう? お食べ」

 よほど空腹だったのかぺろりとあっけなく完食し、まだ物欲しそうに見てくる。

「残念だけどもう終わりだ。 おまえは食いしん坊だな」

 受け皿に水を満たし、おかずののっていた皿の隣に置けば、ちょっと舌で確認しぺろぺろと飲み始めた。

 飲み飽きると自分の体をけずくろいし始めた猫を見ながら、昨晩のことを思い出す。

 あのあと梅都は犯人を捕まえるため走り回っていたようだが、おそらく見つからなかったことだろう。もしつかまえたのならそれは誤認だ。だがどうするわけにもいかない。

 問題はその後、相手がどう動くかであった。情報というものほど価値のある会話はなかったが、梅都自身にしてみれば気が気でないはず。もしそこに彼女が犯人らしき情報を彼に掴ませたとなれば、こちらも危ない。だが、「あれしきのこと」と切って捨てる可能性もある。迂闊には動けないなら、いつも通りを貫き通せば問題はないように思えた。

 そもそもあのような会話を自宅でする方が悪い。重要なことはそれなりの場所で行うべきだろう。

「なんだ、帰るのか?」

 気づけば猫は扉の前でがりがりと爪を立てていた。開けてやれば一目散にどこかへ去って行く。まだ足に痛みがあるらしく、片足をひきずっていた。

 飼う気はなかったから少し心配ではあったけれど、そのまま自由にさせることにし、自分も外を歩くことにした。

 街外れの家から観光名所の城まではそれなりの距離があり、街に近づくにつれ人は増える。

 香ばしいにおいを漂わせながら店の開店準備をする者、箒で家の前を掃く者、立ち話をする者、朝だというのにすでに旅支度の者もいた。

 その人々の間をくぐり抜け、道なりに進んでいくと見えてくる白い建物。今日もどっしりと構え威厳を醸し出していた。

 更に進めば見事な満開の梅と赤い橋。反対側の桜は相変わらず小さな蕾のまま。それはまるであの少女のようで、最後の泣き顔が浮かぶ。

 またあの時のようにそっと幹に触れる。どこかで若い鶯のまだ未熟な囀りが響く。


「お早うございます」


 聞いたことのある声のようだがすぐに思い出せず、ふと横に誰かが立つ。朱院だった。

 彼女はそっと同じように幹にその白い手を当てる。指の腹で軽く上下に撫でる姿は愛おしい我が子にするようで、見惚れてしまう。

 再び手を当て、彼女はふっと息を吐く。どうしたのかと桜を見上げると、先程までとは打って変わってふっくらとした蕾に変化していた。淡い薄紅色は散る間際の姿を連想させる。

「おそらく、これが最後の開花となるでしょう……長い、長い時を生きましたから」

「あなたも?」

「……“朱院”はどのものよりも長寿で、力ある定めの下生まれたのです。けれど彼女は知らなかった。世界には光と闇があり、不変も公平もないのだということを……」

 朱院は思い返すかのように目を伏せ、胸元に手を当てる。行き交う人はいなかった。

「没落するのは早く、一時の栄華など忘るるほど。やがて疎んじられ、天から見放され、陥れられたのです。ただひとつ、“彼女”を道連れにして人世を去る決意をしました」

 気持ちを抑えるかのように朱院は不自然に息を吸う。鶯の声もなくなっていた。

「『滅ぶるものは滅ぶる』……それが真だとしても譲れないものがあったのです。購うべき罪は多く、重く、それでも定めを曲げることなど誰にできましょか。誰が考えましょか。いえ、いるはずがないのです。考えるはずがないのです。人世の世界は満ち満ちているから……」

 震える声で言い切った彼女は、両手をきつく握りしめている。痛々しいその姿は、彼女の歩んだ人生の話に聞き入ったから感じるのだろうか。

 思わず頭をぽんぽんと叩くと、驚いたように見上げてくる。やがてその両目から透明な涙が溢れ、彼女は嗚咽をこらし泣き始めた。

「よく頑張ったね」

 その小さな体を抱きしめる。少し冷えていた。

「わたくしは……昔の姿など、望んではおりませぬ。ただ……」

「終わらせてほしいんだな。その“定め”とやらを」

 その言葉に答えるように、彼女は更に強く服を握る。

「何の為に生きたのか、何故ただひたすら生にしがみついたのか、もう……わからなくなってしまった……」

 「だから終わらせてほしい」、そんな震えた声が聞こえたような気がした。


『遙かなる眠り(ゆめ)を打ち破るため、“ココロ”をあてどもなく探し求めて、幾度も狂い咲いた。何度も、何度も……』


 出会ったとき言っていた彼女の言葉を思い返す。おそらく彼女の「限界」はとっくに超えており、それでも“ココロ”とやらを取り戻すために力をふりしぼり今まで咲き続けてきたのだろう。

 いくら長寿といえど命の灯はやがて尽きる。昔分けた半身を探し出し、その役目を終えるため彼女は全ての力を使って現世に再来した。

 生まれは選べないとはいえその「定め」に自分も関わりがあるのだとしたら、仕方がないように思えて息を吐く。

「染祀様があの木に触れてくださらなければ、見つけることは叶わなかったでしょう」

 いつもの様子に戻った朱院は淡く笑んだ。少し乱れた前髪を整える為に指で梳くと、目を閉じてそれを受け入れている朱院。彼女から苦しみを取り除くことができたら、もっと楽しそうに、嬉しそうに笑ってくれるのだろうか?

「役目を終わらせる方法は、何かあるのでしょうか」

「わたくしたちの役目は……」

「染!」

 名を呼ばれて振り返れば、大手を振って駆けてくる見知った男の姿があった。いつしか人の往来も増えており、その中で人目を引いていたことに気づく。

 涙がおさまったのか、朱院も離れて駆けてくる者を見る。

「朱院さん、よかった。ここだったか……」

「朝からご苦労様。そんなに急いでどうしたんです」

「いや、朱院さんが突然消えちまったもんだから何かあったんじゃねぇかと」

 肩で息をしながら梅都は朱院を見て笑う。

「でもなんともないようで……よかった」

「……申し訳ありませぬ。染祀様に呼ばれた気がして、とっさに……」

 深くお辞儀をする朱院に梅都が慌てて両手を振る。

「そんな、気になさらずに朱院さん! こちが勝手に勘違いしとっただけですんで」

「いえ、お世話になりました御方に恩を仇で返すような…」

「いやいやいや! そんな恩ってほどのことでもないんで、気にしないでくだせ」

 いつまで続くのかと思われた謝罪のやりとりは朱院が再度頭を下げてやっと落ち着く。

「少々目立ちすぎました。場所を変えましょう」

 朱院の背をそっと押し、自宅への道を三人で歩いた。



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