第01話 「Qualified」 ~会いたくない相手ほど出会う。
A.D.2062.12
東京都近郊某所、高高度上空。
冬の乱層雲に匹敵する高さの宙に、十名程の人影が浮いている。
眼下には、世界から”終わりの見えない街”と称される有数の大都市が広がるが、此処からでは分厚い化学スモッグにより酷く霞んでしまっており、年末の賑わいを窺い知ることは出来ない。もっとも、肉眼で見える距離でも無いのだが。
その空間――の見えない床――に平然と立つ、五人の人間。彼らの顔に恐怖や焦燥は全く無い。
ただし、表情は苦々しいものだ。何の前触れもなくこんな所に連れて来られたと事に対する、苛立ちを隠そうとしていないかのような。
五人の男女に相対するように立つのも同じ数、五人のヒト型。
こちらは人の形を取ってはいるものの明らかに人ではない。
都合、十名がこの場にいる訳だ。
「……お話は大筋で理解しました。……それで、あなた方、調律者は我々に、……やっとの思いで故郷に帰ってきている我々に、また惑星フォラインと言う異世界に飛べ、と。そう仰られる訳ですか。なんとも都合の良い事ですね」
丁寧な口調で皮肉を吐くのは、霧島 壮一郎。
誰に対してでも丁寧に話す癖と、優しげな風貌が外見年齢を若く見せる事に成功した四十代だ。
近年では急速に普及した老化遅行ナノマシンのおかげで、実年齢などその意味を薄れさせつつあるのだが。
優男風な壮一郎だが、過去にイスラルテリア界に召喚された折、現在の妻である琉華――ルクレシア――と知り合い、共に地球に連れ立った。結婚までは紆余曲折を経たが、その話は今は省こう。
外では巨大化した企業グループのCEO兼会長職、自宅では柔和な愛妻家と、二つの仮面を器用に付け替える才能を持つ男だが、垣間見せる眼光はとてつもなく鋭利で、どう見ても猛禽類のソレを彷彿とさせる。
「ゴォオオ……。口を慎むがいいニンゲン。我ら調律者が貴様らを必要だと言ってやっておるのだ……グギギ……」
音割れしたような声の主は、機械科学こそを至高とする文明世界、[人工星界ノヴァウェイ]を管轄する一柱、機神ギリアギヌス。
「いや、マジで、本気で勘弁っす。オレ、カラー入れてからまだ一度も大学行ってないんすよッ! せめて来月……いや、再来月にして!」
凄みを効かせるギリアギヌスをものともせず、卓越した美容師のテクニックで繊細なハイライトカラーが施された前髪を弄りながら言うのは、横峯 晶。
黒目黒髪にモンゴロイド特有の凹凸に乏しい顔に歳相応かつ平均的なスタイル。前髪に|アホ毛(触角)を作り出す事に一家言持っており、それ以外では特徴を挙げるのに困るほど標準的かつ地味な青年だが、召喚された先[惑星モッカ]でオーソドックスな使命をきちんと果たして地球に帰ってきた元勇者だ。
「ハハ、まさか拒否権があるなんて考えてないよね。確かに、君たち帰還者は界渡りを耐えうる精神と肉体を持った稀有な存在だよ。人の枠組みを超えつつあると言っても良い。ただね? この世界の調律者は放任主義と言うのかな。少々のコトなら無干渉を突き通して頂けるという承諾を頂いている。時に……この島国、ニホンだっけ? 小さいよねぇ。消えてしまっても、世界の有り様には対して影響を与えないと思わないか? ハハハ」
手に持つ一輪の花の香りを楽しみながら、キザな物言いで稚拙な脅しを掛けて来るのは男性神モクレノギヌス。
過去に晶を強制召喚で異世界に連れ去った張本人であり、惑星モッカと呼ばれる世界の主神と呼ばれる男性型の調律者だ。
「よ、よく言う。『魂が世界を循環するコト』それ、自体が、ちょ、調律者の存在を保つエ、エネルギーのハズだし? 日本消すとかあり得ないだろ、常識的に考えて。いあ、もしかしたら出来るのかもしれんなー。せ、拙者の想像力不足かもしれんなー。も、もしそうだったらまっこと面目ござらんわーあはははははぐっ! ごほごっほッ! おえええぇ……あー……久しぶりに喋ると辛い」
現代において、もはや古語となりつつある時代錯誤なスラングを交えてやや吃音気味に操るのは、塚崎 光希。
全体に色素が薄く、少女としても一際小柄な体、大きな瞳、白に近い銀色のナチュラルボブ。まぶたの上で切りそろえられた前髪から覗いている紫瞳は、見る者にどこか妖精じみた印象を与え、例えノーメイクでも売り出し中のアイドルを軽く凌駕するだろう。
……ただし、半世紀前に廃れているはずの|学生用水着(スク水)を着用し、地べたに胡座をかいて牛丼を頬張らず、眼の下にくっきりとした隈が無ければの話だ。
しかし彼女がさらりと話した事は、本来人間が知り得ることの無いこの世の真理の一つ。
色々残念な変人に、痛いところを突かれたモクレノギヌスは舌打ちを漏らすと視線を逸らす。
「ま、まぁ皆さん落ち着いて下さいよ、ね? その、ほ、ほら僕の世界創造はニホン製の架空世界を元にさせて貰ってるので、僕としてはなんとか穏便に……ニホンを消すとかはモチロン言いすぎだけど、皆さんに今も残ってる加護、[言語翻訳]とか[マナ感知]なんかは今から消そうと思えば消せちゃうんですよ? 困るでしょ? だから帰還者の皆さんも先輩方も落ち着いて話しあいましょう!」
険悪な雰囲気の中、オドオドしながらも懸命に取り成すのは小柄な男性型調律者、サハール。
管理する世界[ザカリアス]の起源は地球原産。もっと言えば日本製MMORPGの造りこまれた世界観をベースに発生した世界。
光希が召喚されていたのがザカリアスであり、先ほど話に出た、世の真理の一つをポロッと光希に漏らしていたのもサハールだ。
まるで、欠陥品を売りつけられて詰め寄る客と、本社から送られてきた無能な担当者の間で板挟みにされる中間管理職の様な不遇な姿に、哀愁は漂っても、神の威厳など一辺たりとも見当たらない。
「……気に入らんなぁ。あんたらはいっつもそうや。元々俺には加護なんそ要らん。何より今任務中やねんし、早よ戻してくれる?」
軽い口ぶりながらも強い眼差しで調律者達を睨む、海上自衛軍の戦闘服を着た大柄な男は、弓削 大和。
飄々とした関西弁を操る彼もまた、新兵時代にギリアギヌスの管理する人工星界ノヴァウェイへ召喚され、現地で争いの道具として有無を言わせず全身を義体化された悲惨な経緯を持つ。
この時代、地球でも義体化手術を受けること自体は珍しい事ではなく、特に軍事、医療分野では多くの人がその恩恵に預かっているが、地球の生体機械工学のレベルを大きく逸脱した、オーバーテクノロジーの塊となって帰還した大和は、本人の安全確保という名目で自衛軍に再度組み込まれ”研究協力”という名の被験体扱いを現在でも強制されている。故に召喚や調律者に対する怒りは深い。
「ええ……もちろん、あなた方の言い分も分かります。私たち調律者としても、とてもとても心苦しいのです……。罪無き、無辜の命が奪われようとしているのに、私たちの干渉は拒絶されてしまう。どうか……どうかあなた方のお手をお借し頂きたいのです」
そう言ってチラリと琉華――壮一郎の妻――に視線を送るのは、壮一郎の召喚先であり、琉華の故郷でもあるイスラルテリア界の調律者、女神イシュ。
人命史上主義とでも言いたげなイシュの表情は儚く、優しげでひどく庇護欲を掻き立てるが、この場のメンバーで彼女にそんなものに釣られる者はいない。それだけ群を抜いたマナの力量を感じさせるのだ、五人の調律者の中でも頭ひとつ飛び抜けているだろう。
イシュの視線に気付いた琉華が諦めて話しかける。
「……お久しぶりですわ、イシュ様。……ですけど、詳しい内容も分からないままでは、お請けする事はできません。安請け合いしてご迷惑をお掛けしてはなりませんでしょう。それに私も夫も、イスラルテリアの地ではなく、この地球に生きているのです。……いったい私達に何をさせたいのですか?」
ルクレシア・イスラ、日本名、霧島 琉華は、イシュの管理するイスラルテリア界における最大勢力かつ長命種の中でも権力者の娘として生を受けた。
種族特徴のすらりとした手足に、女性らしさが溢れ出るグラマラスな肢体。そしてゴールドベージュの長い髪。
彼女は、召喚された壮一郎に本国の指示で助力する中、自国の行う召喚行為の歪さに気づくと至極、あっさりと故郷に見切りをつけた。
そして壮一郎が日本へ帰還する際、強引に随伴し――あわや魂消滅の危険も有ったが賭けに勝った――その後入籍し、今は壮一郎の仕事を手伝いつつ主婦業にも余念の無い女性だ。
優しいヘーゼル色の瞳は、いつもなら慈愛という言葉がぴったりだが、今は探るような視線をイシュに向けている。
「ええ、本当に久しいですね、イスラの娘ルクレシアよ。貴女が私の世界を去ってから、私の言葉を聞ける者がいなくなって随分と寂しかったのですよ?」
「それは……」
「責めているのでは無いのです。貴女ほど私と長い時間お話できた巫女はいませんでしたから」
「能力は受け継がれますから、暫くすれば新たな担い手も生まれますわ」
「そうですね……。それでは質問にお答えしましょう。分かりやすく言えば、若い世界の一つ、惑星フォラインの生物を保護して欲しい、という事。……ほら、前に出て……。紹介しますわ、彼女は、ヒルメギヌス。当のフォイラインの調律者……元ですけど。ヒルメ、皆さんに詳しく説明してさし上げて?」
イシュの後ろから進み出てきたのは一人の若い女性形調律者。
外見は十代後半。淡い常磐色の質素な衣服に淡いオレンジ色、柿色とでも言うような渋い色の細い腰帯を巻いている。
ヒトの身から調律者になった者は、人であった時の外見を維持する傾向がある。だとすれば、この調律者は若くして大きな力を持っていたと言う事に他ならない筈だが、さほど力は感じられず、帰還者たちに疲れきった顔を向けている。
「……私はヒルメギヌス。フォイラインとの元調律者です。さっそく皆様にご依頼したい内容ですが。まずはフォイラインに向かって頂き……これは我らが責任を持って転移させます。期間は調律者の集いが終了して事の対応が決するまで。これは恙無く終了してもあなた達の時間で考えて数年間は要するでしょう。この期間中、もしもに備えて生きる物を集め、守って頂きたい……。これがお願いしたい事です。ご質問は?」
まるで新卒者向けの会社説明会のように淡々と淀みなく話を進めてゆくヒルメギヌス。傲慢な性質が見え隠れすることが多い調律者としてはやや異質だ。
「あーっと、ヒルメギヌスさん、聞きにくいんすけどその、”元”って言うのは?」
質問などしたくもないが、話が終わらなければ開放されないのは明白だ。
「……私は事の責任を取り、事態の終息まで、力のほとんどを一時封印されています」
「封印? 誰に……あ。了解……」
意味有りげに薄く微笑むイシュから、慌てて目を逸らす晶。
「そ、そもそも、まも、守るってなにから? お、お約束的な世界を滅ぼそうとする魔王的なのが、い、いたりしてこう……漲る感じでおk?」
「魔王と呼称されるもの、またそれに類する者はいません。魔物に類するものは現地では化獣と呼ばれて存在していますが倒せないものではありません。武装した民が自ら駆除している地域もありますので」
「さ、さよか……あ、あれ? な、なら拙者たち要らない子じゃね?」
光希の疑問はもっともな物だ。
晶や光希達はマナが極薄い地球では普通に生きる人々と様々な面で大差は無いが、マナが豊富に存在する世界であればそれこそ比類無く強い力を及ぼす。
薬も過ぎれば毒にもなるのだ。
現地の人間で対処できるレベルの相手に、自分たちが出ればオーバーキル以外の何物でもない。
「いいえ、それでは遠からぬ未来に人種は激減、最悪の場合は化獣に駆逐され尽くされる運命にあるでしょう」
「え、え? な、なんでー?」
「……化獣の脅威は数を増やす力そのものにあります。化獣は、コロニーの作成と増殖を繰り返し、生息範囲を拡大する性質が有るようですが、数で圧倒された人間たちは各地で数を減らしています」
「そ、それヤバくね?」
「その通りです。加えて地殻変動による地震、火山活動、土砂崩れなど、自然災害も多発しています。これらはフォイラインの意思がはっきりすればする程に今後も活発化してゆくでしょう」
話の雲行きが怪しくなってきたことを悟り始める期間者達を尻目にヒルメギヌスは語り続ける。
「マナ利用技術の無い|この星(地球)と比較すべきではないのかも知れませんが、フォラインの文化水準はまだまだ低いものです。最も発達が遅れている地域は日本で言う所の飛鳥時代程度しか発達していません。そして巫術……フォラインでのマナ利用技術の総称ですが、これを満足に行使できる種族は限られています。今ではその根幹たるマナも激減した地域が増えています。これは科学技術よりも魔法技術に頼ってきた彼の地の者に取って究極的とも言える死活問題です。一部の種族がマナを地中から吸い出して利用していますが、長くは持たないでしょう」
「グギ……科学を蔑ろにするからこの様な事態に陥るのだ……グゴ……」
「……あ、うん。おk把握……」
「ご理解頂けて何よりです」
不満気に漏らすギリアギヌスと、やや俯向きながらも光希から目を逸らさないヒルメギヌス。
この場に呼ばれた五人は遅まきながら理解した。
全ての敵を殲滅! とか、大陸の統一! とか、魔王をぶち殺して平和を! 等々の単純なストーリーラインを要請されているのではないのだと。
「しかし。守りたい守りたいと仰られる割に会議に数年を要するとは……。些か悠長な話ではありませんか? それに我らの手など借りずとも、これだけ神々がお集まりになれば、干渉などなんとでもなるのでは?」
短い沈黙を破ったのは壮一郎。ちなみに調律者達は自身を『神』と呼ばれることを嫌う。さりげない挑発だ。
「グゴ……貴様……それが出来ぬから今ここにおるのだ! 忌々しい事にフォラインは、我らの干渉すらも退ける! グギィ……我らに歯向かうなど許されぬこと!」
ギリアギヌスの言葉を遮るようにイシュが話しだす。
「ええ、仰られたいことは分かります。時間が掛かり過ぎだという事も重々理解しています。……私達にとって本当に最後の頼みの綱なのです……」
顔を見合わせる帰還者達。彼らは互いに初対面だが、似たような境遇に置かれていたもの同士、なんとなく考えは分かる。
この場に集められた者達は皆、腐っても元勇者かそれに準ずる者達なのだ。
「はぁ……それじゃヒルメギヌス様に質問っす。集めろって言ってもさすがに全部じゃないっすよね? 例えば、馬なら、生きてる馬を全部集めろとか無理だと思うし……具体的には?」
前髪をねじねじする手を止めて、諦めたように質問を切り出したのは晶だ。
「霊体や雌雄同体生物などの特殊な例は別として、繁殖が可能な雌雄で二組。これが最低条件です。それとフォライン地球の様な馬はおりません」
「そっすか。じゃ次。惑星の生物をフルコンプって言ったら途方もなく多いと思うんすけど」
「地球よりは少ないですが、フォイラインには約六万種の魂が循環しています。その内、種の基幹を支える主だった動植物、そしてヒト種。合計でおよそ一万九千五百種を目標にして頂きたいと思っています」
「ダメだ……多いのか少ないのか実感湧かねっす。……ちなみにその目標を達成出来なくてもその会議? が終われば地球に戻してくれるんすか?」
「勿論その予定です」
「戻った時、時間はどうなるんすか?」
「転移時の時刻に合わせます。数日間のズレは生じるかと思いますが」
「数日ならまだ単位は大丈夫……許容範囲か。んじゃ、オレからは最後の質問っす」
そう言って、帰還者達全員が感じているであろう質問をぶつける。
「正直言ってなんで俺達なのかがまだ分からないんすよね。惑星フォラインでしたっけ。その星に拒否られて、手出しできないとしてもっすよ? オレらに頼まなくても、別に他の世界の元勇者とかでも良くないっすか? 元勇者じゃなくても、適正のある人を見繕って適当に連れて行けばいいんじゃないっすかね? 以前オレらにそうしたみたいに」
話しているヒルメギヌスではなく、モクレノギヌスを軽く睨む晶。ヘタレなのであくまでも軽くだが。
「それは皆さんが適任だからです」
珍しく的を得ないヒルメギヌスの返しに困惑する晶。
「……すんません、オレ馬鹿なんで分かりやすくお願いします」
「私が説明しましょう」
イシュが割り込む。
「言われている通り、確かに多世界にも、勿論このチキュウ上にも僅かですが、他の世界から帰還した者は存在します。それ以外にもフォラインへの高い適性を有する者も複数確認しているのです。ですが……何度も繰り返す界渡りに魂が耐えられる見込みは低いのです」
「繰り返すって言っても、行って返ってならプラス二回、計四回っすよね?」
「え、ええ。ですが、普通は貴方達の様にそう何度も耐えられる物ではないのですよ?」
イシュは一度言葉を切ると元勇者達を見る。
「調律の者である私が言うのもなんですが、正直あなた方ニホン人ほど異世界への高い適合率、そして帰還率を有する種族は多世界を見回しても存在しないのです」




