ざわめき
「明日から夏休みだね」
そんな声が聞こえてくる。
窓際は良い。いつも風を一番乗りに受けられるのは僕だし、みんなからも一番気付かれにくいから気疲れもしない。教室の中に自分の部屋があるみたいな感覚になる。
いつも通り、授業を受けて、明日の提出物を確認してから帰る。明日から夏休みだから掃除されて綺麗になった黒板が落ち着かない。
家に帰ると、母親が玄関に立っていた。母が玄関に立っているときは、何かを早急に伝えたい時だ。
「通信簿みせなさい」
予想通りの声にすこしうんざりする。肩からリュックをおろし、中を漁る。
「ごめん、通信簿、学校に忘れた」
母は呆れた顔で言う。
「学校まだ空いてるでしょ、行ってきなさい」
面倒だけど、母に反抗すると夜ご飯抜きになりそうだから、自転車を立ち漕ぎで今日の朝を繰り返すみたいに進む。
いつものパン屋、コンビニ、神社、小学校、有名らしい橋を渡り終えると高校が見えてくる。県下で見れば大して賢くもなく、中途半端な高校。
校門を抜けると、左手に運動場があって、そこで野球部とサッカー部、陸上部と少人数のソフトボール部が投げたり蹴ったり走ったり。それを横目に下駄箱まで歩く。
下駄箱につくと、左足から靴を脱ぐ。そのほうがなんか落ち着く。下駄箱を左に曲がってすぐの三年三組に入る。
「えっ」
思わず声が出た。
「南くんじゃん」
「尾崎さん、帰ってなかったんだ」
「帰ったけど、通信簿忘れてた」
思ったことをそのまま吐き出したみたいなしゃべり方で教えてくれた。僕も通信簿忘れた、言いたかったけど喉でつっかえて鼻歌みたいな返事をしてしまった。
通信簿はひきだしにあったから、すぐかばんに入れて、教室を出る。同じタイミングで尾崎さんも教室を出そうだから、一緒に帰ることになった。
「二人で話すの初めてだね、ウチら」
尾崎さんが言う。
「そうかも」
僕が返す。
「南くんてさ、ずっと自分の席にいない?」
「いる」
「何してんの?」
「本とか読んだり」
「ほんと?」
「うん」
「あ、駄洒落じゃないからね!」
「うん」
そこから帰り道が分かれるまでずっとそんな感じで話した。彼女のスマッシュを僕がカットで返す。そんなラリーだった。
彼女と二人で話すのは初めてじゃない。高校二年の文化祭、僕は演劇の照明係だった。彼女は確か白雪姫。
彼女を照らすのが僕の仕事で、彼女は見てくれている人を喜ばせるのが仕事。
「鏡よ鏡、世界で一番きれいな人はだあれ?」
白雪姫に照明を向ける。照らされた彼女は少し得意げな表情のまま、観客席を見ている。艶やかな髪が光を受けてキラキラしている。こんなに髪の毛、茶色かったんだ。
破裂音が聞こえる。監督が物語を止めたいときに手を叩く音だ。
「ごめん!尾崎と照明の南くん、ちょっと照らすタイミングがズレてるから、二人で話し合って、合図かなんか作れる?」
監督が言ってきた。僕たちは、劇の練習が終わるとすこし話し合った。さっきまで、西洋的なフリルのついた衣装を着てた尾崎さんだったから、制服姿で話すと、少し話しやすいように感じた。
「南くんは上からうちのこと、どのくらい見えてるの?」
「体は見える、表情まではわかんないかも」
「なんか、キモイ(笑)」
「あ、ごめん」
「じゃあさ、うちが南くーーーーんて叫ぼっか、舞台袖から」
「お客さんに笑われちゃうよ」
「冗談に決まってんじゃん」
「ごめん」
「まぁいいや、次のセリフの終わり。えーと、うちがステージにあがるタイミングか。そのときの最初の一歩目、足音大きく出すからそのタイミングで照明ちょうだい」
「わかった」
「じゃあ、またね」
「うん」
これが尾崎さんとの初めての会話だ。「キモイ」とか言われたけど、嫌な気はしなくて、こんな僕にも冗談を言ってくれる彼女にむしろ好印象を抱いたのを覚えている。
だから彼女が僕との会話を覚えてないことは少しショックだった。文化祭のことを話せば思い出すかもしれないけれど、そんなくだらないことを覚えてるのってそれこそ「キモイ」かなと思って言えなかった。
通信簿を忘れたこととか先生の愚痴とか軽い冗談とかを話してくれた後、「またね」って言ってくれた。変わってなくてよかったと思った。
「はるー、起きなさいよー」
この声で今日も目が覚める。毎日、同じトーンで同じ声。
階段をとぼとぼ降りていくと、お父さんが仕事の準備をしていて、お母さんが朝ごはんとお父さんのお弁当の準備をしてる。朝ごはんのラインナップはいつも決まってる。白米とキムチ、夜ごはんの余りと、お父さんのお弁当の余り。
朝なのに使い古された雰囲気のある食卓ではあるんだけど、文句なんか言えるわけないし、おいしいから黙って食べる。
母はお気楽で、いつもテレビでやってる再放送のドラマをついついネタバレしちゃうような人。父は、僕が起きてきたタイミングで仕事に行くし、帰るのも遅いからどんな人間かって言われると、あまりわからない。
今回の通信簿だって「これ、委員会って入ったほうが成績上がるんじゃないか?」とかよくわかんないこと言ってたし。僕の勉強面は少し気にしているのかなって印象。
能天気な母とぶっきらぼうな父。なんでこの二人が結婚したんだろうって考える。人ってわかんないなって思う。
夏休み、初日。この日をどう過ごすかで、夏休みの色が決まる。朝から本を読むこともできるけど、今読んでる本は少しブルーだから、夏休みの色のことを考えると悪手かなと思って、外に出てみた。
まだ、午前中なのに日差しが焼けるように痛い。11時からが日差しのピークとは聞くけど、まだ9時だし。日本の夏は過酷だな、なんて思いながらお目当ての場所まで自転車を漕ぐ。
背中に汗が浮いて、シミみたいになるのが嫌だったから、黒いTシャツを着てきたけど、これはこれで日光を集めて焼けるような熱を肌で感じる。自転車を駐車して、建物の中に入る。汗が乾いて、業務用冷凍庫の中を思い出すほどのひんやり加減。
目的の場所、それはリサイクルショップ。この古本やら楽器、服にアニメグッズ。なんでもおいてあるこの場所はなにものでもない僕を快く受け入れてくれる空気に満ちている。
ここで、弾けもしない楽器を触ったり、知りもしない服の値札を見て、(こんなのが2万円!?)なんて思ったりするのが大好き。在庫処分のフリーコーナーがあって、たまに無料でフィギュアとか持って帰れたりできるのもいい。
知らないアニメのフィギュアでもなんか持ってるとワクワクする。あと、お客さんにみすぼらしい人が多いのも良い。僕も外見を気にしなくていいから好き。
思えば、僕は一人っ子なのにお下がりが多い。制服だって、近所の人からもらったやつだし、本だって、いつも古本。(これは自分のせいだけど)
あまり気にしたことなかったけど、ブルーな気持ちになる。外見だって、ここが好きな理由はありのままの自分を受け入れてくれるからなのに、黒い服を着て、汗を隠してる。僕って、自分が思ってる以上に人からの視線を気にしてるのかも。
そんなことを思いながら、目の前に立ち読み禁止の張り紙があるのに立ち読みをしている。みんながやってるから僕もやる。
店を出たら熱気が顔にぶつかってきて、さっきまで乾いてた汗が溶け出すかのようにまた汗だくになった。アイスでも買って、今日は帰ろう。
帰り道にコンビニは3つある。ホットスナックがおいしいコンビニ、割引が多いコンビニ、普通のコンビニ。僕はいつも割引が多いコンビニに行く。割引って新品なのに中古みたい。そういや、アイスって割引されてるとこ見たことないな。
フルーツ系かミルク系、どっちか迷ったけどフルーツ系のアイスにした。溶けないように、いつもよりペダルを強く踏んで帰る。帰り道には、長い坂道がある。夏はここを通ると、風が涼しいから、力を振り絞って、上り坂を進んでいく。
ブレーキをちょっとかけながら下っていく。汗が乾いて、ひんやりして気持ちがいい。ここを下りきれば、僕の家。
家に着くと、誰もいなかった。お母さん、今日はパートらしくて「チンして食べて」という置手紙と共に、お父さんのお弁当そっくりのおかずプレートが置いてあった。
買ってきたアイスを冷凍庫に入れ、冷房をつける。テレビをつけると、いつもは見られないお昼の番組がやってる。
「平日の昼って、なんか新鮮でいいよな」
フォロワーが4人のSNSに投稿する。
気づけば、寝てしまっていた。起きると、さっき見てたお昼の番組は終わっていて、ドラマの再放送がやってた。スマホを見ると、通知が一件。
「南くん、夏休み初日楽しんでる?今日さ、郵便局前のコンビニ来てたでしょ。私、あそこでバイトしてたの気付いた?もしそうだったら内緒にしてほしいんだ~(´;ω;`)」
尾崎さんだ。
「わかった。気づかなかった。」
「ありがとう~~~~ またなんかおごるね」
「大丈夫だよ、言わないから。」
「大丈夫だと思うけど、奢られたら、もっと言えなくなるでしょ?」
「たしかに」
クラスの女の子とラインしたのが初めてだったから、なんだか落ち着かない気持ちを胸におかずをレンジであっためる。ぐるぐる回るおかずを見つめながら何を奢ってほしいかを考える。
「かき氷がいいな~」
とぼんやり思った。「かき氷って、市販で売ってる?」と連絡した。調べたらわかることだけど、尾崎さんに聞きたくなった。
返信を待ってる間、朝食と同じ味の昼食を食べる。食べ終わると、買ってきたアイスを冷凍庫から持って、自分の部屋にかけこむ。持って帰る途中に少し溶けたのを冷やしたから、パッケージとは程遠い見た目になっていて、気分が下がった。
机の上に置いたスマホを見ながらアイスを食べる。食べ終わって、棒だけになったアイスを嚙みながら、PS4の電源をつける。母の車が駐車場のグレーチングを揺らす音で、もう夕方になっていたことに気付いた。
「はるー、ただいまー!」
母の声が聞こえてくる、大きな声で「おかえりー」と言ってみたものの、「はるー、いないのー?」と追撃を食らう。部屋のドアを開け、体を半分だけ出して同じことを言う。面倒くさいけど、怒らせるともっと面倒だから毎回やってる。
そこからまたゲームして、夜ご飯。お風呂、歯磨き。今日は尾崎さんからの返信がなかった。
窓に雨が打ち付ける音で目が覚めた。朝食を食べて、部屋に戻る。今日は外出できそうもないから、部屋にこもるしかなさそう。朝食を食べて、血糖値が上がったのか、また僕は寝てしまった。
次は、スマホのバイブレーションで目が覚めた。
「売ってると思うよ。でもうちかき氷機あるからよかったら作ってあげよっか!そっちのほうが安く済むからとかじゃないよ!(笑)」
これって家へ遊びに行くってことか。それって、女の子の家にあがるってことだよね。この2つの思考が頭を占領して、「ありがとう!」とテキストの入ってるスタンプを送信してしまった。
「いつかき氷食べたいの~?」
「一番熱い日がいい」
「なにそれ(笑)まぁいいや、暇な日声かける!」
そこで連絡は終わった。心臓の音が雨音よりもうるさい。
(女の子の家に誘われてしまった...)
そう思うと、また落ち着かない気持ちになる。




