43 悲哀――残された者2
綾乃は確かに最近おかしかった。
妙に余所余所しくて、今までにも増して加奈とくっついているようになっていた。
でも、そのことは警察には言わなかった。
私は綾乃と仲が良かったということでかなり初期に取り調べを受けた。
その頃は気が動転していて、すっかりそんなこと吹っ飛んでいたから。
加奈なんかは完全に茫然自失。
何を訊かれても目は虚ろで、何も考えられないし喋れないみたいだった。
それに、綾乃はいつも通り、仕事をこなしていたから。
少なくとも「表面上」は、綾乃は今までと変わらなかったから。
でも、それは突然起こった。
あの時、彼女らはインフルエンザの話か何かをしていた気がする。
……麻疹だったかな?
朝のショートホームルームで
最近この辺で流行ってきているから注意というプリントをもらったから。
綾乃は突然、真希に殴りかかった。
私は私なりに探ってみた。
綾乃が何であんなことをしたのか、背景を知りたかった。
綾乃はあのとき、泣いていた。
綾乃は狂ってなんかいなかった。
綾乃の家に行った。
綾乃のお母さんから話を聞いた。
小6の時のこと。
生徒会の仕事をとても楽しそうに話していたこと。
最近人知れず泣いていたこと。
お願いして、日記やパソコンを立会いの下で見せてもらった。
私は理解した。
綾乃、ごめんね。
私はあんたの苦しみに気づいてあげられなかった。
ううん、本当は気づいていた。
でも、大したことないことだと思ってた。
私が積極的に何かしようとしなくても、綾乃は大丈夫だと思ってた。
だから、もしかしたら、あんたの中で私もあんたをいじめる人間になっていたのかもしれない。
そんなつもりは全く無かったけど、むしろあんたを守るつもりでいたけど、
客観的には、消極的な意味では、私もあんたをいじめていたと言えるかもしれない。
でも、それでもね。
今、もしあんたに一言だけ言えるとしたら、私はこう言うよ。
この、大バカヤロウッ!
あんたはいじめを無くすだとか大層なことを言う前に、
祥子とかいう子に謝らなきゃいけなかった。
それくらいの行動力があるなら、その子の引っ越し先を調べることだってできたはず。
でもあんたはそれをしなかった。怖かったから。
もう会うのは無理なんだと自分に言い聞かせて、その子に謝らないことを正当化していた。
綾乃、そこが一番大切な所なんだよ。
その程度の恐怖を乗り越えられなくて、そんな壮大な目標を達成できるわけがない。
基礎を固めずに高く積み上げていっても、いつかは崩れてしまう。
それに気づいて欲しかった。
私に教えて欲しかった。
そうすれば、そう言ってあげられたのに。
そう、あんたはいつもそうだった。
一番相談しなきゃいけないことを一人で抱え込む。
人のために自分を犠牲にしようとするくせに、その他人に頼ろうとしない。
一人で勝手に思い込んで、結論付けて、納得して、現実にしてしまう。
でも1ランク重要度が低いものは簡単に話すから、周りの人はなかなかそれに気づけない。
私も気づけなかった。私と綾乃は気の置けない仲だと思ってた。
どうして信じてくれないの?
どうして話してくれないの?
どうして、アレを本当に私が書いたのか、私に問いただしてくれないの?
確かに、手紙の事件以来、綾乃のことを悪く言う子はいた。
ライブの時も、せっかく席を取っておいたのに、
終わってみたら綾乃はどこかの男子と話をしていてイラッときたという話もあった。
でも、そんなの大したことない。
あんたは明るくて、リーダーシップがあって、味方だっていっぱいいた。
未だに綾乃があんなことしたはずが無いって信じている人だっている。
あんたの思っている以上に、あんたは大船に乗っていたんだよ。
だから私は自分の目を信じられなかった。
その掲示板に綾乃のひどい悪口が書かれていて、コメントがたくさんついていたのを見て。
すぐに思った。自作自演。
IDは管理人にしか分からない。
だから管理人がグルになっているか、治安維持に積極的でなければ出来ること。
現に私のハンドルも使われていた。
どこかのチャットサイトを見れば私が南高の生徒だって分かるから、盗んだんだと思う。
ネットではなりすましなんて簡単に出来てしまうから。
そもそも気付いて欲しかった。
ハンドルなんて、1人1つとは限らない。
匿名性を保つために場所によって使い分けるのが、むしろ当たり前。
どうして私の「表」のハンドルを、「裏」でも使う必要があるわけ?
手紙の話はショッキングだったから通りすがりの人も結構いたみたいだけれど、
面白がって書いている人がほとんどだった。
匿名だから好き勝手なこと言えるし、心にも無いことだって言える。
真に受ける必要なんて無いんだよ。
それに、最後のコメント見た?
あれは「警察に通報しろよ」って意味じゃない。
掲示板上で展開されている議論に対する単純な疑問。
ネットの中でだって、綾乃のことを守ろうとする人はいたんだよ。
綾乃、知ってる?
あの後、加奈も死んだ。
自宅で首を吊ったらしい。
学校はもう混乱暴走制御不能。
また呪いの手紙が流行りだしたみたい。
麻利亜は本気で呪いを信じてるし。
あんたは何も救えやしなかった。
それどころか、大勢の人間の生活を滅茶苦茶にした。
苦しかったのは分かる。
でも今は、あんたの親も、先生も、生徒も、もっとずっと苦しいんだよ。
謝れよっ!
みんなに、謝れよっ!
私に……謝ってよ……ッ!
声を聞かせてよ……綾乃……
呪いなんて存在しなかった。
残された人が、偶然と悪意と思い込みを呪いと考えるだけ。
誰かがあると思うから、それは「ある」。
皆がもう終わりだと思えば、それはもう「終わり」。
不幸の連鎖は途切れた。
でも、悲劇はまだ続く。
残されたものはまだ苦しむ。
呪いを信じる者には呪いが。
悲劇は、終わっていない。
半年前、彼らが出会った車両は、今も客を乗せて走っている。
カタンカタン
カタンカタン
その音が、線路に淋しげに響いていた。