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42. 変化(へんげ)

サブタイトルは「へんか」ではなく、「へんげ」です。

仕様上、サブタイトルにルビは付けられないので、読みを括弧書きにしました。

「この植物について改めて説明してくれる? まずは名前と性質について」


目下の関心事は異世界からもたらされたこの花なのである。それをいち早く研究所の方に運び込むためには、分かる限りのことをさっさと記録として書き起こさねばいけないのだろう。


「はい、では——」


場を仕切りなおすように姿勢を正す。そうしてから柚希は記憶を探って、この植物に関しての知識を絞りだした。名前、成長度合い、利用法、特質、その他諸々(もろもろ)


「えっと、名称は『ヒマワリ』です。成長の早い植物なので種を蒔いてからニ、三ヶ月ぐらいで花を咲かせます」


言いながら時間の単位が違う可能性に思い至り、向こうでの一ヶ月が約三十日であることを付け加えた。さらに出来る限りの知識を開陳するために言葉を継いだ。


「花は観賞用。種は食べることも出来ますし、油を絞ることも。それから太陽の動きにつれて花の向きが回転する性質があります。英語では……、私が元の世界で学んだ外国語では『サンフラワー』と言って、やっぱり太陽に関連付けられていますね」


聞き取りやすいように『ヒマワリ』や『サンフラワー』などの単語をはっきりと区切るように発音する。向こうでの名称がこちらの言葉にどう転写されるのかは不明だが、少なくとも音をそのまま発音記号に写し取るだけでは意味は分からないだろうと思われた。日に向かって回る太陽の花、空を巡る光り輝く天体を想起させる名称であることを付け加える。


それらの話を聞きながら、リリは「太陽が重要な役割」などとつぶやく。意図したことはきちんと伝達できているようだ。


「だから太陽にまつわる色々な伝承が伝わっています。有名なのは太陽神に恋をしたという妖精がこの花に変化(へんげ)したという神話ですね。叶う恋ではないけれど相手の姿を見つめることは止められなかった、だからヒマワリの花は常に太陽の方を向いているのだと」


植物種としてのヒマワリを調査する際に、植物の性質とは関係のない伝承や物語はおそらく不要だろう。けれど以前に中庭で見た光る樹が『異世界の聖樹』として認識されているように、文化や信仰への影響を無視するようなことはないのだと思う。しかし神や変化といったことはこの世界であり得ることなのだろうか。ともあれ、話にはあっても、元々の世界で起こらない出来事を語るのは誤解を招くことではないのか。


「形態を変化させる妖精。樹木の妖精の一種で、この植物も知的生物に分類されるのかしら? そうだとしたら、さっきの実験はまずかったのかも——」


リリが柚希の語る言葉の端を(つか)まえ、小声で漏らすのが耳に入る。案の定、伝えるべきでない情報を語ってしまったのだ。自分のその失敗に気づき、柚希はすぐに反省して説明を途切らせるように口をつぐんだ。


だが突然の沈黙が気にならぬはずはない。すぐにリリが問い(ただ)してくる。


「どうしたの?」

「変化の神話は本当のことではないんです。つい、付け足してしまいましたが——」


出来る限りの訂正をすぐにでも。そう思うが焦り、口調が覚束(おぼつか)なくなる


「つまり、嘘ということ?」

「嘘というわけではありませんが……。科学の——向こうの世界での理屈で説明できなかった頃に、この花の性質を説明するために昔の人々がつくりだした物語です。今ではもっと筋の通った学説があるので、根拠が無いことだと皆が知っていますが」


ようやく言い改めるための言葉を選び出す。魔法の世界でなくとも、実際の現象に『科学』の論理が追いついていない時代はあったのだ。もちろん今となっては太陽神など持ちださなくとも、ヒマワリが持っている日の方向へと花を向ける仕組みについては説明できる。


「なるほどな、確かに。いくら魔法で変化できるにしても妖精と植物とじゃ変化の程度が大きすぎる。それに嬢ちゃんのところじゃ魔法が使えないんだったかな」


成り行き上、脇で話を聞いていたベルクトが口を挟んできた。あちらでは科学的理論で説明しようとすることは、こちらでは魔法で語られる。ともかく何か特殊な現象はすべて魔法というわけだ。ただ、その『魔法』にしても、この世界ではしっかりとした理論が構築されているらしいが。


いずれにせよ二つの世界に存在するそうした(へだ)たりはその都度ごとに洗い出す必要があるだろう。特に向こうでは魔法が完全に欠落しているという点については。


「ええ、魔法は発動しないんです。だから向こうの世界で『魔法』というと夢物語のような話ばかりになってしまいます。それに魔法で変化するどころか、妖精だって向こうでは存在すらしていませんし」

「あなた達の世界には妖精はいない?」


柚希が言いかけたところでリリが驚いたように声を上げた。


「あちらでは物語の中だけの存在です。こうして話題にすることはできますが——」

「普通にこうして伝達できるものだから、てっきりあちらにも妖精がいるものだと思っていたけれど……」


概念のない単語は魔法では翻訳されにくい。だからこそ、こうしてなんの引っ掛かりもなく翻訳されてしまう妖精という存在が向こうに存在しないことが信じられないという様子だ。


「あの……、言葉の意味の()り合わせが必要なのではないでしょうか。『妖精』という言葉で理解しているつもりでも、実際はまるで違うものを語っている可能性があるかもしれませんし」


同じように片方の世界にしか存在しない物、たとえばヒマワリについてはわざわざ時間をとって説明する羽目になったのだ。ならば実物を知りをもしない柚希の語る妖精は、果たしてこちらの人間たちが語る妖精と同じものかどうか。言葉一つのことだが、なまじ意思疎通に不便の無いレベルで翻訳されるだけに(たち)が悪い、それ(ゆえ)に訂正を重ねる羽目になる。


「そうは言っても私は実物の妖精は見たことはない、そもそも見たくても向こうにはいないのですが——、どういう存在なのでしょう? 前に魔法が得意な生物と聞きましたが、それだけで全てを説明しきれているとは思えませんし」


質問しながら『魔法』にしても向こうでは空想の産物だったなと考えていた。魔法能力に着目して人間と妖精とを区別しているのだとすれば、魔法が欠落しているという意味で柚希自身のほうが妖精よりも異質であるはずだ。しかし現実はそうではない。


「魔法が使えなくても私は人間扱いされる。それに対して妖精はわざわざ呼び方を変えるのですから、魔法以外の何か決定的な違いがあると思うのですが」


リリは「そうね」と呟いて少し考え込むような様子となる。言葉をまとめているらしい。それを柚希はその様子をおとなしく見守り、次の言葉を待った。


「魔法能力に()けているという表現は間違っていないけど、妖精の場合は『魔法が得意』というよりも『魔法そのものでできている』といった方がいい生物よ」


柚希にとって、現状では最も理解し難い単語である『魔法』が口にされる。


「よく分かりません」

「そうでしょうね。少し込み入った説明になるけれど」


そう前置きをしてリリは解説を始めた。


ただしそこは魔法絡みの話となる。所々、柚希には理解の難しい専門用語が混じることはあったが、その度に逐一(ちくいち)質疑応答を重ね、より簡易な言葉への置き換えを繰り返す。その結果、ある程度の妖精像を形成することに成功する。


「つまり、骨格になるような強力な魔法の術式を芯にして、それに肉体となる別の術式が巻き付いている、そうした魔法の複合体が妖精であるのだと。外見上は一体の生物に見えていても実際には本体は中芯だけで、それ以外は単なる部品に過ぎないと」

「理論的な厳密さは一旦置いておくとして、おおまかにはそんなところね。よく理解できていると思うわ」


利発な子供を褒めるようなリリの口調に複雑な感情がわき起こる。言葉通りの褒め言葉ではないのは分かっている。こうした評価は柚希の知性を確かめながらのものであり、依然として彼女は観察の対象なのだから。


だが一旦、個人的な感情は脇に置き去り、知るべき知識を理解することに集中する。


「それでも分かりません。体が魔法でできているとして、術式を支えるための魔力は単なるエネルギーでしょう? 肉体を形作るような質量のようなものがあるのですか?」

「正確にいえば微細な物質を核にした術式ということになるわ。でも、微細すぎて普通の観察では確認することができないぐらいのものよ」


核は魔力そのものを吸収し、圧縮や濃縮をする力場を形成する作用を持つらしい。その能力が、また別の微細な物質へと働きかけて二次、三次レベルの核化を(うなが)し、連鎖反応的に妖精の全身を構築してゆくのだという。


「それはかなり価値のある能力ではありませんか。つまり核さえあれば、魔力を集めた上に体そのものを作り直せるということでしょう?」


利用できれば重要な技術になり得ることは理解できた。


「残念なことに重要だと分かっていても、私たちには今のところ利用できない能力ね。調べようにも、解析

の過程で術式が(ほど)けて彼らの体が崩壊してしまうの」


最も知りたいのは魔法の基点となる部分である。しかしそこを見るためには緻密に作用している魔法を切り崩す方法しかなく、結果として妖精の身体そのものを損ねるのだという。


「だったら使う本人に説明してもらったり、必要な魔法を一部分だけを使ってもらってそこを観察するというのは——」

「どちらも無理よ。妖精のもう一つの特徴は言葉の通じない生物であることなの」

「言葉がって……、言葉を翻訳する魔法があってもですか?」


柚希自身、魔法によってこちらの人々と意思疎通が成立している状態だ。ならば妖精も同じ方法が通用しないのだろうか。


「通じないというよりは、むしろ言葉を持たないからと言ったほうがいいでしょうね。彼らは存在そのものが『魔法そのもの』と言ったでしょう。だから声すらも発した瞬間に魔法として発動するわ。その結果として言葉を意思疎通の手段として使うことができなくて、翻訳の魔法が意味を持たないのよ」


語られるにつれ、ぼんやりとした想像上の存在に血肉が付け加えられていくような心地がした。そして、人に似た姿をしていても存在自体が魔法である、そうした生物を表現するのに『妖精』以外の単語はやはり思いつかなかった。


「そして、話し合いで意思疎通できない生物を知的生物として人間と同等に扱うのは難しい、そう考える人々は多いわね。悲しいことだけれど」

「もし()ったとしても挨拶すら通じない可能性もあるんですね。でもそうした存在とも理解しあわなくてはならないとしたら——」


そのための『協力』を彼女は求められているのだと。だが、その言葉をベルクトが(さえぎ)った。


「そういう嬢ちゃんの律儀なところは良いことだが、理解どころか妖精そのものに遭わないほうがいいと思うがな。対処の仕方を間違えれば普通にこちらが大怪我するからな」


ベルクトの表情は真剣で、冗談ではない事を示している。


「怪我、ですか」


戯言(ざれごと)では済まない単語をオウム返しに口にする。


「つまり、出会い頭に魔法を一発ってことにでもなりゃひとたまりもないってことだ。できることといえば向こうが機嫌が良いかどうか探るぐらい、虫の居所が悪そうなら防戦して隙を窺えってね。何たって言葉が通じないんだ。俺ら騎士ですらそういうふうに教え込まれてるんだから、素人の嬢ちゃんなら必要以上に関わらないほうが賢いやり方だろうな」


ベルクトはそのための道具だと言わんばかりに腰の剣に手をやった。それを見つつ、武器が身近にある環境には慣れないものだと柚希は痛感する。身に着けることも、それを振るうことにもだ。そうなれば彼女にできる方策はただ一つしか無い。


「いざとなったら逃げるのが一番。そう心に()めておきます」

「心配しなくても、嬢ちゃんが目にすることはないだろう。召喚で呼び寄せても妖精はあまり長生きできないんだ。魔法が強力すぎるせいで、かえって命を縮めるってことになっている」


強力な魔法があれば敵無しであろうに、そのせいで早死となるという矛盾。その点へと柚希が感じた疑問を察知したのか、続くリリの言葉はそれに対しての補足であった。


「いくら魔法自体が強力でも、魔法を使うには魔力が必要よ。妖精が発動させる魔法は強力すぎるから、それだけ必要量が多いの。その上、妖精は存在を維持することにも魔力を必要としているから必要量は桁違いね。そんな状態で出身地よりも魔力が薄い場所にいればどうなるのかは分かるでしょう? 短い期間なら保つけれど、長くこちらへ留めていれば妖精たちは魔力不足で飢えてしまうわ。そうしているうちに弱って死んでしまうこともあるし、飢えから錯乱して他の生物の魔力を奪おうと暴走することもある。襲われる生物にはもちろん人間も含まれるけれど——」


「どんな事情があろうと、人を襲えば今度は取り締まりの対象になるってわけだ。もちろん錯乱状態の妖精は、手負いの何とかって感じで手強いが、いつまでもその力を維持できるわけじゃない。他から奪うために暴れて、ようやく手にした魔力にしたって、身体を維持するたけでギリギリだ。それどころか、暴走することでかえって衰弱したりする。どう考えても奴らの運命はジリ貧だろう」


さらなる補充の無いままであれば、そのまま魔力が尽きて死ぬ。だからこそ空腹に耐えかねた猛獣のように、多少の手傷をも(かえり)みないで猛進してくるが、その強行手段にすらも魔力が必要となる。リリの言葉を補うようにベルクトが説明したのはそういう話だ。優れた魔法の能力ゆえに命を削る、その意味が柚希にも理解できた。


「その上、一度でも人を襲った妖精は人間を襲うことを躊躇(ちゅうちょ)しなくなる。実際、そうした妖精相手に村一つ全滅させられたなんて話もゴロゴロ転がってるからな。だから騎士として、次の被害を出さないために本腰入れて捕獲に乗り出さなきゃならなくなる。そういう俺たちの仕事も妖精を傷つける原因ではあるんだが……」


生き延びるための捨て身の暴走が彼らを害獣の扱いへと突き落とし、さらに妖精たちは寿命を縮めていく。命を繋ぐために必要不可欠な魔力が足りないという理由によってだ。


しかし、彼らにとって不足しているものは、柚希自身には余剰(よじょう)で別の問題をもたらしているのだが。


「でも理不尽ですよね、私の場合は魔力が濃すぎて危ないと言われているんですから。私の余っている分と妖精の足りない分を足して二で割ったら丁度よくなりそうなのに」


そうすれば周囲との魔力の濃度差が小さくなって、自分の暴発問題は解決ということにならないか。そう冗談めかして言ってみた。しかし、その言葉への反応は、いくらか苦慮がにじんだようなものだった


「同情する気持ちも分かるが、むやみに餌をやるような真似は止めたほうがいい。考え方は面白いと思うがな」

「どういう意味でしょう?」


言われる意味を図りかね、柚希は尋ねた。


「いくら魔力を吸収できるからって、やつらのやり方はかなり乱暴だ。相手への心配なんて一切しないから、余分どころかあるだけの魔力を根こそぎってこともある。それに嬢ちゃん、戦う力もないんだから奴らにとっては恰好の餌食にしか見えないだろうよ」

「それは……、私が料理しやすい食料扱いになるということですか?」


そう訊くと、ベルクトは無言で頷いていた。


(あらが)(すべ)もなく取って食われる。言葉の綾でも何でもなく、文字通り身体から魔力を吸い尽くされて死ぬ。魔力があり余る柚希自身の体質を肥え太った鶏のようだと感じたことがあるが、意外にその喩えも的外れではないのかもしれない。存在そのものが特定の生物の食欲を刺激するといった意味で。


「ねえ、この子をあまり(おど)かさないでくれるかしら」


不快な連想に柚希が首をすくめていると、すかさずリリが割って入る。


「確かに妖精には危険な一面もあるけれど、本来は穏やかな性質で争いを好まない生物なのだから。でも、捕食的攻撃性を強化させてしまったのは私たちの責任よ」

「そりゃそうだが、やつらが危険なのは事実だろう? 今でこそ数は減っているが、それでもどこかで妖精が出たとなりゃ、騎士隊丸ごと出動の総力戦になる。用心に越したことはないはずだ」


ベルクトの言葉に、リリは反論できないことを認めるように目を伏せた。魔法と武力、どちらの専門化も認めるほどの危険性を孕む生物。となれば、さらに新たな疑問が柚希の心へと浮かぶ。


「それなら、どうしてそんな危険な存在を呼び寄せることになったのでしょう」

「扱いが難しい物こそ価値が高まるのよ。あなたなら理解できると思うけれど」

「もしかして経済の話でしょうか。妖精が商品として取引されていて……」


柚希がきちんと言葉の要点をとらえている様子にリリは満足したように(うなず)く。


「そのせいで妖精の性質を理解もせず、『魔力を多めに与えておけばいい』っていう聞きかじりの知識で妖精を召喚して一儲けしようとした人たちが大勢いたから。でも、そんなに簡単に妖精を支配できるんだったら稀少価値が生まれることなんて無いはずなのに」


すなわち需要と供給のバランス、単純な市場の論理だ。だが金銭的な価値にしか眼の向かない人種には、そんなシンプルなことにすら理解が及ばないものらしい。そしていかにもな儲け話へと安易に手を出し、散々な結末というわけだ。


「価格が暴落してしまったんですね」


柚希の言葉にベルクトは隣でうんうんと頷いている。

「そりゃあ、見た目は綺麗だし、使う魔法も派手だから手元に置きたがる酔狂な奴も少なくなかったさ。だが、やつらを養うのは綺麗な人形を飾っておくのとは訳が違う。大量の魔力を喰らう上に、腹を()かせれば暴れる。それで(なだ)めようにも意思疎通もできないときている。売っ払って楽に稼げるはずが(かえ)って苦労を背負い込み、危険だと評判が広まった後は価値も下がっていく。そのうちに手に余った大量の妖精を捨てる連中が出てきちまってな、その頃にゃ俺たち騎士は毎日のように奴らを狩る……、いや、保護してたもんだ」


途中で言い(よど)んだベルクトの言葉を柚希は聞き逃しはしなかった。だがそれも彼女に対しての配慮であると気付いている。危険な妖精であろうと異世界の人類であろうと、召喚によって連れて来られた存在を公的機関の管理下に収めるという意味では違いはない。ただそれがあまりに常態化したために『狩る』といった不作法な物言いがまかり通るようになってしまっただけなのだ。


「妖精に限らず召喚された連中を取り押さえる作業は悲惨でな。所有権を放棄されたようなのは間違いなく違法召喚で呼び寄せられた奴らだ。大抵は碌でもない扱いを受けていてその場(しの)ぎでなだめられる段階は()うに過ぎている。その上、魔力や食い物、そういう物も充分与えられてないものだから死に物狂いさ。もちろん事情は分かってる、だが俺たちだって我が身は可愛い、自分の命が危険なときは仕方なくってこともある。嬢ちゃんの時みたいに、武器無しに仕事が済むなんてことは滅多にないんだ」


武器という一語に、似ていてもやはりここは別世界であり、こちらの倫理観は元の世界とは同じではないことを痛感させられる。結果として殺戮(さつりく)と称するべき行為へと突き進もうとも、身を守るための暴力は認められているということだ。たとえその暴力を不快だと感じていても、目前の男はそれを(おこ)なった経験がある。そして再び同じような状況に陥れば、その暴力をふるうことは職業柄当然なのだろう。


「もちろん召喚された連中の命は優先すべきだし、できるだけ傷つけないための訓練もしている。だが出会ったばかりの生き物に身を守る力がどの程度あるのかすぐに判別できるわけじゃない。加減を読み間違えたら、その——、残念な結果も少なくはないんだが」


それほど長くはない交流ではあるが、柚希自身は目の前にいるベルクトが悪い人間ではないことを知っている。必死で抵抗する召喚被害者に対して、自らの生命を守りつつも職務を果たすため仕方なしに。それこそ追い詰められた獣のように暴れるのが仮に柚希自身であったとしても。


「もしかしたら、ということもあり得たのですね。いきなり刃物を突きつけられたら、どうしていいのか分からなかったでしょうし……」


自分の胸に手を当てながら、柚希はそう口にした。もちろん現実には暴力的な事故は起こっていない。むしろその逆で、身柄確保されまいと抵抗するどころか、気を失って倒れていた。目を覚ましても、どうして良いか分からずぼんやりその場に座っているばかりだった。そのために暴力を伴う身体の拘束などではなく、迷子を保護するような扱いになってしまったのだと思う。


「だから嬢ちゃんが会話の成立する種族で助かったよ。すぐに指示に従ってくれて、無駄に争うこともなく済んだんだから」


ベルクトはそう言いながら、何か嫌な記憶でも呼び覚ましたらしく、少し顔をしかめた。


「いつもああなら良いんだが、そうじゃないほうが多くてな。大概は荒っぽいことになっちまう。だが仕事だとしても、人間の形をしているものを傷つけるのは気が咎めるもんだ」


彼の立場からすれば仕方がないことだが、召喚魔法を取り巻く状況が変わらぬ限り、不幸は繰り返されるのだろう。口調から忸怩(じくじ)たる思いが滲んでいた。


しばしの無言。その沈黙が恐ろしく、柚希は小声でつぶやいた。


「嫌なことを(うかが)ってしまったのでしょうか?」


やけに湿(しめ)っぽくなった空気に召喚生物保護に関わる、倫理観と安全のどちらを優先するかの二者択一のジレンマを感じ取る。たまたま彼女自身は危険なく保護されたが、すべての召喚生物が幸運をつかめたはずもないのだから。


「気にするな。でも嬢ちゃんが、この面倒な兄妹に気に入られた理由がわかる」


場の空気を変えるつもりか、そう口にしながらベルクトはリリの方へと顎をしゃくる。


「こいつら召喚魔法を発展させた立役者のくせに、いまや規制派の急先鋒だ。そりゃ、嬢ちゃんみたいなのをこれ以上増やしちゃいけないから、気持ちも分からんじゃないが——」


言いかけた言葉の中に聞き捨てならない単語をいくつか聞き取った。


「『立役者の兄妹』って、あの?」

「話してなかったのか」


柚希が疑わしげに発した声を受け、ベルクトは気まずそうにリリへと目を向けた。その視線を受け止めたリリの表情には非難するような調子が込められる。


その様子から考えると『兄妹』の片方、妹というのはリリ自身のことに違いない。研究所に属する人間は三人、一方がリリならば残りの『兄』はノヴァであろう。確かに二人の印象がどことなく似ていると感じてはいたが、それにしても召喚魔法を発展させたとは……。


「悪かった、秘密にしているって知っていたのなら……」

「隠していたわけじゃないのよ。この子にはまだ必要はないと思っていただけ」


リリは心底うんざりしたような口調で吐き捨てる。


「それどころかこの子にとっては面倒の元になりかねない情報でしょうね。賢い子だもの、聞いたことからいろいろと考え当ててしまうから」


その言葉通り柚希は、つい先ほどまでのわずかな時間で『兄妹』についての類推をしていた。


「面倒っていったって、あんたら自身が原因じゃないだろうが。戦争がその技術を必要としたせいだろう? 御大層な家に生まれた分、逃げられなくて苦労したろうとは思うがな——」


茶化すようなベルクトの言葉が途切れる。リリが刺すような強い視線を向けたのだ。そして、その鋭い眼差しのまま柚希の方へと話を振る。


「詳しいことを()、聞きたいかしら? かなり嫌な話だし、とても長くもなるわよ」

「急ぎの話じゃないというのは分かります。それに話したくないという理由も何となく。その……、似たようなことはどこにでもありますから。だから、その話はどうしても必要だと思われたときにでも」


棘を含ませたような口調に、慌てて当面のうちは秘密を秘密のままにすることを選んだ。


「そう言ってくれると、ありがたいわね。でもあなたが望んだ時には必ず話す、そのことだけは約束する」


リリの返事は、話題の核心を話さずに済んでホッとしたと言わんばかりに短い。けれどその態度がいくつかの疑問の答えにもなっていた。生まれた家そのものが面倒事を抱えており、そのために彼らがそこを離れたのだとしたら出身を隠したくなる心理は分かる。加えて家を捨てた事実が、直接でないにしても本部と距離を置く遠因となり得ることも。


「いずれ続きを伺うことになるとは思いますが——」


——まだ確定していないとはいえ、柚希が元の世界に還れる可能性は非常に低い。


はっきりと口にせずとも柚希がある程度の類推に及んだのは分かったのだろう。いまさら知恵のない偽装はできない。


「気を悪くしないでくれよ。こいつらのやってることは、嬢ちゃんたちみたいな連中のためにしてることだ。過去がどうであろうと、起こしちまったことの埋め合わせはしなきゃならないんでな」


ベルクトはフォローのつもりか、リリの方へちらちらと視線を送りながらそう言った。


「分かっています。過去があって現在に繋がっているのでしょうから」


伏せられている諸々に気付かぬふりはできる。ただしそんな態度では、責任を取る必要のない子供と同等であるが。


「まあ、なんだ……、話は終わったんだろう? なら、こいつを運ばせるための若い連中を呼んでくるから」


薮から蛇を(つつ)き出した格好になったベルクトは、何とか話を終わらせようとする。


「ついでに書類も処理しなけりゃならないんでな」


そして、取って付けたような台詞を発すると、すでにインクの乾いたらしい数枚の書類を掴むと急いでベルクトは訓練場を逃げるように飛び出していった。その後ろ姿をリリは呆れた表情で見つめる。


「書類の処理だなんて、見え透いたことを。いつもは締め切り寸前にならないと手を付けないんだから」


口から出た台詞は怒っているようだが、リリの態度はむしろカラッとした様子に見える。まるで相手の面目ない心持ちなど見透かしたかのようだ。


そうはいっても、どう声をかければ良いのか柚希には分からない。当然だろう、目前の人物が秘密を抱えていることを断片的にでも知ってしまったのだから。これ以上突っ込んだ会話もできず、だからといって知らぬふりというのもおかしい。それで困っていると、急にリリが振り返り、顔にわずかな笑みを浮かべて尋ねてきた。


「この後、どうする予定? 私は研究所の方で資料の受け入れ準備をしなくてはいけないけれど……」


暗に、「時間を置いて、ゆっくり考えろ」と言われたのだと理解をする。それに応えるために何事か理由をつけなくてはと柚希は足下を見た。


「しばらくこれを見ていても良いですか?」


鮮やかな黄色に目が止まったため、ついそれを理由にする。


リリは一瞬考えるような素振りをしたが、すぐに了承の返事を返した。


「良いわよ、あなたなら標本を傷つけることはないでしょうし」


分をわきまえ、目を離しても逃げたりはしないと思われている、すなわち自分は信頼されているのだと感じる。事実、リリが考えるように従順で逃走など考えもしない気質なのだが、そう見做されて不満を覚える筋合いでもないので素直に「はい」と返事をし、「早く帰ってこい」との簡単な指示の後に去っていくリリの姿を見送った。


そして改めて柚希は足元に置かれた植物に目を向ける。図らずも与えられた一人の時間、整理しきれない思考の種をいくつも抱えたままに。


どうしてリリやノヴァが召喚魔法被害者の救済に力を入れるのか。込み入った事情というが、先ほどまでのリリの様子から考えるに、単に同情の念からの理由でないのは確かである。


召喚魔法は戦争が発展させていたという。どこの国、世界であれ、『戦争』の大義名分があれば非人道的な結果をもたらす研究さえも優先される。個人の意志など踏みにじり、否応無しに協力させられたことだろう。元々高い身分の出身で、優秀な人材であればなおのこと。研究の中心部に据えられ、逃げることも適わずに。


その結果として巻き起こったのは望ましくない事態である。もちろんリリたちにとっては不本意な成り行きだろうが、放置はできまい。元々の出身により叩き込まれた貴人の果たすべき(ノブレス・)社会的責任(オブリージュ)を感じているのであろう。


とはいえ、そこに柚希が今以上に関わっていって良いものかどうか。放置できないのは理解できても、具体的な協力には気後れするのが現状だ。最終的な決定権こそ残されているとはいうものの、実際に彼女が求められる力を発揮できるかどうか自信がない。


本当に、自分が協力者で良いのか。自分は信頼に期待を裏切らずに済むのか。不安ばかりが大きくなる。


ただ、(さいわ)いなことに心を決めるための材料を隠される心配はない。少なくとも今は……。


そこまで考えて、大きくため息を吐きながら下を向いた。視線の先には魔法によって寸断されたヒマワリとその種子が横たわる。


おそらく今後、この黄色の花は研究所で実験材料にされる。植物こそ、そうされるのに適した存在だ。不満も漏らさず暴れもしない、そして意思や知性のない存在に対して倫理的な気遣いなど必要もない。そのことが何故か(うらや)ましくも感じた。


——もう戻ろう。


ヒマワリへとシートをかぶせ直すと、初めに錯視したような袋詰めの人体を想起させる形へと(かえ)る。その形状に、『これは自分の身代わりなのだ』ともやもやとした夢想が思い浮かぶが、答の出ない事柄をいつまでも考えていても仕方がない。悩みを払おうと頭を二、三度振った。


けれども、クリアな精神状態にはほど遠い。散漫な注意力の中で研究所方面への道順を思い出そうとするが、いささか記憶に怪しい気もする。歩調の速いレリスの後をつらつらと考え事をしながらついてきたせいだ。


だが、遭遇した曲がり角は多くなく、途中はほぼ一直線の廊下だったとすぐに思い返した。曲がる場所さえ間違わねば大丈夫だろう。そう考えながら踵を返したところで、正午を告げる鐘の音が聞こえてくる。急がねばと、とっさに出入り口の方へと走り出して——。


「きゃっ!」


壁に激突するように行く手を阻まれ、思わず悲鳴を上げた。


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