11話 可愛い君へ
「兄上!お待ちください」
集まった女の子たちに優雅に手を振り、馬車に乗り込んだシュヴァンは、歓声に紛れたルスカの声に足を止めた。
しかし、目を伏せると、すぐに席に腰掛ける。
「座りなよ、ルスカ」
ルスカは一瞬指が止まる。
けれど、すぐにシュヴァンの向かいに腰を下ろした。
「……久しぶりに城に帰るかい?母上が、君を恋しがっていた」
「いいえ、結構です。帰る場所は……今は、別にあります」
「……そうか」
がたがたと車輪の音が響き、歓声が遠ざかる。
「兄上は」
「新しい生活はどうだい?」
ルスカの言葉を遮るように、シュヴァンは言葉を挟む。
にこりと微笑むその顔は、ルスカの記憶にある優しい兄そのものだというのに、なぜだか喉が詰まる。
「ええ……まあ」
「誰もが羨む王族の座を捨てて得た場所だ」
ルスカは拳を握る。
沈黙の中に、車輪の音が響く。
シュヴァンは窓の外を眺めた。
「有能な君が抜けたおかげで、僕は忙しい毎日を送っているよ、全く」
楽しそうな声音だが、ルスカにちらりと向けられたその眼差しは、冷たい。
ルスカは目を伏せた。
己の拳が、驚くほど白い。
それでも、拳を握り直すと、顔を上げた。
「……兄上は、どういうおつもりですか」
シュヴァンは窓の外を眺めている。
時折誰かに手を振り応えていた。
「あんなやり方で、あいつを囲うおつもりなのですか!」
「囲う?」
シュヴァンがゆっくりと顔をルスカに向けた。
微笑んでいるのに、その視線から、目が逸らせない。
「来月の誕生パーティは、例年妃を選定するためのものです!兄上は、あいつを……!!」
「だとして、何か悪いのかな」
シュヴァンは顎に手を当てる。
「この国初めての女性医師で、魔法陣開発の功労者だ。父上だって、納得されるだろう」
至極当たり前のことを言うかのように、シュヴァンは頷く。
「ですが!!あいつが妃に召し上げられでもすれば、あいつは医師として働けなくなります!」
ルスカは自分の声が思ったより大きかったことに一瞬声を止める。が、すぐに口を開いた。
「あいつの両親だって、ここにはいられなくーー!」
「彼女は、働かずに暮らしたいと公言しているそうじゃないか。両親だって保護すればいい」
シュヴァンは再び視線を外に動かし、外の誰かに手を振る。
「だとすれば、君が反対しているのは、別の理由ということになる」
窓から一切視線を外さない。
「それは君の、個人的な感情によるものなんじゃないのか?嫉妬や、独占欲といった類の」
「……!」
ルスカは息を呑む。
少し沈黙したあと、口を開いた。
「そうです。俺は、あいつを大切に思っています。だからこそ、あいつを尊重したいのです」
シュヴァンは窓から視線をルスカに戻す。
「あいつが、そうしてくれたように」
車輪の音が二人の間に響く。
「……ここで、失礼します」
ルスカは立ち上がると、扉を開けた。
走行中の馬車から、少し離れたところにゆるりと流れる水路がみえる。
「兄上は……」
瞼を閉じる。
幼い頃、城の庭に敷いた兄のマントに、二人座ってこっそりおやつを食べた光景が脳をよぎった。
「変わられました」
ルスカはそのまま飛び降りた。
(兄上は、変わられました、ね……)
シュヴァンは目を閉じる。
ぼくは生まれた時から他の人間とは違う。
この国で二番目に偉い人間で、清く、正しく、強い人間。
直にこの国一番となる。
そうあるべきで、そうあるために、僕の全てを捧げてきた。
『よいか?シュヴァン。下々の人間は魔法能力も低ければ頭も使えない。使いこなしてあげられるよう導かねばならない。それがお前の使命でもあり、王位にいつづけられる理由でもあり、生きていられる理由となるだろう』
そうなんだ……。
可哀想に。
僕が上手く使ってあげることが、みんなの幸せにつながるんだ。
そして、そうでなければ僕は生きられないんだ。
身体能力の高い駒。
計算ができる駒。
裏切る駒。
嘘をつく駒。
僕は盤上から、駒を動かすための策を練る。
この駒は飛ばそう、使えない。
この駒は金を積んで国から出られないよう仕向けよう。
この駒は周囲の愚かな嫉妬に耐えられなかったか……。
僕が王位につくその時のために。
駒を揃える必要がある。
種を蒔かねば、花は咲かない。
使えるものはなんでも使う。
地位でも、金でも、顔でも、なんだって。
そしてきみは突然現れた駒。
君は本当に優秀だ。
壊れないし、期待も裏切らない。
餌を撒けば勝手に僕の評価を高める働きをしてくれる。
あのルスカを、使える駒に変えてくれた。
フィーリアの件も、魔石の件も、本当に見事だった。
まさか、僕さえ躊躇した場所に踏み込むとは思わなかった。
だからあんなことになって。
でもそのおかげで収穫があった。
君が、僕自身に踏み込もうとするなんてね。
君はとても可愛いよ、クラリス。
だって初めてなんだ、盤の上にいるのに僕を見つけた人間は。
優しくて、強くて、困っている人を放っておけないんだよね。
だから、守ってあげる。
壊させない、普通の人間なんかに。
……その強さは、どこまで持つのかな。




