8話 美しい鰭
翌朝。
診療所前に並んだ騎士団の列と馬車。
騎士団が馬車の扉を開き、足を下ろしたシュヴァンはゆっくりと頭を上げーー笑顔を凍らせた。
「……おはようございます、兄上」
ルスカが小さく頭を下げる。
シュヴァンはわずかに目を細め、そのまま言葉を選ぶように間を置いた。
「お、おはようシュヴァン!」
その横でクラリスはぎこちないながらも笑顔を浮かべた。
薄いグリーンのワンピースが風に揺れる。
はっと我に帰ったシュヴァンは、にこやかにクラリスに顔を向けた。
「やあ、おはようクラリス。そのワンピース、素敵だね」
「あ、そ、そうかな。おかあさんが、自分のを着てけって……」
「よく似合っているよ。流石はお母上の見立てだね。それで……」
シュヴァンはゆるりと顔を横に向ける。
ルスカは気にした様子もなく、視線を返した。
「見送りかな?」
「兄上には多大なご迷惑をおかけしておりますゆえ。僭越ながら御公務のお手伝いをしようかと」
「公務、ね」
シュヴァンは顎に指を当て、考える仕草を浮かべ、そして困ったように眉を下げ微笑んだ。
「たしか第二王子のルスカは城を出たはずだけれど」
ルスカはがさりと手にしていた鞄から勲章を取り出す。
医師免許の授与式にて国王から授けられたそれは、日の光を受けきらりと光った。
「ええ。民間の医学校の設立にあたり、医師としての視点も必要かと存じまして」
「彼女は医師だよ。二人も、必要かな」
笑顔を浮かべるシュヴァンと、真っ直ぐ見つめ返すルスカ。
そして、真ん中できょとんとするクラリス。
「……ルスカはすごく頼りになるから、いいかな~と思って……?」
クラリスが声を上げる。
(来てくれるって言われて、正直ほっとしたんだけど……)
そっと見上げると、シュヴァンの視線が一瞬だけクラリスに向く。
(なんかだめだったのかな……?)
クラリスがごくりと喉を鳴らした時。
シュヴァンが小さく息を吐いた。
「……いいだろう。クラリスを困らせたくはないからね。さあ、行こうか。時間が惜しい」
シュヴァンはクラリスに左手を差し出す。
クラリスは少し迷って視線を動かした後……
(王族って女性とみればエスコートする生き物だもんね!)
元気にその手を取ると、馬車に乗り込んだ。
「わ、わぁ……」
豪華なシャンデリア、妙に涼しい室内。
壁際の大きな水槽は水が透き通り、色とりどりの魚たちが、その美しい鰭をひらひらと見せつけている。
その横で、金の装飾で彩られた紅のソファに男子学生たちが身を沈めていた。
前方のスクリーンにうつしだされた画面を見つめている者もいれば、見学に来ているクラリスたち、特に先頭に立つシュヴァンをちらちらと気にしている者もいる。
クラリスは、開いた口が閉じないまま、視線だけをきょろきょろと動かしていた。
「……ここに隠し持っていたか」
背後ではルスカがため息一つ。
その視線は、シャンデリアやスクリーンの魔石に向けられている。
クラリスは背後のルスカに顔を寄せた。
ルスカはかかんでその口元に耳を寄せる。
「……ねえ、この人たち全員ルスカの親族だったりする?」
「そんなわけがあるか。こいつらは大概が貴族の次男か三男だ。行き場のない連中だな」
「……なるほど。……なるほど……??」
王族でもないのに、王族より贅沢なような……?
クラリスの頭上に、言葉がそのまま浮かんでいるようだった。
ルスカはふっと笑みをこぼし、顔を離す。
どこからかちらりと滲む視線。
「では、本講義はこれにて終了とする」
講師の声と共に、多くの生徒たちが立ち上がる。
何人かは真っ直ぐにシュヴァンの前へと歩み寄った。
「シュヴァン王子殿下、このようなところでお目にかかることができ……」
挨拶をする彼らを横目に、クラリスは座ったままの生徒の一人に近づいた。
「あの、わたしは医師のクラリスといいます。少し、教科書を見せてもらいたいのですが?」
男子学生は少し顔を上げ、笑みをこぼす。
そして革張りの教科書を持ち上げると、クラリスの顔を見ることもなく片手で差し出した。
「かの有名な国内初の女性医師の先生ではありませんか。……少々難解ですよ、民間の先生に、ご理解いただけると良いのですが」
鼻で笑う男子学生の手からクラリスは本を受け取ると、パラパラとめくっていく。
ルスカも後ろから覗き込んだ。
何も反応しないクラリスに苛立ったのか、男子学生は眉を寄せ、続ける。
「王子殿下達と随分仲がよろしいとか?たらし込んで免許を取得されたと言うのは本当ですか?」
男子学生は本を読むクラリスを頭の上から足の先まで見つめる。
「あなたでは、難しいような」
その言葉に、周りの学生が吹き出す。
同時にルスカが本から顔を上げた。
男子学生はルスカの顔を見て、初めて第二王子と認識したらしく、ぎょっとして顔を歪ませた。
「貴様、どこのーー」
「いいよ、ルスカ」
クラリスが本から顔を上げずにさらりと遮る。
(意外、と言ったら失礼だけど……中身ちゃんとしてるな……)
ぱらぱらとめくったページには、臓器別に疾患が並び、前世で学んだほど詳しくはないものの、機序や治療法が記載されていた。
加えて、魔法学という名の、魔法使用による身体変化といった前世にはなかった項目まである。
(この世界には魔法があるから、学問が発達してないんだと思ってた。けど、そうじゃないんだ……)
カレルが頭をよぎる。
彼は解剖学を理解していた。
(どうして、貴族だけが学ぶんだろう。紙が高いから本が作れないとか……?)
7歳の時通った学校を思い出す。
ところどころ擦り切れ、落書きされた古びた教科書を配られた。
(でも、それだけじゃ、ないような……?)
クラリスが首を傾げた時。
鐘が鳴る。
「あの、それ、そろそろ……」
ルスカに気づいた男子学生は勢いを失い、恐々と本を指差す。
クラリスはぱたんと本を閉じると、手渡した。
「わたしは、国王陛下に免許をいただいたの。あなたは、まだ免許のない、妙に医学に詳しいだけの素人よね?」
にこりと笑うと、ぽんと男子学生の肩を叩き、
「お勉強、がんばってね?学生さん?」
シュヴァンの元へと戻った。




