17話 その背に積もるもの
「この研究について僕なりに考えたことを話していい?」
アニが口火を切ると、クラリスたちは小さく頷いた。
「まず、この研究のゴールは抗菌薬をつくること。つまり、“消去の魔法陣を治療に使いたい”ってことだよね?」
クラリスが頷くのを確認し、アニはノートをばさりと開いた。
「だとすると、この研究で達成しないといけない条件は三つ。
一つ目は、魔法陣の改良。
二つ目はコストの問題。前にも話したよね」
クラリスの脳裏に、以前アニに完璧に論破されたあの時の記憶がよぎる。
(いま棚に飾られているシュヴァン王子にもらった魔石が、あれだけで金貨百二十枚……)
思わず、ぞっと背筋が冷える。
(この前魔物から取れた魔石がなかったら実験は難しかったな)
当初は唐突に思えたアニの討伐の話も、今思えば、この研究の素材を見据えた判断だったのだろう。
(アニって……素直じゃないけどいいやつよね)
そんなことを考えて、つい口元が緩んだ、そのとき。
「聞いてる?三つ目だけど!」
「はいっ!」
慌てて背筋を伸ばすと、アニはじとりと睨んできた。
「使用者の問題だよ。普通の人間には魔法陣の構造を理解できないだろうけど……危険だから、万一にも出回らないようにしないといけない。それに……」
言葉を区切り、アニはちらりとルスカを見る。
「もともと魔石は王族貴族が隠してきたものだ。庶民の目に触れる形で使えるようになるかは……難しいだろうね」
ルスカは何も言わず、そっぽを向いたままだった。
(あの王様とお妃様を、また説得……?こわいって)
妃の冷たい視線は、たまに夢に出るくらいだ。
アニはぱたりとノートを閉じる。
「……もう一つ、あるかも」
クラリスが、静かに口を開いた。
「副反応も気になる。消去の魔法で、本当に狙ったものだけが消えるのかは分からない。合併症が起きる可能性もある。だから、経過をきちんと見られる人間が使うべきだと思う」
「そうなると、医師だな」
ルスカが低く言う。
「……だが、市井の医師が使う可能性は低いな。疾患に対する考え方が違いすぎる」
小さく、ため息をついた。
(そう、この世界では王族貴族を診る医者じゃない医者は、"まじない"レベルなんだ)
クラリスも、自然と目を伏せていた。
「……先行きは、遠いね……」
ヴィルがぽつりとこぼす。
その言葉に、重たい空気が部屋を満たす。
「でもさ!」
その沈黙を破るように、クラリスが声を上げた。
「逆に言えば、問題点ははっきりしてるってことでしょ?
まずは潰せるところからやっていこうよ。
四人もいるんだもん。そのうち、何か思いつくよ!」
勢いよく立ち上がると、三人は顔を見合わせ、
ふっと力が抜けたように笑った。
「……そうだな。四人、いるからな」
ルスカのその一言に、皆が静かに頷き合った。
それから、何晩経っただろうか。
「まーたここに泊まってんのか。若いからいいけどな、そのうち体壊すぞ~」
ミュラーが呆れ返るほど、クラリスたちは研究室に篭り切っていた。
机の上にはガラス瓶。
その中のビー玉だけを消すための魔法陣改良実験をひたすら続けていた。
「だめだこれ。ビー玉の色だけ消えた」
「次。これは?……あ、だめだ瓶の底が消えた」
積み上がるノートの冊数。
妙な形のガラス瓶。
仮眠を取っていても、日々深まっていく目の下の隈。
その一方で、日中は診療も行なっていく。
なんせ、王に認められた医師四人が所属する診療所なのだ。
評判が評判を呼び、診察待ちの列は伸びていく。
診療は本来の閉院時間を超えても続いていく。
その分研究時間も深夜にまで及ぶ悪循環がつづいていた。
クラリスもアニも、ヴィルも、ルスカでさえも、疲弊していた。
なので、気づくことができなかったのだ。
消化管疾患が、妙に増えてきていることに。
クラリスにとって運命の別れ道ともなるその患者が、いままさに名を呼ばれようとしていた。
「次は……朝からの腹痛、か。数日前から下痢もあり。また食あたりかな…?」
問診票を読みながら、クラリスは小さく背伸びをし、あくびを噛み殺す。
(また流行ってるのかな?子供のノロから、とか……?)
朝から、腸炎疑いを何人も診察していたのだ。
「次のエリオさん、どうぞ~」
小さな返事とともに入ってきた若い男性を見て、
クラリスは、思わず視線を留めた。
歩き方がおかしい。
腹部を押さえ、よろよろと前屈みになりながら、一歩ごとに顔をしかめている。
顔色は青く、呼吸も浅く速い。
(……普通じゃない)
食あたりや軽い腸炎のそれではなかった。
「こちらに、どうぞ」
クラリスはすぐに立ち上がり、男性をベッドへと導いた。
「肝膿瘍ですね」
クラリスは紙に簡単な絵を描きながら、静かに説明を続ける。
「肝臓に細菌が巣を作って、炎症を起こす病気です」
(既往もない。渡航歴もない……それなのに、どうして?)
首を傾げながらも、眠気を追い払うようにあくびを噛み殺す。
(……まあ、いいか。消せばいいものね)
クラリスは、そっと手をかざした。
「細菌の家を消さないことには治りません。いま、消しますからね……」
その時だった。
「待て」
鋭い声が、空気を切った。
「少し、気になる点がある。いいか?」
クラリスが小さく頷くと、ルスカは患者の方へ手をかざし、力を発動させた。
次の瞬間、彼のもう一方の手のひらに、粘つくような、まるでスライムのようなものが、蠢いた。
「……やはり」
「どういうこと?」
ルスカは答えず、机の上に何枚もの紙を広げていく。
それは、ここ数日のカルテだった。
「これは、ここ最近の消化管疾患の患者から顕現したデータだ。腸炎、憩室炎、虫垂炎まで。みな、おなじ検体を検出している」
クラリスは息を呑んだ。
「……つまり?」
ルスカは、まっすぐにクラリスを見た。
「この国に、また疫病の手が迫っている。
そう、考えた方がいいだろうな」




